アヴェスターにはこう書いている?
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NHKスペシャル取材班 『激流中国』(その2)

 私たちが取材した他のニュータウンでも、居民委員会と所有者委員会が対立、その結果、居民委員会が主導して別の所有者委員会が立ち上げられたところがあった。この両者の対立を防ぐことはできないのだろうか。
 「結局は、一方が他方に屈服することになるのが中国の実情だ」と舒可心さんは言う。
 「二つの委員会の衝突が表面上は見えないニュータウンも多い。しかしそういうところは、だいたい所有者委員会が金銭を居民委員会に貢いでいたり、所有者委員会が居民委員会のしもべとなって言うことを聞いたりしている。中国では、二つの同じような組織が対等な関係にあるのは極めて難しい」
 共産党の指導に基づく旧来の組織と、住民自らが立ち上げた新たな組織。社会主義を堅持しつつ市場経済化を推し進める中国が、目覚めた市民の意識の高まりをどうコントロールしていくのか――中国は難しい問題に直面している。(p.127)


この文章のすぐ後では、所有者委員会が選挙により新しい委員を選出した後、居民委員会がそれを承認せず、委員への誹謗をニュータウンの入口にある居民委員会の掲示板に書き込んだことにより勝利したことが述べられる。

取材班はそれを目の当たりにして次のように述べている。

 取材をしながらこのとき頭に思い浮かんだのは、かつて中国全土を大混乱に陥れた文化大革命のことだった。政敵を壁新聞で批判し、世論に火を付け、大衆行動で追い落とす――。歴史でしか知らない40年前の亡霊がまるで目の前に立ち現れたかのように感じられた。(p.129-130)


このようなやり方が通用してしまう要因の一つは、人々の教育水準が低いこともあるだろう。中国の場合、最近は大学進学率も上がってきているが、50代以上の人であれば十分な教育を受けていない人が多いのではないだろうか。そうした人々にとっては権力者の側から発せられる誹謗に対して批判的であるよりは、それに乗っかった方が安全であると感じられるが故に無批判的に振舞うであろう。もう少しだけ知的な程度が高くなれば、判断を保留するなどの抑制的な態度もとりやすいと思われるが。そして、話し合い自体も行ないやすい環境ないし雰囲気が醸成されてくると思われる。そうした意味では、あと30年後にはこうした壁新聞による誹謗という手法はだんだん通用しなくなってくるだろうとも言える。

ただ、こうした理由による説明よりは、(上の説明でも少し触れたことだが)居民委員会が実質的に政府の末端機関であり、個々人がそれに敵対するか従順でいるかという選択の問題が基本にあると見るべきであろう。

権威主義的で専制的な統治が行われてきた中国では、行政側に市民と話し合って問題を解決するというノウハウの蓄積が少なく、基本的に力で押さえつけるという手法が染み付いている。やや極端に言えば、そうした方法以外の方法を知らない。こうして力による統治が行われるから、市民の側が政府側と対等の関係であることは難しく、一方が他方に服従するまで闘争が続くことになるのであろう。問題の根は極めて深いといわざるを得ない。



 「私たちはリストラを経験しました。だからこそ、この子には良い大学に入り、安定した仕事についてほしいと思っています。中国では一人っ子ですから、この子が成功すれば百パーセント成功、失敗すれば百パーセント失敗。成功すれば社会の人材、失敗すれば家庭の負担なのです。そして、子供をサポートする親も試されています。そういう意味では、妊娠したときから競争は始まるのです」(p.161)


中国では受験の競争が激しさを増しているようだが、この引用文は親の側から子供に期待をかける動機が良くわかる一節であった。

親が生きる社会の競争の激しさが子供たちの教育現場にもそのまま持ち込まれていると言えよう。親が生きる社会の競争が激しいのは、労働力に余剰がある中国に世界中から投資が集まってきており、投資家が(経営者を中継してではあるが)安価でそれなりに良質な労働力を選別しようとするからであろう。

グローバルな金融自由化が中国の受験競争の過熱の背景にあるのである。

ちなみに、中国の経済というと何かというと「改革開放」と言われるが、この政策は71年のニクソンショック(ドルと金との交換停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制の終了と変動為替相場制突入を宣言したこと)などグローバルな金融自由化への道を世界経済が歩み始めたことを受けて導入されたものにすぎないと見ることができる。つまり、78年の改革開放は71年のニクソンショックの余波にすぎないのである。



 国が推し進めている都市の急激な成長、それによって一気に拡大する豊かさ。その状況下で水不足に対する北京市民の無関心や企業の浪費は、一朝一夕には改善されそうもない。
 しかし、水という資源が限られたものであり、水不足に苦しむ地方の人々がいてこそ、都市の豊かさが成り立っていることは紛れもない事実なのだ。(p.211-212)


