アヴェスターにはこう書いている?
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杉山正明 『興亡の世界史09 モンゴル帝国と長いその後』(その3)

 ともなく、わたくしたちは、自力航行できる動力船が出現する19世紀なかば以前と以後とを、明確に「別世界」として考えなければならない。(p.223)


歴史を考えるにあたり、動力船の出現は大きな画期であることは間違いない。海での流通を特に重視する必要が生じるのも、この時期からだろう。もちろん、それ以前から海は流通の重要なルートだった(陶磁器などの流通を見ればよくわかる)が、その重要度が格段に上がったと見るべきであろう。



なお、フランスに帰ったルイは、中東で目にしたイスマーイール教団の堅固な山城に強い印象をうけ、たとえばカルカソンヌ城を大改修して、西欧に本格的な城郭要塞都市を生みだすことになる。(p.239-240)


西欧の様々な文化や技術はこの事例のように、中東からのインパクトによってもたらされているものが頗る多い。西欧にオリジナルなものを見つけることは、なかなか困難でさえある。



 ひるがえって、その大元ウルスは、「中華」という枠組みでいうならば、小さな中華から大きな中華への大転換をもたらした。(p.293)


中国の王朝の支配領域を見ていくと、意外と(?)「大きな中華」と呼べる範囲を治めた時期は短いことがわかる。唐、元、清以降が主にその時期だが、元は漢民族の主たる居住エリアを100年にも満たない期間しか治めていない。中国のエリアは広さの割に意外と人が居住できる場所は狭いのだが、そうした条件があるために、防御には適しているが外部には膨張しにくいという地理的な要因があるのかもしれない。また、朝貢など周辺諸国に対して自治を認めてきたことも、こうした要因と関連している面があるのかもしれない。



 1838年から42年の第一次アフガン戦争においては、一万を超えるイギリス侵攻軍をアフガン遊牧軍が全滅させるほどであった。ほぼ同時期のアヘン戦争において、イギリスは周知のようにダイチン・グルン側を簡単に屈服せしめる。かたや険阻な山岳戦、かたや圧倒的な戦力差のある海上戦が主だったとはいえ、アフガン軍の威力が知られる。19世紀にあっても、展開力と攻撃力にとむ遊牧騎馬軍団は、近代武装の歩兵軍と十二分に対抗できたのである。(p.319)


戦闘というのは、どのような場で行われるかということも重要であり、シチュエーションを抜きにして「純粋な強さ」を比較してもあまり意味はない。ただ、「かつては圧倒的に強力だった遊牧騎馬軍団も19世紀頃になると一方的に負けた」というような印象を持ってしまいがちであるが、それは誤りであることがわかる。

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