アヴェスターにはこう書いている?
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佐藤優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その2)

 色丹島、択捉島に本格的ディーゼル発電機が供与され、両島での電力問題は基本的に解決した。これまでの電力調査で、国後島の電力事情は、残り二島に較べればマシなので、ディーゼル発電機供与の順番は後回しになった。
 このことに国後島の住民は不満を抱き、「日本政府はなぜ国後島に差別待遇をするのか。ディーゼル発電機が欲しい」という声も聞かれるようになった。裏返して言うならば、ロシア系住民が日本に対する依存度を強めてきたということだ。(p.226)


ここに見られるように、不満と依存は表裏一体的な関係にある。

日本国内に目を向けても、政治や官僚への不満が渦巻いているが、これもまた他者への依存の表れである。

もちろん、不満があっても単なる依存ではない場合もありうるが、それはその人が何らかの具体的かつ効果的なアクションを起こしているかどうかによって見分けることができる。それが欠けている場合は「単なる依存」であり、アクションがある場合はそこに積極的にかかわっているがゆえに単に「依存」として切り捨てられない要素があるということである。



 情報専門家の間では「秘密情報の98パーセントは、実は公開情報の中に埋もれている」と言われるが、それを掴む手がかりになるのは新聞を精読し、切り抜き、整理することからはじまる。情報はデータベースに入力していてもあまり意味がなく、記憶にきちんと定着させなくてはならない。この基本を怠っていくら情報を聞き込んだり、地方調査を進めても、上滑りした情報を得ることしかできず、実務の役に立たない。(p.241)


記憶にきちんと定着させる必要があるというのは、なるほどと思わされたところ。私の場合、ニュースなどをブログに記録することである程度のデータベース化を行っていたが、細部まで記憶しているかというとそうでもない部分も多い。記憶に定着させる技術をもう少し磨く必要があるかもしれない。年齢とともに記憶力は弱くなっているが。

また、「新聞」の切り抜きするというのも興味深い点である。ネット上では新聞はテレビと並んで「マスゴミ」などという中傷用語で非難の対象とされ、「偏向」しているとして非難されることが多いが、情報のプロはその「新聞」をこそ活用しているということである。

新聞であれテレビであれ、そこに表現されたことが理論負荷的であることなど、そもそも自明であるが、大多数の報道は何らかの根拠を持って報道されているため、完全に自由な創作と異なり、理論負荷が可能な範囲が限られる。それに対して、「ネット論壇」でのマスコミ非難の多くは、要するに自分の気に入ったとおりの報道がなされない、ということでしかなく、「個人的な思い入れ」や、「イデオロギーによって言語的に反復されることによって正当であるとの感情が増幅された感情/信仰」という強度に理論負荷された極端な立場からの不満を垂れ流しているにすぎない。

もちろん、その中には正当な批判と言いうるものもないわけではないが、報道に理論負荷がなされていることは当然であり、それがなぜ、どのような立場から理論負荷されているかを見極め、そうした理論負荷された前提となる理論と現実との差異がどのようなものであるかを理論的ないし実証的な根拠に基づきながらより分けていこうとする姿勢が見られるものは多くない。(私はナイーヴに「物事そのものDing an sich」があるなどと考えているわけではない。ここでは反省を(補助的に)用いながら「システムの作動」を捉える際の作法を一般的な言語で表現しただけである。)本来、こうした作業こそがなされるべきことであろう。その意味では佐藤優が言っていることはさすがに元実務家だけあって、私としても共感できるものである。



そして私なりに調査をしたところ、三井物産の対露情報の手法は明らかに満鉄(南満州鉄道)調査部の伝統を継承しているという印象を得たのだった。(p.241)


こうした歴史的な手法の継承は大変興味深いものがある。



 国策捜査は「時代のけじめ」をつけるために必要だというのは西村氏がはじめに使ったフレーズである。私はこのフレーズが気に入った。
 「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」
 「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」
 「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」
 「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行われてきた、否、それよりも評価、奨励されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」
 「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ
 「僕からすると、事後法で裁かれている感じがする」
 「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきているんだ。・・・(中略)・・・。」
 ・・・(中略)・・・。
 「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。・・・(中略)・・・。」
 「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ
 「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」
 「それじゃ外交はできない。ましてや日本のために特殊情報を活用することなどできやしない」(p.366-368)


