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アヴェスターにはこう書いている?
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福井憲彦 編『新版 世界各国史12 フランス史』(その5)

 また、王権はエリート文化に保護を与えると同時に統制し、プロパガンダに利用した。その代表的事例は、特権を与えられた学術団体であるアカデミーであり、リシュリュー期からルイ十四世親政初期までに、アカデミー・フランセーズから始まり、絵画彫刻、碑文・文芸、科学、建築の各アカデミーが創設された。アカデミー・フランセーズでは、フランス語辞典の編纂事業をおこない、フランス語の「純化」をはかったが、ここで正しいフランス語とされたのは、宮廷でつくりあげられたことばにほかならなかった。(p.207-208、強調は引用者)


これは17世紀のことである。(アカデミー・フランセーズが創設されたのは1635年。)プロパガンダの例としては、18世紀の後半の絵画と建築における新古典主義などを想起する。この美術的な運動がフランスを中心に起こっていたことは偶然ではなかろう。

フランス語は広く普及したとはいうものの、日常的にフランス語を使用するかどうかという観点からみれば、十八世紀の末にいたってもなお、そうした人々は、総人口の約半分にすぎない。フランス語は十六世紀から宮廷や外交や行政の場で、十七・十八世紀には文芸作品や学術の言語として、また商取引に使用されたが、かなりの人々にとって、日常生活のための言語ではなかったのである。民衆はいぜんとして、それぞれの地域のことばを使って生活していた。(p.238、強調は引用者)


こうした言語状況は「フランス」に限らず、歴史的にはむしろ一般的な状況だと言うべきだろう。

 じつのところ、カトリックの聖職者はこの時期(引用者注;ルイ・フィリップの即位式があった1830年8月)、聖服を着て街を歩ける状態ではなかった。聖職者やカトリック信仰を表象するものへの攻撃がおこなわれ、首都の教会は数日間門戸を固く閉ざしておかねばならなかった。(p.300)


このときだけでなく、フランス革命からしばらくの間は教会への暴力的行為はフランスの地域では相当多かったようだ。そのことはフランスの多くの教会堂が、フランス革命から19世紀初頭くらいの間に、略奪や破壊の憂き目にあい、19世紀の後半に再建・修復されたという事実に如実に表れている。

いつの世でも、戦争や革命で血を流す者と、それらの戦闘から利益を得る者が同じであったためしはない。(p.302)


こういう認識を持つことは重要である。

七月(引用者注;七月王政のこと)の権力を左右する彼ら「金融貴族」は、商工業への直接投資よりも、鉄道や運河といった政府主導型の大土木事業にまつわる国債や利権にむらがり、国家財政をほしいままにした。(p.302)


イギリスが「産業革命」と呼ばれるような急速な経済成長をしたのに対し、フランスは相対的な成長率がイギリスより低かったことが、力を入れた業種に反映している。つまり、既に優位な立場をイギリスに確保されてしまった以上、政治権力を用いて産業を保護・育成せざるをえなくなるのであり、政府によるインフラ整備はその一環であった。

ただ、鉄道や運河と言っても、フランス国内のパリを中心として放射状に張り巡らされた鉄道網と、インドやアフリカ大陸のように、専ら内陸から海沿いに資源を搬出するために用いられ、生活用の通路のためには施設されなかった地域とでは、それがもつ意味は自ずと異なる。運河も然りであって、例えば、フランス国内のミディ運河とエジプトのスエズ運河は意味が異なる。
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