アヴェスターにはこう書いている?
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カンパネッラ 『太陽の都』

自分の子どもをつくってわが子と認め養育するために、妻や家や子どもを私的に所有するのは、人間にとって自然なことだと私たちは言っていますが、かれらはこれを否定し、聖トマスのいうように、生殖の目的は個体の維持ではなく種族の維持だというのです。だから生殖は、国家公共のことがらに属し公務であって、個人の私事ではないことになります。すくなくとも、国家社会の一員であるかぎりの個人にしか許されないことです。およそ個々人が誤ったしかたで、大多数の子どもを産み、養育しようものなら、国家社会にとっては破壊的な害悪となります。そこで都の役人たちは、子どもをいわば国家社会の第一の基礎とみなし、聖なる宗教にゆだねるのです。(p.44-45)


「生殖は、国家公共のことがらに属し公務であって、個人の私事ではない」という件は、中国の一人っ子政策を想起させる。共同体の存続を優先し、個人の権利を制限する発想であり、私としては抵抗感を感じる考え方である。

しかし、「およそ個々人が誤ったしかたで、大多数の子どもを産み、養育しようものなら、国家社会にとっては破壊的な害悪となります」というのは、実例となるようなものをある程度知っているがゆえに、これも正しいところがあると感じてしまうものがある。もちろんここで私が想起しているのは、「国家」なるものの利益というよりも、社会にとっての「損失」と言えるような状態が生じることである。

例えば、まともに子育てができない貧困家庭の親が次々に子どもを産み、貧困を再生産しながら、その子ども達が闇社会に関わっていくなどの循環がある。もちろん、貧困であるがゆえに福祉の給付の受給者も増え、教育も不十分であるがゆえに仕事を通した社会への貢献も少ない、といったような状況である。

世界は一つの原理だけが支配することはないということが、こうしたところからもまた確認される。



 またかれらの言いますには、極度の貧困は人間を堕落させ、卑劣・狡猾・泥棒・詐欺・浮浪・嘘つき・偽証などの原因になり、富もまた、傲慢・うぬぼれ・無知・裏切り・冷酷・知ったかぶりなどの原因になりますが、共有制のもとではすべての人が富者にして貧者となります。つまりかれらは、あらゆるものを所有しているがゆえに富者であり、物に仕えることに執着せず、あらゆる物がかれらに仕えるがゆえに貧者なのです。(p.49)


共有制のもとでは、貧者と富者の両方の欠点を補うので問題が小さいのだと主張しているようであるが、果たしてそうだろうか。

制度としての共有制と現実に共有が普遍化していることとは別のことであり、完全な共有状態というものは、現実的にありえないのではないだろうか。物と人のネットワークがランダムグラフのような状態になることを意味すると思われるが、そのような状態になりうるとは想定できないからである。

共有制を採用した場合、建前としての共有制と現実とのギャップがますます問題を悪化させることになりそうである。

むしろ興味深いのは、確かに「極度の貧困」の状態の人々にはカンパネッラが指摘しているような現象が見られる。ただ、貧困が最初の規定要因となり、こうした悪癖が行為の週間として見に突いてしまうことがそこから抜け出すことを困難にしてしまうという悪循環が存在するように思われる。

これを断ち切る方法は単に経済的に貧困をなくするための給付を行うことではないように思われる。もちろん、これは経済的な給付は大きな力を持つ政策であり、それは認めた上での話であるが。

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