アヴェスターにはこう書いている?
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シュムペーター 『経済学史――学説ならびに方法の諸段階――』

いかなる国民においてもドイツ国民に見られるように国家とその機関とが尽きざる関心の対象となったことはなく、いかなる国民の精神生活においてもドイツのように国家が優越していることはない。(p.48)


ここで述べられているようなドイツのナショナリズムは、イギリス、フランス、オランダなどに対して従属的な位置に置かれながら、それに隣接しており、かつ、小邦が分立しているためにそれらの諸国に対抗できなかったという状況において、ドイツという国民国家を成立させる必要に迫られていたその時代のドイツ語圏の支配層やインテリたちの関心を反映するものであるように思われる。

ナチズムが台頭したドイツだけでなく、ファシズムが台頭したイタリアも小邦分立状態であったという共通点には注目すべきだろう。国民統合のためのプロパガンダがそれだけ必要になっていた地域であり、また、統合のための神話として歴史を重視することが「自然な」流れとなる。このあたりについては前のエントリーで書いたでの省略。



しかし科学的な意義と実際的のそれとを常に混同せしめ、また時代の言葉の勝ほこれる宣言と科学的業績との間を区別しないような慣習からは、一度びは交りを絶たなければならないのである。(p.182)


実際的な意義がどのようなものであれ、それが持つ科学的な意義の評価に際しては、それとは切り離して行わなければならない、ということ。また、その時代の時代精神のようなものを反映しているがゆえに受け入れられるというような、時流に乗っていることと、科学的な業績との区別もしなければならない。確かにそうである。ただ、科学的な業績の評価が行われる場も超然とした空間であるところに、その難しさがある。

しかし、そのような困難があるからこそ、こうした区別を理念型的に鋭く区別しておくことは有益であると思われる。



最後に第三に実際問題に携わることが、かの深く掘り下げて行くような分析を排撃した。それは直接にはなんらの実際的問題の解決をもたらさなくとも、認識の進歩のためには全く重要なものであり、政治的関心の横溢しているような雰囲気のなかでは全く繁栄するところのないものである。政治的理想に満たされている者は、特に最善の意思を以ってしても、非実践的なまたしばしば現実には縁遠い研究に対してはなんらの嗜好をもちえず、また全人格を打ち込んでのみ始めて到達されうるような研究のときには、その内面的本質に近づきえないのである。・・・(中略)・・・。純粋に科学的な討議の実践はこのような状態の下では困難ならしめられる。さてこれに対抗して今日のドイツでは一つの反動が始まっている。それは特に社会的生起や実践的方策に関する科学的価値判断の許容性もしくは可能性についての論争に示されており、これには大多数の経済学者が参加している。(p.276)


「政治的関心の横溢しているような雰囲気」が19世紀後半から20世紀初頭のドイツの社会科学を取り巻いており、このために経済学における理論研究が抑圧されたということ。

最後に示されている論争はいわゆる「価値判断論争」のことを指すのだろうか。本書の初版が出版されたのが1914年であることからすると、確かに「今日」である。また、方法論争は19世紀末に盛り上がったものだから「今日」とはいえなさそうである。私としては価値判断論争を指しているものと考えておきたい。この点についてご存知の方がいればご教示願いたい点である。

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