アヴェスターにはこう書いている?
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ジョルジュ・タート 『十字軍 ヨーロッパとイスラム・対立の原点』

ビザンティン帝国は同じキリスト教の西欧よりも、長い交渉の歴史をもつイスラム帝国にむしろ親近感を感じていた。コンスタンティノープル総主教のニコラス・ミスティコスは、10世紀初め、イスラムのあるアミールにこう書き送っている。「この世界には2つの最高権威があります。ひとつはイスラム教徒のもの、もうひとつはローマ人のもので、世界はこれらの権威から放たれる輝かしい光で満ち満ちています。」(p.30)


親近感というのもそうだろうが、10世紀以前の西欧など、ローマ(ビザンティン)から見れば、対等に相手をするような地域でもなかったであろう。

西欧はカール大帝の時代(8世紀末)に、聖地に対する精神的な保護権をアッバース朝カリフから認可されていた。そこで、イスラムの領土であってもエルサレムへの巡礼は自由であり、道々にはホスピス(巡礼者たちの宿泊施設)も整っていたので、時には大規模な巡礼団が組織されたこともあった。(p.35)


この文章の「西欧」が何を意味するのかは不明瞭である。フランク王国なのか、ローマ教皇庁なのか?いずれにせよ、エルサレムがアッバース朝からセルジューク朝の支配下に入ったことにより、エルサレムへの巡礼がしにくくなったことが「十字軍」の口実として使われたことは確かである。

初期のイスラム社会では、神学も世俗の学問もすべてモスクで教えられていたが、11世紀には、セルジューク朝によってマドラサとよばれる国立の教育宣伝機関がつくられた。ヌール・アッディーンはこれを各地に増設した。マドラサはスンニ派の法学教育機関であり、スンニ派教義およびジハード思想の普及のための重要な拠点となった。(p.92-93)


本文中、「国立の」というのだけは大いに疑問があるが、マドラサが11~12世紀に急速に普及したことは間違いない。本書が提示している論点で興味深いのは、それが十字軍に対抗する「ジハード思想」を普及させたという点である。

贖宥、もっと正確には全贖宥――犯した罪のために受ける贖罪の全面的免除――が、クレルモン公会議で教皇ウルバヌス2世によって初めて承認され、買収や寄付の対象になった。(p.182-183)


十字軍のイデオロギーにおいて「罪の許し」が得られるということが一つの重要なファクターとなっていた。この事実は大変興味深い。ウルバヌス二世はかなり周到に侵略戦争の準備をしていた。
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管理人の承認後に表示されます 【2014/01/01 16:27】

西暦1096年 - 十字軍遠征はじまる

ローマ教皇ウルバヌス2世はクレルモン公会議を開き、聖地エルサレムをイスラムから奪回すべく、1096年、第1回十字軍の遠征がはじまる。第2回遠征以降は失敗が続いたが、東方貿易でイタリア諸都市が潤う。 ぱふぅ家のホームページ【2013/12/26 18:55】