アヴェスターにはこう書いている?
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山之内靖 『日本の社会科学とヴェーバー体験』(その1)
「第一章 総力戦・グローバリゼーション・文化の政治学」より

本書では、日本におけるヴェーバー社会学の紹介のされ方に眼を配り、それがいかに大きく時代状況によって左右されていたかを検討すること、ここに主眼の一つが置かれている。
 ここで時代状況と言う場合、念頭におかれているのは第二次世界大戦のことである。日本のヴェーバー研究がその基礎を構築したのは他ならぬ第二次世界大戦の最中であった。このことは偶然といって済まされる問題ではない。総力戦として戦われた第二次世界大戦において、人々は民族の存在そのものに関わる危機へと連れだされ、生きるか死ぬかの淵にたたされた。総力戦においては、銃弾が飛び交う最前線だけでなく、市民生活全体が戦争遂行の道具となりいることを強制された。学問もまた、その例外ではあり得なかった。学問はいまや、象牙の塔として世俗の外部に立ち、そこに超然と構えることはできなくなったのである。総力戦状況は社会科学者の生のあり方そのものを脅かし、あるいは転位させる――場合によってそれは思想的転向として結果した――という事情と深く関わりながら、社会科学の性格を変質させていった。本書が第三部「ヴェーバー研究のパラダイムチェンジ」だけでなく、第二部の「総力戦からグローバリゼーションへ」を含むものとなったのはそのためである。日本のヴェーバー研究は、総力戦状況が強制する学問の変質とシンクロナイズしながら日本の知の世界に強固な基盤を築いていった。(p.8)


本文では、日中戦争が開始された頃から思想統制が厳しくなりマルクス主義へのコミットができなくなっていった頃、ウェーバー研究が盛んになっていくという流れが指摘されるのだが、これは興味深い事実であった。

また、山之内の「総力戦」という捉え方についても――主に、いわゆる「短い20世紀」をこのように規定していると思われるが――大いに参考になるものがあった。どちらかというとこうした総動員体制的なものは、「国民国家」の成立とともに、それの権力的な機能として捉えられていたように思うのだが、山之内のように逆に「総力戦」を前景に出して理解し、そうした要求に応えるシステムの一部が「国民国家」として表象されてきたと考える方が妥当であるように思えてきた。

その動員力は主に通信および交通に関わる技術の展開と権力機構としての官僚制機構が巨大化していくことによって、第一次世界大戦に見られるような「総動員体制」として私的な領域にまで公的な権力が介入ないし浸透しうるようになり、このような動員力の存在が顕在化したと捉えられる。



 グローバリゼーション時代の社会科学は大きな変質の時期を迎えているのであり、その過程で、人権概念は民族自決権や国家主権から切り離されて国際人権レジームとして再構成されつつある。この概念上の再編成が、現実には、アメリカを中心とする覇権国家連合体の圧倒的な軍事力を背景としていること、このことを見落とすわけにはいかない。二つの世界大戦とその動員体制が用意した国民国家的統合は、その軍事力ともども、グローバリゼーション時代の世界システムへと遺産継承されるのである。私たちがシステムの限界を問うとするならば、このようなスケールの展望を視野に収めたマクロ理論が要請されるのである。(p.31)


いわゆるグローバリゼーションについて90年代にはボーダーレス化とか国民国家の解体といったようなスキームで語られることが結構あったのだが、90年代にも山之内のような見方をしていた人物がいたということは銘記してよいと思う。

私としては――90年代から00年代初頭のことだが――80年代に「多国籍企業」と呼ばれていた企業群が、実は利益を出自国に集中させる傾向があり、グローバルなものというよりはナショナルな形で利益を配分しているという実証研究などを踏まえて、そうした浅はかな「ボーダーレス化」とか「国民国家の解体」といった議論とは距離を置いてきた経緯がある。

その後、グローバル化と呼ばれるものは「金融のグローバルな自由化」として捉えなければ事態を捉え損ねるということに気づくようになってきたのだが、山之内のここで議論は私のこうしたグローバル化に対する認識をさらに一歩深めてくれるものであるように思われる。

金融グローバル化によってグローバル化を捉える場合、経済政策や財政政策、企業の動向などを捉えるには適しているが、言説や政治の動きを捉えるにはそれだけでは十分ではなかった。言説や政治的な面での動向を捉える際には、山之内がここで示しているような「国民国家体制」が用意した権力機構の活用可能性の問題が生きてくるように思われる。

