アヴェスターにはこう書いている?
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伊原弘 『図説・中国文化百華007 中国 都市のパノラマ 王朝の都 豊饒の街』

 日本の都市は古いように思われているが、実は誤解である。日本の古代において都市はそれほど多くなかった。今日まで続いている都市のいくつかは戦国末期から江戸時代にかけての時代にまでしか遡ることができない。これ以外に全国各地に都市が存在したとはいえぬ状況である。(p.19)


私は日本の歴史にはあまり詳しくないが、江戸時代にはかなり都市が繁栄したらしいとは思っていた。それ以前にはやはりあまり「都市」と呼べるようなものはなかったということのようだ。



 寺観は信仰の場でもあり、人びとが集う場でもある。城内にはいくつもの寺観があった。いささか多すぎるほどである。実は、中国や日本の都市に特徴的なのは、宗教施設の多いことである。(p.60)


宋代の臨安について記述している箇所での叙述。

中国や日本の都市に宗教施設が多いことが特徴とされている。私としてはやや違和感を感じる。中東の都市はモスクやマドラサを宗教施設と捉えるならば、日本や中国より多いくらいだと思うからである。



 寺観の重要性はどこでも同じだったとおもう。と同時に、それらは田舎を離れて都市へ移り住んだものたちの重要な交流の場でもあった。かれらはまた地元の神をもってうつり住んでいく。神は征服者の背中に乗ってやってくるというが、それは北宋から南宋へとうつりかわっていくときも同じだった。混乱を避けて、江南へ流入した多くの人びとは、故郷の神々とともに流入していったのである。その結果、城内には多くの寺観が出現した。そして、市がもうけられ、人びとの集まる憩いの場になったのである。(p.62)


宗教というものは、信仰の問題として捉えると社会的な問題を考える際には根本的に重要な問題を捉え損ねることになる。社会現象としての宗教とは信仰であるよりも「集団形成の一つのパターン」なのである。だから、人間集団が移動するときには「宗教」も移動するのである。

(例えば、ユダヤ教徒のディアスポラも、地理的ではないネットワークを伴った集団の移動であったろう。集住の度合いが低いところに彼らの特徴があったが、ネットワークが維持されている点で彼らはある意味で「集団化」されたままなのである。)



 歴史書や教科書には、杭州は大運河の起点として繁栄したといった記述がみられる。都などの繁栄するいったいに向かう交通路の基点には、このような記述が多い。そうだろうか。このような交通路にはふたつの例がある。ひとつは繁栄している一帯を結ぶ交通路である。いまひとつは、繁栄地へ向かい、物質をはこぶためにもうけられる交通路である。杭州と華北を結んだ大運河は後例である。杭州はあくまでも起点で、そこから北に向かう途中で多くの都市や産地から、物資を補給しつつその役目を増大させていくのである。杭州も長いあいだ江南の物資を集積し都に運び出す起点都市に過ぎなかった。このことは、今日の東京に向かういくつもの交通線を考えればわかる。そろそろ、思い込みによる想定は考え直さなくてはならない。(p.86)


交通路の2つの類型の指摘は大変参考になる。流通史観的に歴史を捉えるときに忘れてはならないポイントの一つだと言えそうである。



中国の王朝は最初は強く興隆するが、一定期間をすぎるとしだいに内向きになるのが通例である。宋をはさむ唐も明も同じである。王朝初期の激しい対外進出は、建国期をすぎるとしだいにおさまっていくのである。この点、宋は異なる軌跡をたどる。宋の北辺には中国に成立した王朝を跳ね返す力を持った勢力、すなわち北漢、遼や西夏が存在していたからである。宋は北漢の力を跳ね返すのが精一杯であった。宋は建国当初から北辺諸国に対して強い行動に出ていない。
 ・・・(中略)・・・。
 宋は確かに軍事力の弱い国家であった。だが、周辺に興亡する国家と対峙しつつ、北宋が150年、南宋も150年という歴史を維持したのである。政治的変動、軍事的圧力をしぶとく切り抜ける力と策略をもっていたのである。それを維持したのが旺盛な経済活動であった。もちろん、軍事的に宋が優位にたつことはなかった。この点、漢や唐、さらには明が一時は劣勢に立ちつつも巻き返していくのとは異なる。
 当時、ときとして難しい外交を余儀なくされ、軍事的緊張を強いられていた。だが、総じて平和で安定した時代であったといえる。(p.128-129)


