アヴェスターにはこう書いている?
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岡田英弘 『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』(その1)

 「歴史」という言葉は、漢字で書いてはあるが、中国語起源のものではない。現代中国語で「歴史」(リーシー)というのは、日本語からの借用である。日本語の「歴史」は、英語の「ヒストリー」の訳語として明治時代に新たに作られた言葉で、それを1894~95年の日清戦争の後、日本で勉強した清国留学生たちが、中国に持ち帰ったのである。(p.82)


英語やドイツ語などの欧米から取り入れた概念の多くは、これと同じように日本から中国に入ったものが多いようだ。

いわゆる欧米列強は中国を目指して東の果てまで来ていたはずなのに、当の中国の人々は、欧米の世界で流通していた概念をあまり直接は取り入れていないというのは興味深い。その原因は何か?



 今のところ、夏国の遺跡や遺物と確認されるものは見つかっていないが、東南アジア系の文化を北方に持ち込んで、後世の中国文明のもっとも古い基層を作ったのは夏人で、南方から水路を舟で上って来て、舟の着いた河南の各所に都市を建てたのだろう。大洪水の伝説も、「卵」から生まれた「蛇」の国造りの物語も、最初の都市国家が、水と竜に関係の深い、東南アジア系の人々(東夷)の建設したものであったことを示している。(p.90)


筆者によると、長江より南の川は「江」と呼ばれるが、これはタイ語であり、また、南方の中国人の言語にはタイ語の痕跡があるという。

中国の南方と東南アジアの地域に住む人々は、古代から深い関係があったということ。



 以上の「殷本紀」の物語から見ると、殷人が北方の狩猟民(北夷)の出身であることは疑いない。女神が野外の水浴の場で、天から降りてきた鳥の卵を呑んで妊娠し、男の子を産むというのは、北アジアの狩猟民や遊牧民に共通の始祖伝説の型である。女神の名前も狩猟民を意味する簡狄である。殷が実在した都市国家であったことは確かであるが、恐らくモンゴル高原から山西高原を通って南下して、河南の夏国を征服したのであろう。(p.91)


神話や伝承には共通のパターンがあるということから、人間集団の関係を推定するのは興味深い方法。



 しかし司馬遷の主張とは裏腹に、『史記』自体の叙述を素直に読めば、五帝は神々としか思えないし、最古の王朝になっている夏は、東南アジア系の文化を持った「東夷」であり、その夏を征服した殷は東北アジア系の狩猟民「北狄」であり、殷を征服した周は北アジア系の遊牧民「西戎」であり、その周を征服した秦も同じく西戎である。つまり、前221年の秦の始皇帝による「天下」の統一以前には、中国と呼べるような世界がまだなかったばかりか、中国人と呼べるような民族も、まだなかったことになる。(p.96)


秦による「天下」の統一があっても、「中国人」と呼べるような「民族」が登場するわけではない。支配層がどの地域やどのような文化圏の出自であるかということと、その支配者達に支配される側の人々が同一の出自をもつと考える必要は全くないし、一つのグループをなしていると見る必然性すら全くない。



 この「正統」の観念のもう一つの表れは、時間の数え方である。君主の在位年数を基準にして年を名付ける年紀法では、即位の年(即位称元)、もしくはその翌年(踰年称元)を元年とするが、これは君主が時間の支配者であることを示す。(p.99)


元号にはこうした象徴的な意味が付されているのか。






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