アヴェスターにはこう書いている?
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ディドロ 『ダランベールの夢 他四篇』
「ダランベールとディドロとの対話」より。

万事につけてわれわれのほんとうの意見というものはわれわれが決して動揺しなかった意見ではなく、しょっちゅう立ち返っていった意見なのだ、ということに君も気づくだろう。(p.29)


なるほどと思わされるものがある。

われわれが動揺しない意見というのは、実際には「自分の考え」というよりも単なる公式のようなものであったり、教義や原理主義などという用語で使われる場合の「原理」ようなものであることが多いように思われるからである。

それに対し、自分の思考が動いているときに、繰り返し立ち返る意見があるとすれば、それこそ本当の自分の意見というに相応しいように思われる。

前者は静的であり、固定的に記憶された「知識」に近いものであるのに対し、後者は思考が動くことを前提しながら、その動きが繰り返し立ち返る場であるという点で、「動的であると同時に構造的」であるからである。後者は散逸構造に近いといえよう。

ちなみに、上の引用文では「本当の」という、ある意味では「怪しげな」言葉(この言葉は、発話者の価値観ないし、価値を置いているものが強く反映してしまう言葉である)が使われているが、それは、恐らく、上記の「散逸構造的な思考の運動」が、「自己同一性」を保つ上で必要な「構造」としての側面を持っていること(これに近いこと)を指示しているものと思われる。





「ダランベールの夢」より。

われわれの口舌では、〔経験した〕感覚をいつも言い表わし足りないか、いい表わしすぎるか、どちらかです。(p.104)


同意見である。

感覚と言葉とは常にズレが生じざるを得ない。

ディドロがこうしたことを的確に射抜いているのは、彼の芸術家的なセンスのなせる業という側面もあろうが、ディドロとその時代のフランスやその近隣諸国における思想は、相当強く「システム」という概念と向き合っていたということに負う面が大きいように思われる。

システムを形成する働きと形成されたシステムを観察する働きとは別のものであり、前者には感覚に発する行為が属しており、後者は観察して述定する働きが属している。後者は前者から派生している。ディドロがどこまで意識的かは分からないが。

いずれにせよ、私が今回、本書を読んで強く感じたことであり、また、大きな収穫だったことは。18世紀フランス(ヨーロッパ)では、「システム」の概念への関心が高かったということであり、ディドロもその例外ではないということである。

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