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アヴェスターにはこう書いている?
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杉崎泰一郎 『歴史再発見 ヨーロッパ中世の修道院文化』

とくに十二世紀になると、本部修道院と従属する修道院の間の関係が緊密になり、年一回シトーやクリュニーなどの本部で総会が開かれ、巡察が各支部修道院を回るようになると、情報伝達経路が確保され、各地の状況が少なくとも修道院長レベルには詳しく入るようになりました。(p.106)



この頃、シトー会が「修道会」というネットワーク的な組織形態の原型を作ったようだが、なぜこの時期にそうした形態がとられるようになったかは興味ある問題である。確かに12世紀のユーラシア大陸西端部(いわゆる西ヨーロッパ)は、経済的に豊かで技術や知識などの面でも発達していた、より東方の地域との交流が活発化し、経済的にも反映した時代だったとされる。そのことと関係があるだろうという予測は出来るが、具体的にどのような目的や意図あるいは必要性があって組織形態の変更が行われたのか?

名のある聖人を求める動きはやむことなく、九世紀にフランクの教会や修道院がこぞって多くの殉教者の聖遺物を保有するローマに聖遺物を求めるようになり、これを取引する専門の商人まで現れるほどでした。(p.156)



本書によれば、こうした聖遺物崇拝は「西ヨーロッパ、すなわちラテン・カトリック世界の中世から近世にかけて発展した信心の形態」であるという(p.154)。私見では、そうなった理由として次の点が挙げられるように思われる。

フランク王国など「西ヨーロッパ」の地方には、行政組織を維持するだけの知的経済的な基盤がなく、支配層はキリスト教の協会や修道院の組織を利用せざるを得なかった。その際、支配の正当性を維持する一環として、宗教としてのキリスト教の正当化も必要であった。しかし、西欧にはそれを保障するようなものはなかったので、ローマなど、地中海世界(東方世界にアクセス可能な隣接地域!)に宗教的権威の正当化のためのツールを求めた。だから、ローマやコンスタンティノープルなどから聖遺物を持ってくることで、それを獲得しようとしたと言えるのではないか。

それに対し、東方正教ではビザンツ皇帝の権力が、相対的にも絶対的にも大きかったという政治的理由や、イスラームという一種の宗教改革運動があったことや学問的水準も高かったことために、聖遺物どころかイコンでさえも問題視されるというイデオロギー状況が生じ(※)、聖遺物崇拝のようなものは根付きようがなかったのではないか。

(※)知的水準が高いほど、具体的なモノから遠ざかった象徴をコントロールする傾向が高まる、と考える。具体的なモノである聖遺物より、図像としてのイコンの方が抽象性が高い。図像がない宗教があるとすれば、その方がさらに非具象的ということになろう。

1098年にモレームのロベールが21名の修道士を率いて、ブルゴーニュ東部のシトーに修道院を建てたのが、のちに大きな修道院改革運動に発展する源となりました。
 彼らはクリュニー修道院が祈祷中心の生活を営んで豊かになっていることを「戒律」からの逸脱とみなし、「戒律」どおり労働を修道院に復活させ、貧しさのうちに厳しい修行を行う生活に立ち返ることを目ざしました。
・・・(中略)・・・
 修道士の手で労働し、開墾し、生計を営み、領主的収益を得ないという目的を達するため、シトー修道院は「戒律」にない助修士という制度を採用しました。(p.169-172)



「祈祷中心の生活を営んで豊かに」なるというのは、この文だけを読んだ人には意味不明かもしれない。これは領主などから「寄進」を受けて豊かになるということを間接的に書いているのである。シトー会がクリュニー修道院と異なるのは、そうした政治権力との癒着を生み出す寄進を避けるために、自ら(助修士)の労働によって生計を立てようとした点にあるようだ。「西欧」の地域がある程度、経済的に豊かになり、社会がある程度安定してきたことを反映しているように見える。

政治的な闘争という側面もあったかもしれないが、その点は本書だけからは読み取れない。

この点に限らず、全体に批判的な叙述が少なく、情報としても突っ込みが足りないため、本書を読んでも修道院についてあまり深く理解できない、と感じた。ただ、日本語で読める修道院関係の一般書はそれほど多くないので、今のところ希少価値はあるかもしれない。
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