アヴェスターにはこう書いている?
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ガブリエレ・クレパルディ 『ルノワール 陽とバラの肌』

 ルーヴルでの模写生や陶器の絵付師として長時間を過ごした修行時代まで、ルノワールはギリシア・ローマ、イタリア・ルネサンス、18世紀のフランスをはじめとする古典美術から着想を得ていた。イタリア旅行後はそうした美術への言及が増して、その後の作品を特徴づけることになった。不朽の名作をきっちり引用して、日常生活から取られた単純な場面や主題に気品を添えることで、ルノワールが<日常の永遠性>と呼んだものが現実のものとなった。(p.83)


本書を通して得られ、強まった認識は1881-1882年のイタリア旅行がルノワールの作風の変化に大きな意味があったということである。



 画家活動の最初の20年間にはルノワールの絵に好意的な論評は数えるほどで、しかも短いものであり、あからさまな嘲笑ではないにしても、やはり酷評のほうが上回っていた。しかしルノワールは死後に注目の人物となって、コレクターには人気が高く、評論家には賞賛され、画家たちからは尊敬された。画家たちは彼のなかに巨匠の姿を見ていた。彼はアカデミー風の絵画が課した厳しい束縛を断つのにあずかって力があり、様式と表現の新生面を切り開きながら、現実への異なる手法を実験した。・・・(中略)・・・。しかし同時に、とりわけ第一次大戦中には、そうした画家たちは、ルノワールの詞的で優美な世界は決定的に過去のものとなり、新生ヨーロッパの現実は根本的に変わったことを思い知った。(p.126)


本書によると1880年頃に「まずまずの批評を受けるようにな」(p.52)り、1890年頃の「50歳で揺るぎない評価を得」(p.88)たとされる。

これによると、1860年頃から80年頃までは否定的な評価が優勢であり、80年代頃に肯定的な評価が次第に優勢になっていき90年には揺るぎない評価を得たが、1914年頃にはルノワールのような優美さよりも不安などを表現する画風が好まれるように変わって行ったと見ることができる。

上記の期間は、ホブスンによりヨーロッパ列強による帝国主義の時代として規定されている時代に相当しており、フランスの植民地帝国が形成されていったのは1870-1871年の普仏戦争以後であり、第一次大戦までの期間であることに鑑みると、この時期に新たに富を得た新興の市民層がルノワールの購買層だったとすれば――上昇的で前途洋洋たる社会層が優美な印象派的絵画を求め、それを購買するだけの力があったということは――整合的であるように思われる。これはまだ私の知識が不十分であるため検証できていないが、自分なりの仮説として提示しておく。(美術史でこの時代のフランス絵画などを専攻している人なら機知の事柄なのであろうが。)

デュラン=リュエルなどの画商がどのようにして富を獲得し、また、買い取った絵を誰に売っていたかということが分かれば、この問題はほぼ解決できるであろう。


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