アヴェスターにはこう書いている?
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杉山正明 『興亡の世界史09 モンゴル帝国と長いその後』(その1)

 ひるがえって、1920年のいくらか前、そしてすこしく後、ユーラシアに存した幾つかの帝国があいついで消えうせた。(p.18)


モンゴルの大帝国が分裂した後、ユーラシアに幾つかの帝国の基礎が築かれ、それは紆余曲折をへながらも20世紀初頭まで存続したとされる。言われてみればそうかな、と思える指摘である。

ただ、モンゴルの影響を強調するあまり、イランの地におけるササン朝やアッバース朝、ビザンツ帝国などの位置づけが軽視されているようにも感じられる。モンゴル帝国以前にこれらの、比較的広大な地域を治める帝国が存在しており、そうした基礎がなくてはモンゴルの分裂後の幾つかの「まとまり」の形成も異なったものになっていただろうことは、もう少し強調されて然るべきではないかとも思う。

16-17世紀頃に萌芽が見られ、19世紀頃に急速に展開した「国民国家」の権力によって、古い時代から存続しており、モンゴル帝国の遺産を多かれ少なかれ引き継いだ諸「帝国」は、第一次世界大戦の頃を境として帝国としての存立が不可能となったという点は参考になるものを含んでいる。



 当たり前のことだが、世界史は海陸を問わずに展開した。時代を逐って重要性をます「海への視線」も大切だが、「陸での論理」も不可欠である。だが、たとえば、スキタイ・匈奴以来、歴史を貫く滔々たるユーラシア国家の伝統などはもとよりのこと、モンゴル時代とそれ以降のアフロ・ユーラシアの総合的把握についても、西欧中心主義の従来型歴史像は、しかるべき知識の集積、分析の視角、歴史の全体像への見通しなど、ほとんどを欠いている。つまるところ、西欧の拡大と、それによる「世界の統合」というゴールに落ち着かせればよしとする構造になっている。
 それは、今から100年ほど前に、ヨーロッパ、ことに西欧で体系化された枠組みにそのまま依拠しているからである。・・・(中略)・・・。
 もちろん、これでいいわけがない。だいいち、時と思考が19世紀末でとまっている。従来型は、20世紀になってからのことを「現代史」として別枠扱いにして、つぎ足した。「現代史」の部分は、各国の利害が錯綜し、なかなか世界史にならない。だから、なんとなくボンヤリと尻すぼみになる。つまり、歴史と現在がつながらない。
 ところが、「現代史」はもとより、「現在史」も、過去の歴史からの延長線上にある。それどころか、第一次大戦の終了より現在にいたるまでの約90年ほどの間についても、歴史の文脈はまさに生きている。たとえば、さきに触れた「帝国史」の流れは、依然として今もなお、滔々とつづいているかに見える。
 すなわち、ロシア帝国はソ連から現ロシア連邦に、オスマン帝国は現在も混沌たるままの中東に、ダイチン・グルン帝国は中華民国をへて現中華人民共和国に、ティムール・ムガル連続帝国は現インド、パキスタン、アフガニスタン、中央アジア諸国という不安定な枠組みに、そして「ドイツ国民による神聖ローマ帝国」は現ドイツさらにはEU全体に、それぞれ正負両方の影を濃密に落として、今という時代がつきすすんでいる。「帝国」めいたかたちを保持するもの、混迷のなかに大いなる変貌の可能性を秘めるもの――。いずれにしても「帝国の記憶」は、現在と今後への見逃せない動因でありつづけている。(p.28-29)


次第に台頭してきた「海洋史観」に対する批判を含むが、それ以上に、従来の西欧中心主義的な歴史観は、それがパラダイムとして確立した19世紀末で思考がとまっているという指摘は鋭い。「現代史」はそれに接木されて収まりが悪い点の指摘も納得。



のちに述べるように、イタリア半島を中心とするいわゆるルネサンスなるものの本格的な展開、そして14世紀になって急速に活発となる地中海交易と航海技術の進展とは、実はモンゴル帝国そのものからの直接の刺激もふくめて、この特別の時代環境と物心両面からの影響なくしては到底ありえないものであった。(p.32)


同意見である。モンゴル帝国による緩やかな政治的な統合が「13世紀世界システム」を実現させ、そのシステムの作用の副産物としてルネサンスなどの活動が生じたと見ることができる。



