アヴェスターにはこう書いている?
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鈴木謙介 『サブカル・ニッポンの新自由主義――既得権批判が若者を追い込む』(その3)

 佐々木も池田もそのくらいのことは織り込み済みなのだが、私がここで彼らの議論に注目したのは、ネットで社会が変化するかしないかといったことではなく、その論理構造に共通点があるからだ。つまり、既存のメディア・システム=旧体制の既得権、ネット=新体制という対立図式を前提とし、前者は後者を阻害するが、最終的には後者が前者を駆逐するというのである。そこには前章で見た「あいつらが既得権に居座っているから、本来ならば自分たちに与えられるべき権利と利益が与えられない」という既得権批判と同様の構図が存在していると言えよう。
 ロストジェネレーションの場合、そこでは正社員の座にある年長世代が批判の対象になっていたが、インターネットの世界においては、「情報」の流通を司る様々なアクターが批判の矛先に代入される。マスメディアはその代表だが、作家、評論家、学者、タレントなど、知識産業の「送り手」も、彼らの振る舞いがその地位にふさわしくないものであると判定された場合、似たようなロジックで「炎上」する。(p.106-107)


ネット上でよく見かける「マスメディア批判(正しい言葉遣いとしては「批判」ではなく「非難」というべきだろうが)」もまた、「既得権批判(非難)」と共通の論理構造であるという指摘は興味深く、かつ、正しい。



しかし、ここで取り上げた事例から見えてくるのは、「ネット」という要因が介在すると、どうしても「反権威主義」と結びついた既得権批判、つまり「自分たちが持つべきものを不当に独占している奴らがいる」という主張が顕在化しやすくなるのではないか、ということだ。そしてその主張は、ネットの中で繋がり、広まり、やがて「不当な独占をやめて、平等な競争の機会を確保せよ」という主張へと結実するのである。
 こうしたメカニズムは、ある時に既得権を批判して体制を打倒した者も、後からやってきた別の人々に「お前たちこそ既得権」と批判され、打倒すべき対象に祭り上げられるというサイクルに、私たちを巻き込んでいく。その帰結は、より一層の機会の平等の追求であると同時に、より一層の「流動化」なのである。
 なぜここでも、「不平等」の元凶として何かを批判することが、機会の平等を確保するための構造改革にすり替わり、その結果生じた不平等を是正するために、さらなる機会の平等が要求される、という現象が起きるのだろうか。本来ならば求められていたのは、誰しもが当たり前に求める「平等」や「安定」であったはずなのに、それを要求するほどに、私たちはそこから遠ざかっていく。現在生じている出来事は、そんなどうしようもないほどの泥沼を、私たちの前に開いているのである。(p.121)


重要な問題提起である。

まず、ネットが反反権威主義と結びつきやすいという指摘であるが、その要因の一つとしては、ネットが「不満を表明しやすい環境」であるということが言えるだろう。つまり、対面したコミュニケーションや公的な場での発言のチャンスが少ない中では表明しにくい不満のはけ口としてネットに書き込みをするということである。政府やマスメディアなどのような「権威」に対しては特に直接意見を表明できない(しにくい)ため、そうした不満はネット上に書き込まれることになりやすい。

実際、いわゆる「政治ブログ」などはほとんどこうした類の動機から書かれていると解釈することができる。論理性に乏しい感情論(ナショナリズム的な言辞など)実証性に乏しい陰謀論がネット上で横行しやすいのも、一つにはそのためであろう。

ちなみに、陰謀論的な議論の多くは「被害者意識の表明」であると読むことができる。(その被害者意識はむしろ被害妄想に近い場合も多いが。)だから、特定の誰かが悪者として扱われ、その悪者の意図によって現在の発話者の不遇が説明されるのであり、さらにその仮説を絶対化する(すなわち、認識するのではなく信仰する)傾向が生じるのである。

余談に近いが、ついでに追加すると、もちろん、陰謀論者が設定する悪者から直接の悪影響を受けていない形で陰謀論が述べられることもあるだろうが、「悪者→ある分野での悪い結果→世界に蔓延る悪への不信感≒発話者の世界観」といった漠然とした(論理的には飛躍もある)仕方で受け取られていると読むことができると思われる。

引用文に戻ると、「自分たちが持つべきものを不当に独占している奴らがいる」というのは、まさにこうした陰謀論の一形態であると言えよう。

著者が言いたいのは、そうした「批判」を行うことがさらなる流動化による泥沼化に繋がる悪循環にはまっていくという指摘である。この問題意識は本書を通して一貫して通底している点であり、私も本書を読んで多少なりとも問題意識を深めることができたと思う点である。

私の考えでは、この悪循環が生じる論理的なポイントは「悪者を設定する」という点にある

現在の不遇を説明するときに、「『あいつら』が既得権を持っている」、とするから、形式的には誰にでも適用可能な議論が出来上がるのである。議論の際に「既得権」を定義させること、「既得権」がその誰かに属すると言える根拠を明示させること、その既得権が発話者や不遇な立場の人々の立場を悪くしていると言える根拠を明示させること。この程度の初歩的な議論が広範に行われれば(特に広範な影響力を持つテレビの討論番組などで行われれば)、多少なりとも言論状況を改善させるものだと思うのだが、これまで少なくとも20年かけて形成されてきた「既得権への妬み」に基づく安易な議論を取り除くことは容易ではないだろう。

こうした既得権非難への批判の他に――過度の「わかりやすさ」は警戒すべきだが――人々に現状と近未来についてのビジョンないしパースペクティブを与える言説ないし理論が、現実の変革と相互に作用しながら、今後の「判断のモード」を導いていくようになることを希望する。
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