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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

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岡田温司 『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』

いずれにしても、女子修道院と娼婦とは、社会的にも宗教的にもひじょうに強い結びつきがあったのである。しかも娼婦は、いつまでも続けられるというものではない。悔悛せずとも、老いた娼婦には、修道院しか生きる道はなかったにちがいない。(p.101)


これは13世紀頃の社会についての議論だが、確かにそうかもしれない。この引用文の少し前には、修道女と娼婦は、社会的に似たような境遇にあったという指摘もあるのだが、これも一瞬意外な感じがするが、考えてみればそういう社会状況は十分ありうるとも思える。

とりわけトレント公会議の終結(1563年)以降、教会は、宗教画の「適正」にひどく神経質になっていた。16世紀前半の教会に見られたある種の鷹揚さと大らかさは、もはや過去のものとなった。(p.134、強調は引用者)

トレント公会議以後、教会側がもっとも神経を使っていたのは、世俗的あるいは異教的なテーマの絵に対してではない。そんなものは、貴顕たち(そのなかにはもちろん聖職者たちもいる)がこっそりと自分の館で楽しんでいるだけのことだから、それほど目くじらを立てる必要はない。それよりもむしろ、聖なる主題のなかに俗なる要素が混入してくることが、いちばん由々しき問題だったのである。教会にとって、聖と俗の境界線は脅かされてはならないのだ。トレント公会議以後、この境界線はますます厳しく監視されるようになる。(p.140)


この視点は、いわゆる西ヨーロッパの絵画を見る際に参考にしよう。
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