 また、中東にあっては、モンゴルによるアッバース朝の消滅と、それにともなうイスラームなるものの相対化はもちろんのこと、モンゴルのフレグ・ウルスが統轄する広義のイランをはじめ、現在のアゼルバイジャン、アフガニスタン、トゥルクメニスタン方面、およびそれ以東の地は、ペルシア語文化を主体とする「東方イスラーム圏」となり、モンゴルと対峙したマムルーク朝がおさえるエジプト以西がアラビア語文化の「西方イスラーム圏」となりゆく形勢がさだまった。いずれも、現在に通じる現象であり、さらにテュルク・モンゴル系の軍事権力が中核となって「イスラーム国家」なるものがつくられるパターンも、ここでゆるぎなくなった。(p.33)


マシュリクとマグレブの区分が、「順モンゴル」と「対モンゴル」のような位置づけで捉えられている。なかなか興味深い指摘。一考に値する。



 それでも、近年かつてとは格段にちがう水準とひろがりで、研究が急展開している。しばらく前であれば、当たりまえとされていた「大事実」が、いくらでも廃棄処分になっている。「新事実」の提出は、大実証・中実証・小実証いずれのレヴェルでもふんだんに見られる。率直にいって、牽引するのは日本である。世界史の根本にかかわる分野で、日本発の歴史像がスタンダードとなるのは、おそらくはじめてのことだろう。
 ただし、それが可能となったのは、政治・国境・史料の壁がとりはずされたここ20年あまりのことである。中国の開放政策、ソ連の崩壊、東欧の民主化をはじめ、ユーラシア中央域の相対的自由化、アフロ・ユーラシアのかなりな国々にみられる引き締めの緩和と政治的・歴史的タブーの減少、さらにはいわゆるボーダーレス化・グローバル化のプラス面として調査・研究・閲覧・交流などの便宜の良化といったことが挙げられる。ようするに、世界情勢の変化の賜物である。逆にいえば、そのくらいモンゴル帝国とその時代にかかわることについては、旧ソ連圏を筆頭に、嫌悪・禁忌・拒否の姿勢が色濃かった。そうしたことの根底には、作られた負の遺産としての虚構のイメージがあった。
 モンゴル帝国については、昔から中華文化人やムスリム知識人たちは悪口がふつうだった。それは、みずからを「文明」とし、他者を「野蛮」とする定型パターンにくわえ、自分たちはモンゴルの被害者であったといいたい気分がそうさせがちであった。事実においては、中華文化はモンゴル時代においてもっとも輝いた。また、イスラーム近代の低落と苦難は、自分たちのせいではなく、モンゴルの破壊のためだとする主張も、実はまったくの虚像・すりかえであることは明白となっている。自尊とさげすみによる「なぐさめの図式」は、人間社会によくあることであり、むしろ後世の歴史家・思想家などがこうした伝統的な言説を真にうけるほうが奇妙だろう。(p.36-37)


昨今の歴史学をめぐる状況について、モンゴル帝国とその時代の研究において、日本の歴史研究者たちがリードしているというのは興味深い。研究するための基礎的な素養としてのの語学の面で、欧米の研究者よりも有利な点は一つの要因だろう。

モンゴル帝国に対して作られてきたマイナスイメージに対する批判も、本書や最近のモンゴル帝国研究ではしばしば強調される。中東の美術史などの領域でも、「モンゴルによる破壊」が強調される文献にしばしば出会った事があるので、それらはどのように書き換えられるべきであるか興味があるところ。

また、ここで批判されている「なぐさめの図式」を、近年の日本における「歴史論議」で政治的に右寄りの人々が持ち出しており、その図式の観点から従来の現代史を「自虐史観」などと非難しているが、歴史学の領域ではヨーロッパやロシアなどでつくられた「なぐさめの図式」を批判している人が多い地域で、一般人や歴史学者ではない文筆家たちが積極的に「なぐさめの図式」(自慰史観)を主張しているというのは、皮肉なものがある。歴史学者たちには、素人による「なぐさめの図式」をもう少し正面から批判してほしいものである。

もちろん、右派たちの「なぐさめの図式」が知的には取り上げるに値する価値がないことは重々承知ではあり、そこにコミットすることが政治的な立場を表明することにも繋がるなど、阻害要因があることも理解できるが、それを乗り越える者がもう少し出てもよいのではないか。

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