軍事的に劣位にあっても平和であったというのは大変興味深い。

また、中国の王朝が一般的に興隆後は内向きになるというパターンであるという指摘も示唆に富む。これは交通路や交通・通信の手段、そして地形的に統一が図りにくい中国の地理的な条件などが関わっているように思われる。これは中国の版図の内部での分権化(権力の分立)が起こりやすい地理的な条件にあるということである。

北方の強大な軍事力に対して対抗することは常に必要であったが、そのために王朝の勢力圏内の物資や人員を動員する必要がある。しかし、その動員のためには内政上の多大な配慮が必要となる。そのため対外的な進出どころではなくなるという大まかなパターンがあるのではなかろうか。



宋代は儒教そのものがまだ統一的でなく、相互に切磋琢磨する雰囲気のなかにあった。後世のような儒教といえば朱子学といった雰囲気はいまだ醸成されていなかったのである。よって、各地に学派があり、ひとびとは論争を行なっていた。このことはまた政治方針と結びつき、ときに政界を揺るがしていた。
 もちろん、支配者はこのことに手をこまねいていたのではない。自由な学問の展開と論争の拡大が歓迎されるのは今日的世界である。否。今日でも統一化を図り自由な論争を好まぬ国が少なからず存在する。官僚制度の強化を進めている宋代社会でも、こうしたことを忌避しようとする動きがあってもおかしくない。実際、王朝政府はその規格化を考えた。科挙試験における出題傾向は、そうしたものの移り変わりを示すものであるが、全国に整えられた学校もその意図のひとつの表現である。(p.138-140)


いわゆる「近代主権国家」ないし「国民国家」が成立していくときにもこうした思想の「規格化」は大規模かつ強力に行われた。その最大の手段が学校であったと思われるが、宋代の中国でも同じような手段であったというのは興味深い。また、官僚の試験が思想統制の一つの手段であることもいろいろと興味をそそる問題である。



権威と権力がさかんなとき、芸術はそれに奉仕する。(p.152)


その通りである。

それは以下のようなところにも現れる。

 絵画に描かれていないのが、まずしい人びとだ。・・・(中略)・・・。
 繁栄する社会の下でうごめくものたちは実に多い。だが、かれらの姿を画中にとどめる画家はあまりいない。絵が画院の画家の手になる以上、それはできなかったのだ。また、史料のなかにはでてくるが、その行く末を確固としたかたちで把握することもできなかった。その見えない存在がこうして声をあげているのだ。(p.180-181)


本書によると、中国の絵画は支配層や官庁が保存していたものであるため、こうした傾向が強いという。



 だが、記録を見る限り、宋代の官僚にはよき官僚であろうとする姿が見える。これは今日とて同じである。政治家・官僚の諸問題が多い今日だが、篤実な官僚も多いし、身を粉にしてがんばっているひとも少なくない。何かというと批判しあげつらうが、それは正しくない。たとえば都内一等地の官舎が問題になる。安すぎるというのだ。また広すぎるともいう。その一面はあるが、一方で民間の家賃の高さはいわない。官僚は狭い所に住めといわんばかりもおかしい。都心一等地というより要地には危険に対処しなければならない国や地方公務員や関係者をバランスよくゆったりと住まわせ、非常時に対処しようという意見がないのは不思議でしょうがない。これはまた、臨機応変の体制でもあるのだが。(p.200)


公務員バッシングが吹き荒れる中、こうした冷静で客観的な意見は現在では珍しい。私も概ね著者の意見に同感である。

先の生活保護関係の文献でも不正受給がクローズアップされる場合、大抵の受給者は特別の不正をしているわけではなく、不正受給は受給額の1%にも満たない(0.2%だったか0.02%とどこかに書いていた覚えがある)ということは問われない。そうした偏ったものの見方をしていては健全な政策など出て来ようがない。

社会問題、政治経済に関心がある人には、社会について語る場合、少なくとも、事柄を一部だけではなく全体的に見ること、その上で「一般には語られていないこと」を見抜くこと、という2点は弁えて論じてもらいたいものである。

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