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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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フェルナン・ニール 『異端カタリ派』

 アルビジョア派異端の地たるラングドック地方は、かなり特殊な様相を呈していた。政治の観点から言えば、トゥールーズ伯という有力な家門の支配する所で、その所領はギエンヌからサヴォアまで、ケルシーからピレネーまで広がっていた。それは豊かで強力な一国、当時の西ヨーロッパとしては最も重要な国の一つであった。・・・(中略)・・・
 これら大領主はとにもかくにもトゥールーズ家の家臣であったが、その従属ぶりたるや、大いに融通の利く有様で、まず何よりも相互の善意の上に成立っていたのである。さらに、これら大領主たちのほうでも、自分の家臣をもっている。テルム、カバレ、ミネルヴ、ミルポア、セサック、その多くの地の領主たちがそれである。多くは難攻不落の砦の主で、実際はこれに拠って思うままにふるまう者たちであった。しかし伯や子が嘗めた苦労の点では、領内の都市の反抗的な住民との抗争にまさるものはなかった。当時、南フランスの都市は、人口も多く、富み栄えていたのである。トゥールーズは、ヴェネツィアやローマに次いで、ヨーロッパ第三の都市であった。古代文明直系の相続人たる南フランス諸都市は、独立の感覚と自由を愛する心を古代から受け継いでいた。住民の選出するコンシュルないしカピトゥールが民主的な市政を執り、領主たちにも自分の意志を押しつけたのである。十字軍の期間、南フランスの大領主たちがどう見ても首尾一貫しない行動をした理由は、おそらくかかる都市の精神の在り方に求めるべきであろう。もちろん社会階級の差は存在したが、越えがたい区分はなかった。不自由身分の農夫にも市民となる機会があり、その子孫がいつか騎士身分になることも望めないではなかったからである。こうした状況のもとで、活発な商業活動、とりわけイタリアの大都市との商業活動は推察するに難くないが、それもまた二神論宗教の伝播を促進せずにはいなかったのである。(p.69-70、強調は引用者)


これは12世紀末から13世紀前半頃についての叙述である。パリなど北方でもこの時代、都市の力が高まり、それによって諸侯の力を相対化していったことが、王権が伸張する要因のひとつとなったとされるが、南仏においても似たいような都市の勢力拡大があったのかもしれない。

ただ、北方との違いは、それでも諸侯の権力が相対的に強かった点にあるようだ。そこには本文から読み取れる限りでは、地形的な要因があったように見える。ラングドックの山がちな地形によって、相対的に高い防御力を確保しやすかったと見ることができる。

しかし、やはり興味深いのは、都市の政治で「コンシュル」など明らかにローマ的な名前を残した官職があり、デモクラティックな政治体制があったらしいことと、身分が固定されていない社会構成であるという点である。それだけ豊かな社会だったことが想像される。

カタリ派の掃討という点について言えば、トゥールーズ伯は強力だったが、上述のように、この地域の他の諸侯や都市もまた、それなりに強力であり、そこに侵略者たち(ローマ教会、フランス王国)がつけいる隙があったとは言えるかもしれない。

カタリ派については謎が多く、なかなか理解が深まらない。本書も十分な解答を与えてくれるものではなかったが、最も手軽な参考文献・入門書のひとつであることは確かかもしれない。
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