いずれにせよ、この点は本書で何度か繰り返されているが、私にとっては一つの収穫であった。



「第二章 日本の社会科学とヴェーバー体験――総力戦の記憶を中心に」より

日本の社会科学者は、アメリカ化されたヴェーバーが紹介されるよりもはるか以前に、自力でヴェーバー社会学を吸収していたのであり、ヴェーバーの方法を駆使してすでに多くの研究成果を産みだしていたのです。しかし、そのことは、ドイツではまったく知られないままでした。日本のヴェーバー研究が並みのレヴェルではないらしいことにドイツ人が気づくのは、やっと1980年代になってからのことでした。モール・ジーベック社は1984年からマックス・ヴェーバー全集を刊行しはじめたのですが、驚いたことに、この全集に最も大きな反響を示したのはドイツではなく、アメリカでもなく、実に日本であったのです。日本は、この高価な全集の広告見本について、その三分の二を購入する大マーケットだったのです。(p.45)


興味深いエピソードである。



 シュヴェントカーは、日本におけるヴェーバー社会学研究を四つの時期に区分しています。ごく初期の受容期(1905年から1925年まで)、ヴェーバーの作品の開拓が進展した時期(1926年から1945年まで)、戦後「第二の開国」期のヴェーバー研究(1945年から1965年まで)、ヴェーバー・ルネッサンス(1970年から1995年まで)、がそれです。
 この全体的な叙述のなかから、総力戦時代の記憶にかかわる筋道に限定してシュヴェントカーの論旨をフォローしてみましょう。
 第一に目につくのは、他ならぬ総力戦時代にである第二期こそが、日本のヴェーバー研究の大きな飛躍の時期であった、とされている点です。(p.46)


シュヴェントカーのMax Weber in Japan(1998)は邦訳されておらず、私は読んでいないのだが、ちょっと読んでみたい本である。

確かに私が持っているヴェーバーの翻訳書についても、戦前の1930年代頃のものが結構あったりすることに改めて気づく。

ただ、私が読んできたウェーバー研究書は、主に大塚久雄らの影響を受けている60年代から70年代にかけてのものと、90年代以降のものばかりである。80年代に出版された研究書や入門書は一冊もない。(私は蔵書をデータベース化しているが、その記録は初版の日付ではなく、私が持っている版の日付で記録しているものがあるので、90年代に該当するものも80年代のものがあるかも知れないし、80年代の業績が文庫化されたものを購入したものはあると記憶するが。)

その点、80年代のいずれかの時点、恐らくは90年代以降のところでウェーバー研究の内容にかなり変化が生じているように思う。そうした意味では、恐らくシュヴェントカーの区分はやや大雑把すぎるきらいがあり、もう一区切り入れるべきであるように思う。

ただ、私はさすがに戦前の研究書などは私は読んでいないので、戦前・戦中期からウェーバー研究の蓄積がかなりなされていたという認識を得たのは収穫だった。もちろん、古い翻訳書の解説などを見れば、ある程度の研究動向は推察できるし、それなりに研究があったことは私も分かっていたつもりだが。

そして、その総力戦の時代にこそ日本ではウェーバー研究が大きく進んだというのは重要な認識であり、収穫であった。



価値判断論争への関心が高まったのは、大学のなかでも学問への政治の介入が避けられなくなった結果、学者たちは「自らにたいし、また他者にたいし、イデオロギー的立脚点を釈明」しなければならなくなったという事情が関連していたからである。これを消極的理由とするならば、第三領域(※引用者注;アジア社会論)が関心を引いたのはより積極的な理由によっていました。というのも、アジア地域における日本の帝国主義的占領が拡大するにつれて、「アジアの専門家だけではなく、社会学者、歴史学者、経済学者が後期ヴェーバーの宗教社会学に依拠してアジア社会への研究に向かった」からに他なりません。
 ・・・(中略)・・・。
 その場合に言う積極的な動機とは、近代化において遅れをとったアジアの諸地域に対し、近代化に成功したアジア唯一の先進国として――教師ないし指導者として――貢献するという理念だったのです。・・・(中略)・・・。
 この理念に基づいて、多くの社会科学者は日本における近代化の成功を語り、それとの反射において、アジア社会の停滞を問題としました。ヴェーバーの一連のアジア社会論との熱意に溢れた取り組みは、日本の帝国主義的アジア進出と明らかにシンクロナイズしていたのです。これとの関連でいま一つ、注意しておかなければならないことがあります。1930年代の前半にマルクス主義者の間で交わされた日本資本主義論争が、国家権力の弾圧によって1930年代の後半には強制的に停止させられたという問題です。その結果、日本資本主義論争が盛んに行われていた時代とそれ以後の時代のとの間には、社会科学的問題関心の方向性という点で、ハッキリとした断絶が生じることとなりました。・・・(中略)・・・。私が言いたいのは、日本資本主義論争が展開したのは国家権力による批判的社会科学の制圧が完成する以前のことであった、ということであり、ヴェーバー社会学の研究が隆盛となるのは、それ以後のことであったという事実です。(p.47-50)