ここは本書のハイライトとも言うべき箇所の一つであろう。「一般国民」の基準で適用基準が決まらなければならないというのは、法律については、ある程度考慮される必要がある要素である。

しかし、その「一般国民の基準」なるものは誰がどのようにして、どのような権限に基づいて判断するのかという問題がある。実際問題として検察庁にこの解釈権があるようであり、その点に恣意的な判断が多分に入り込む余地があり、ここに国策捜査の危険性があるといってよいだろう。

「一般国民の基準」なるものを行政側がある程度恣意的に判断することが許されるとして――また、現実問題としてそうした裁量権は多少は残らざるを得ないだろうが――その解釈が「一般国民」に対して適用されるような法律であれば、私はそれほど大きな問題ではないと思っている。例えば、税法や道路交通法などであれば、多くの「一般国民」が適用対象であり、行政側の解釈が「一般国民の基準」とのズレが大きい場合、世論や政治家から行政側の解釈の変更が迫られるチャンスが比較的大きい。しかし、そうでない場合、すなわち、「一般国民」が当事者にならないような法律の解釈について行政が恣意的な判断を下した場合、それを制止する権力が存在しないということは大きな問題であるように思われる。

こうした観点からこの対話では佐藤優の意見に理があると言える。そして、ワイドショーや週刊誌の論調では外交はできないといことにも同意する。そしてこれは、外交のみならず行政が行う事柄に広く当てはまると考える。



問題はその先だ。なぜ、他の政治家ではなく鈴木宗男氏がターゲットにされたかだ。それがわかれば時代がどのように転換しつつあるかもわかる。私は独房で考えをまとめ、それを取り調べの際に西村氏にぶつけ、さらに独房に持ち帰って考え直すということを繰り返した。
 その結果、現在の日本では、内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり、その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので、どうも国策捜査の対象になったのではないかという構図が見えてきた。(p.373)


なかなか説得力があり、納得させられる箇所である。

ハイエク型傾斜配分路線は既にかなり浸透してしまったのだが、世界同時不況によりこれへの見直しが検討され始めているようにも見えるが、ハイエク型の新自由主義勢力も一方では騒いでおり、この観念の一部は既に人々の間に根強く根づいてしまっているものがあるため、危険は去っていない。また、排外主義的ナショナリズムも安倍晋三の首相就任期の前後からマスコミなども抑えた論調になってきているように見え、過激な排外主義者たちの意見も取り上げられることが少なくなってきた感があるが、諸外国と異なり、日本では露骨な排外主義的発言を公的な場で行うことが禁止されていないため、まだ危うい状況にあることには変わりない。

この不況期に人々のものの考え方に大きな変化が生じ、幾らかでもまともな方向に舵が切られていくならば、不況をさえも私は歓迎したいところである。



 「西村さん、僕が言っているのは、個々の事例を超えた、いわば空気の問題なんだ。自国の外交官がだらしない、国を売っているという声が出てくるときは、その背景に必ず排外主義的ナショナリズムの昂揚があるんだよ」(p.380)


なるほど。

同様に厚生官僚(福祉行政)がだらしない、国民の側に立っていないという声が出てくるときは、その背景には必ずハイエク型傾斜配分主義(新自由主義)の昂揚があるとも言えるかもしれない。

ま、これを誤って特定の主体があるものとして原理主義的に適用すると陰謀論になってしまうのだが、あくまでも「空気の問題」すなわち、私の用語法で言えば「意味空間」の問題であり、その意味空間は必ずしも特定の勢力や社会層に帰属させる必要性はないという点には留意が必要だろう。



同一犯罪者の手口はだいたい同じなんだよ。(p.398)


納得。

私の知る某犯罪者も同じ手口で捕まっているし、別の執行猶予中の人物も同じような事件を繰り返している。

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