これは水資源についての取材のまとめの発言であるが、水に限らず、北京や都市部の豊かさは全体として貧しい地方の苦しみの上に成り立っている。

例えば、地方の教育のない住民達が安価な労働力を提供し続けているからこそ、中国は投資を呼び込むことができるのであり――ちなみに、超富裕層の原因はここにあると思われる――そのおかげで製品や部品を生産し輸出でき、それによって都市住民たちが経済的に潤っているのである。強権的で専制的な政治行政の体制の下では保守的な――すなわち強者の利益を保護(保守)する――政策が行われることになるので、相対的な弱者ほど不利益を被りやすい。

したがって、中国の場合、居住地域による有利さの度合いが大きく異なることと、強権的専制的支配の組み合わせがあるため、こうした「都市による地方(農村)の搾取」は例えばヨーロッパ諸国などと比較して、より顕著であろうと思われる。付け加えると、日本にもこうした構図は存在する。



 内陸でも都市でも、そこに見えてこないのは、環境破壊によって実際に被害を受ける住民たちへの、本物の慮りだ。(p.231)


これこそ、上で私が書いた「保守的」なスタンスを示している。なお、中国はしばしば人権の状況を取り上げられて欧米から批判されるが、それもまた「保守的」だからである。



 共産党の取材に少々緊張していた私たちだが、最初の二、三日間、彼の業務を見るうちに、リラックスしていった。彼の日常業務があまりにもシンプルで、わかりやすかったからだ。
 地方幹部の優先任務は、お金を集めること。あたかも共産党という「企業」の利益を増やすことが至上命題のようだった。象徴的なのは、共産党委員会ビルのロビーにある「投資誘致ノルマ表」だ。日本でいうと役場の建設部や商工部ごとに、資金集めのノルマと達成率が掲示されているようなものだ。
 2007年、望花区全体では18億元、日本円でおよそ270億円のノルマが上部組織の撫順市共産党委員会から与えられている。その達成のため、部下たちがセールスを繰り広げ、国の資産である国有企業や土地の使用権を「売却」し、民間や外国からの資本流入を促すのだ。
 これは改革開放政策が編み出した「社会主義市場経済」の手法だ。
(p.256)


中国の場合、政治権力と経済権力との密着の度合いが非常に高いと私は見ているが、そのことを示すエピソードの一つだと言える。

党・政府はこうやって資本を集め、産業活動を地域で行なわせ、地域の経済を活性化させて税収を上げ、また、産業活動への規制や取締りなどを恣意的に行うことで賄賂を受け取る。



 孫書記はじめ望花区委員会の幹部たちは一様に満足げだったが、その身銭を切る姿に、私たちは“違和感”を感じていた。一党独裁体制を敷く共産党の権限、権威が、なぜ地方ではこれほど極小化しているのか。
 小平以降の指導者のカリスマ性のなさ、後を絶たない汚職事件など、この疑問には様々な答えがあるだろう。しかし、厳然たる貧富の格差を前に求心力は低下し、イデオロギーではない、経済の果実、つまり金で庶民の支持を取り付けるしかないのが共産党の現実なのだろう。(p.260)


住宅からの立ち退きをさせるために、共産党委員会で募金を募り、その金を使って立ち退きを納得させたことについてのまとめ。

「一党独裁体制を敷く共産党の権限、権威が、なぜ地方ではこれほど極小化しているのか」という問いは大変興味深く、現代中国のあり方を考える上で示唆に富む問いである。

私としては、これは共産党の権力が極小化しているわけではないと見る。むしろ、共産党の権力は拡大しているのではないか。というのは、かつての共産党であれば、強権的に立ち退きさせただろうが、強権的な権力を暴力的に行使するというのは、権力行使の最後の手段であって、そのように権力を使わなければならないということは、むしろ支配の正当性が不十分であることを示しているからである。

(没落しつつあるアメリカがブッシュの時代にやたらと直接的な権力発動に頼るようになったり、没落しつつある自民党が小泉や安倍の時代にやたらと強行採決などの強硬手段をとったのと好対照である。)

現在の中国共産党は、強権的に暴力を行使せずとも金の力など別の手段を用いて人々を強制的に動かすことができるようになったということもできるのではなかろうか。

ただ、だからといって中国共産党が安泰ではないのは、経済の果実で民衆を抑えられなくなった場合、民衆側も経済力を高めており、また、教育レベルなども高まっているだけでなく、インターネットなどによって情報が隠蔽しにくくなっているので民衆を分断しにくくなっているため、いざ強権的な暴力で全体を抑えようと思っても難しくなってきているということである。少人数のグループを暴力的に抑えるのは十分できるだろうが、ある程度大きな集団にはあまり有効ではない。やろうとすると、軍隊を大々的に動員しなければならない。

つまり、共産党も権力が弱まっているわけではないが、民衆の力はそれを上回る勢いで上昇しており、「戦力分断して各個撃破」できない状況で民衆を相手取って戦うことは難しくなっているのである。(逆に、ニュータウンの事例のように「各個撃破」できるところでは、まだ強権的にも権力行使できる。)



決裂した交渉を通じて私たちは、改革開放後、強まり続ける企業家の発言力と、低下していく共産党の権威を、目の当たりにした。(p.261)


金というのは権力の一形態である。上の私の言葉を再度アレンジして言えば、民衆・民間の力は共産党のを上回る勢いで上昇しているのである。


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