ウェーバー研究の動向が日本の帝国主義的な展開と関連していたというのは、上記のようにウェーバーが戦前から盛んに研究されていたという事実と付き合わせれば、サイードの『オリエンタリズム』以後の私たちにとっては容易に了解できる点である。(山之内はサイードによるオリエンタリズム批判の対象としてウェーバーが取り上げられている点については批判的であるようだが…。)

ここで興味深いのは30年代に政府の権力的介入(思想弾圧)によってマルクス主義者の間の論争が停止させられ、それに代わって(?)ウェーバー研究が盛んになったという指摘である。山之内はやや婉曲に書いているが、端的に言えば、当時のウェーバー研究は政府の帝国主義的な拡張政策(戦争を含む)に加担する方向性の研究が主流であり、政府の権力を批判するようなモメントは希薄であったといういことを言っていると思われる。そして、その傾向は60年代の戦後の研究にまで尾を引いていたとされているように思われる。



ここで明らかにしておきたかったのは、日本資本主義論争の時点と比べて、その後のヴェーバー学への傾斜が、ファシズムとその時代状況によって深く規定されていた、という事実でした。「マルクスかヴェーバーか」という論点から「マルクスとヴェーバー」という論点への力点の移動は、一見すると日本資本主義論争における講座派マルクス主義の立論――明治維新以後の日本社会について、その根底はなお封建的要素に規定されていると主張する立場――を継承しているように見えます。しかし、出発点においては、大塚も大河内も丸山も、特に講座派に親近性を示してはいなかったと見てよいでしょう。彼らはいずれもマルクスの方法に拠り所を求めて資本主義社会の批判的分析へと向かいました。しかし、ほぼ1937-1938年を境として、彼らは一斉に方向転換します。彼らはいずれも、日本社会に内在する近代化への潜在的可能性を探索する方向へと知的関心を転換してゆきました。・・・(中略)・・・。
 彼らの方向転換を時代状況との関連で検討するならば、それが1937年の日中戦争開始と、それを境とする思想統制の強化と重なっていること、このことに気づかない訳にはいきません。すでに指摘しておいたように、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、ほとんどそれと重なる時期に邦訳されました。
 ・・・(中略)・・・。ヴェーバー社会学、とりわけそのアジア社会論は、こうした「近代による[近代の]超克」路線の形成にあたり、その最も頼りになる支柱となりました。(p.57-58)


この章の中で私にとって一番鮮明にインプットされた箇所がここであった。こうした思想統制とウェーバー研究との深い関係性が認識されたからである。



ヴェーバーはそもそも「近代の主唱者」などではなかったのであり、ニーチェと近い地点にあって近代文明の相対化を強く意識する社会学者だったのです。この点を、日本のヴェーバー学は、そして世界のヴェーバー学も――おそらくカール・レーヴィットを唯一の例外として――長らく完全に見落としてきました。(p.67)


これが山之内の独創的な成果を主張している箇所なのだが、これは行き過ぎとせざるを得ないだろう。いわゆる「近代」に対する批判的なモメントをかつての研究者が思っていたよりもウェーバーは持っていたというのは確かだと思う。それを明らかにしている点で彼の研究には意義があると思う。

しかし、山之内が言うほど強力にウェーバーが「近代」を批判していたならば、第一次大戦に対して最初は無邪気といってよいようなやり方で参加していたのは何だったのか、と言いたくなる。これでは総力戦にそのまま乗っかってしまっていることになるし、「近代」の産物であるといえる「ナショナリズム」についてもウェーバーのスタンスは現代から振り返って断罪するならばややナイーヴなところがある(当時はナチやファシズムの前例がなかったこともあるから、現代における素朴な立場よりは寛容に見ることができるとしても)。「近代的なもの」に対するウェーバーの実際の行動はそれほど批判的ではなかったと私は見る。私は人物の立ち位置を見極める際、言葉よりも行為を重視するのだが、行為の面で見ると、それほどウェーバーは「脱近代」でも「反近代」でもないように思われる。

もちろん、思想的な面でも、アジア社会論には山之内が言うような騎士階層などの要素を盛り込んで見直す必要はあるにしても、オリエンタリズムが全面的に覆ることはありそうもなく、そうした逆転した解釈の可能性は当時の時代に利用できた史料の状況から考えてもありそうもない話であって、「西洋近代」を――歴史的および地域的に他の「文化圏」との比較することにおいては――価値的に高いものとみなすモメントが強く存在することは否定できないと思われる。

表現の仕方の問題かもしれないが、山之内はもう少し穏健にウェーバーの複雑さを語るべきであるように思われる。また、ニーチェとの関連を強調することも戦略的にはあまり適切ではないようにも思う。なぜならば、両者の著作は哲学と社会学(社会科学)に属するものとされており、両方に通暁する人は多くないからである。むしろ、ニーチェ的なモメントとしての騎士階層への共感などを前面に出した方が受け入れられやすかったように思う。

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