アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

陣内秀信 編 『中国の水郷都市 蘇州と周辺の水の文化』(その1)

 特に人々の集まりやすい重要な橋のたもとに、様々な機能が集積した繁華な界隈が生まれているのは、江戸をはじめとするかつての日本の都市ともよく似ている。中心にまずは象徴的な広場を形成する西欧都市とは異なり、こうした水辺の一角に広場的な活気に満ちた空間が成立していたのだ。(p.7)


中国の水郷都市を観察・体験する際に重要な視点を提供している箇所だと思われる。橋の役割は単に両岸を繋ぐだけではなく、都市機能のハブを形成するらしい。

近々、江南に行く予定なので、このあたりはチェックしてみたい。



 しかし、蘇州では城壁の内部よりむしろ外部に巨大な商業区が誕生する。もともと中国の都市は、城内の商業活動が場所的にも時間的にも厳格に定められていた。それゆえ、城外、とくに人の出入りの激しい城門付近に店舗が軒を並べるようになり、そこでは市が開かれる。そして、この制度が崩壊し、地の利を求めて都市中に店舗が散っていく宋代になっても、蘇州では城外の商業区がこれまで以上に拡大を続ける。これは、小さな船に積荷を替え、手間をかけて入城するよりも、水深が深く幅も広い外城河なら直接大きな船を横付けすることができるし、そのうえ船も数多く停泊できるためだ。
 『宋平江図』を見ると、西側を巻くようにして流れる大運河の方向に、二つの城門が開かれている。南東角の盤門と西北角の閶門がそれだ。しかも、この門の外には、海外との交流も盛んだった蘇州を裏付けるかのように、朝鮮からの役人や商人の拠点となる<高麗亭>が一つずつ描かれている。盤門と閶門が、国際貿易都市・蘇州の顔となっているのである。大運河に隣接するという地の利を生かし、盤門は蘇州の正門として、また閶門は商業活動の核として城外にきわめて大きな商業区をかたちづくるようになった。(p.55)


盤門は現在も門が残っており、観光地となっている。また、閶門の外の地区は恐らく、現在の山塘街のあたりだと思われる。今この地域は観光用に修復・保存されているらしいが、どのようになっているかよく見てきたいところだ。



 そして、閶門から外城河を跨ぐように架かる<吊橋>が実に面白い姿を見せている。この橋は、陸と陸を結ぶ単なる土木施設ではなく、橋の両脇に二列の商店群が設けられ、商業区の核にふさわしい複合建築となっているのだ。橋の上に軒を連ねる二列の商店群は、18世紀初期の『姑蘇閶門図』にも描かれている(図10)。
 実は、イタリアの水の都のヴェネツィアにも、これとまったく同じ橋がある。カナル・グランデのちょうど中ほどにあるリアルト橋がそれだ。しかも、この橋は蘇州と同様、商業都市ヴェネツィアの象徴的な核として、都市の経済を支えている。遠く離れたアジアとヨーロッパの水の都で、人々が常に集まり、賑わいあふれる場所にかかる橋が、同じ複合建築となって架けられているのは非常に興味深い。(p.57)


文化とか技術とかの問題よりも経済が要求するある種の「合理性」がこうした共通のパターンを生み出しているのだろう。ただ、橋というものが単に両岸を架橋するものではないということがこうしたことからも示される点は大変興味深い。



 蘇州は、もともと現在の人民路が県境で、東は長州県、西は呉県に属し、各時代を通じて西側が盛んである。蘇州城の西を大運河が通り、北西に位置する閶門が蘇州を支える商業地区として機能していたためだ。(p.63)


蘇州という町の基本的な構造として押さえておくべきポイント。



中国江南の水郷鎮では、橋そのものが鎮の中心をなし、市の立つ橋詰め広場が橋と一体となり、鎮の中心に色を添えている。(p.108)


本書の随所で繰り返される主張であるが、橋と広場と市の一体的な関係が簡潔に表現されている箇所を引用しておく。



 水郷鎮では、経済上求められる開放性と防衛上求められる閉鎖性という相反する二つの性格を、水門と塔を設置することで解決している。(p.132)


水路を通ってしか中に入れない水郷鎮では水門を閉じることで交通を封鎖できるため、水門が防御施設となる。また、塔はランドマークとして外部に鎮の存在を示すものだという。確かに、以前、上海郊外の周荘に行ったときなどにも、塔があったのを覚えており、本書を読んでそういう意味があるのか、と納得した次第。



 鎮のいたるところに架けられ、数百年にわたって人々の活動をささえてきた橋も、商業区と居住区ではどうやらその形式に違いが見受けられる。
 橋には梁式と拱式(アーチ型)がある。梁式とは、数枚の細長い一枚石を橋杭に渡したものをいう。拱式には、半円形、楕円形、多辺形などがあり、その中でも半円形のものが多くを占める。現存する橋の多くは、清代に蘇州近郊で産出する金山石(花崗岩)を用いて修築されている。
 梁式の橋は、鎮の中でも居住区に架かっていることが多い。居住区の橋は、陸上交通の延長として、両岸をつなぎ合わせることに主な目的を置いている。また、住民は小船を利用するため、拱式のように大きな橋孔(橋脚の間の空洞)を必要としない。したがって、居住区では施工が簡単で造型も素朴な梁式の橋がよく見られるのだ。しかし、同里の富観街のように、美しい半円形の拱式の橋を架け、景観をかなり意識していると考えられる居住区も存在する。
 一方、荷をいっぱいに積んだ大きな船が行き交う商業区では、橋の高さを確保するため、一般に<石拱橋>と呼ばれる橋孔の大きな拱式の石橋が架けられている。とくに、たもとで市が開かれている橋は、必ずといってよいほどこの石拱橋だ。船に乗って市にやって来る農民にとって、造型豊かな石拱橋は、簡素な梁式の橋よりもより印象的に映ることだろう。この橋は、水郷鎮の象徴的な橋として、市の場所を強調するかのように、水辺にその姿を誇示している(写真43)。(p.173-174)


非常に興味深く説得力もあるように思われる。以前、周荘に行った際、アーチ型の橋が異様に上下するのが大変で、どうしてこんな面倒な橋にするのかと疑問に思っていたのだが、船が通ることなどを考慮に入れ、それも日常生活用ではなく商業用のある程度のサイズの船が来る場所であるとすれば、納得がいく。水郷鎮では陸路以上に水路が重要なのであろう。

訪問する際にも橋の形と居住区・商業区の区別などを注意して見ると面白そうだ。今回は水郷鎮には行かない予定だが、蘇州でもこの見方を応用してみたいと思う。

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/369-f1a522ad
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)