アヴェスターにはこう書いている?
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正井泰夫 監修 『図説 歴史で読み解く 京都の地理』

 本願寺についてはどうだろう。現在は東本願寺と西本願寺に分派しているが、もともとは親鸞が説いた浄土真宗を伝えようと、1272(文永9)年に創建された大谷廟堂を始めとする寺だった。1438年(永享10)年には御影堂、阿弥陀堂がつくられ、本願寺教団は拡大の途をたどった一方、他宗派の反発も強くなり、ついには比叡山衆徒によって本願寺を破壊されている。その後、山科、大阪へ移建し、1591(天正19)年になって豊臣秀吉が土地を寄進し、再び京都堀川七条へ戻った。これが現在の西本願寺だ。
 ところが、これで治まったわけではない。後継者争いも絡み、今度は徳川家康による土地の寄進を受け、1602(慶長7)年、烏丸六条に後に東本願寺となる新たな本願寺が建立されたのだ。これにより本願寺は東西に分派したことになる。家康には本願寺の勢力を分断させる狙いがあったともいわれている。(p.18)


最後の指摘は大変興味深い。私は宗教という社会現象を捉える際、信仰というものを中心に据えないということは既にブログで何度も述べてきたが、宗教による集団形成は、常に政治的な勢力としての意味も伴うものであって、この本願寺の分派に関する部分は私の見方とかなり合致するものがある。



 10世紀後半になると、平安京に過密と過疎の地域が生じるようになってきた。右京がすたれ始め、逆に左京は特に二条以北には高位の貴族たちの邸館が多く並び立ち、平安京の中心を左京が担うようになり始めたのだ。
 右京の衰退の理由は、人々は太陽が昇る方向、つまり東側へ住み移る心理があるとの説もあるが、実際には右京は湿地が多く、住居地には適していなかったことが大きな原因であったといわれる。(p.48)


京都の地理を見るに当たって、重要な視点であるように思われる。

なお、人々が太陽が昇る方向に移る心理があるとの説は極めてバカバカしいものであり、こんなものが紹介されるのは何故かと言いたくなる。もしこの説が妥当ならば、どの都市でも東側が栄えているだろうし、さらに言えば、どの国でも西側が衰退し東側が栄えることになるだろう。

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