アヴェスターにはこう書いている?
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久田恵 『ニッポン貧困最前線 ケースワーカーと呼ばれる人々』

 ちなみに国が七割五分、地方自治体が二割五分を受け持つ生活保護費の国家予算は平成六年度で約一兆五百二十億円に及んでいる。(p.17)


ここ数年の生活保護費は2兆5千億円程だとされているから、わずか10年ほどでかなり増えていることがわかる。貧困世帯の増大と年金制度が不備のまま高齢化が進んだことが大きな要因だと思われる。



 受給している世帯は全国約58万世帯。約1万人のケースワーカーが、一人平均55から65世帯を担当して日々の業務を行っている。(p.17-18)


ほんの十数年前まではこうした状態だったものが、2004年には100万世帯を超え、ワーカー一人当たりが担当する世帯数も最近では100世帯を超えることも珍しくないという。ここ20年ほどにおける社会の底辺における変化はかなりのものであることが想像できるというものだ。



 そもそも、ケースワーカーが働く福祉事務所の現場というのは、受給者は善良なる弱者で、ワーカーは弱いものいじめの加害者、などという単純な構図だけでは語られようもない場所なのだ。(p.172)


本書の問題意識をよく表現している箇所の一つ。

近年の現象で言えば、不正受給に対するバッシングにせよ、いわゆる「水際作戦」などに対するバッシングにせよ、「不正受給していた者はけしからん」「福祉事務所は何をやっていたのか」また「申請権を侵害するのは違法だ」のような単純な見地から批評がなされているが、現場はそう簡単に割り切れるような場所ではない。そうしたところに着眼している点は本書の優れたところだと言えよう。



 こんなふうに保護行政現場で起きた事件をたどっていくと、福祉事務所を加害者として断罪したり、ワーカーの「思いやりや優しさの欠如」といった倫理的な視点からどんなに批判をしても、解決できない複雑な問題がからみあっている様が、その背景から次々と浮かび上がってくる。
 むしろ多くの場合は、受給者との関係をどう作っていくか、というもっぱらケースワーク技術の問題であったり、その時代時代の人々の価値観と保護法の運用のルールとが折り合わずに起きたトラブルが、ついには悲劇的な事件にまで至ってしまったという事例が多く、複雑な心理や感情を持ったさまざまな人間を相手にする仕事の難しさを物語っている。
 こういった現場の複雑混沌とした状況の方は語られないまま、福祉現場の事件が福祉政策を告発する運動的な立場やイデオロギーによる戦略的な視線で、より偏ってより誇張されて描かれたものが、マスコミを通じて広められることが多く、あたかも福祉事務所が恐ろしい場所であったり、ワーカーが非人間的であるかのようなイメージが作られがちだった。
 そんなこともあって、本書では、今まで書かれることのなかった福祉事務所のワーカーに照準を合わせて、その立場からの視線と体験を通して、戦後の保護行政を描こうと試みてきた。しかし、そのことで、日本の貧困層の権利拡大のために闘ってきた人々の努力を、過小評価するつもlりはない。
 彼らの運動が、日本の生活保護制度の内容を拡充していくための大きな役割を果たしてきたことは確かなことである。が、日本の福祉制度の貧しさをことさらに強調するあまり、生活保護制度がどのように拡充し、どれほど多くの国民を救済し、その生活を支えてきたかという評価の部分への国民の理解を阻んできた面も強い。とりわけ、過酷な福祉事務所叩きやワーカー叩きが、ワーカーが受給者に深くかかわることを恐れさせ、その現場を荒廃させていくひとつの大きな要因にもなってきた。
 戦後長く続いた55年体制が崩壊し、日本の政治状況に大きな変化が生じた今、戦後創設されたいろいろな制度が、時代の波の中で再検討を迫られてもいる。この生活保護制度が国民救済のためのに果たしてきた役割に客観的で冷静な評価を与え、その運用に関わってきた人々の存在を伝えて、国民的な理解が得られる努力がなされなければ、この制度は不要なものとしていつのまにか歴史の中に埋没しかねない危機に瀕しているように思えてならない。(p.318-319)


現在までに広まっている生活保護制度をめぐる言説において、生活保護制度が果たしてきた正の効果――多くの国民を救済し、その生活を支えてきた――に対する評価が欠けていることを指摘している点は極めて重要である。

不正受給は全体の中ではそれほど大きな割合を占めるものではないが、そこをクローズアップして生活保護制度のイメージを悪化させたり、福祉事務所側の実際の制度運用や厚生労働省の姿勢が、理想主義に満ちた生活保護法の精神と合致しないために違法だとされることが多い。

イデオロギー的には前者は右寄りの言説であり、後者は左寄りの言説であると大まかには言うことができるが、右寄りの言説は「木を見て森を見ず」であり、また、私が見てきた限りではあるが、左寄りの言説は理想と現実のギャップを指摘するばかりであって、具体的な解決策に欠けるものが多い。そうした中にあって、本書の上記の指摘は、極めて重要なものであると思う。

ただ、本書の叙述はミクロの主体に焦点を当てすぎているために、全体として制度がどれほど有効だったかということについてはそれほど強く打ち出せていないところがある、というのが私の本書に対する評価ではある。私は今後も当面は、生活保護制度とその周辺領域に関する事柄については研究を進めて行きたいと思うが、その際に、本書のこの指摘はもち続けるようにしようと思う。



 思えば戦後とはマスコミが猛威をふるった時代であった。1974年以降、つまり第一次オイルショック後の低成長期には「マスコミ的正義」は猖獗をきわめたとさえいえた。「公」の責任のみを云々する「告発」は楽で安全な方法であるが、それ自体で簡潔しがちであり、かつ自分だけは埒外に置きたがる。そして、革新的であることを標榜する大メディアほど易きについた。(p.330-331)


これは著者の久田氏ではなく、関川夏央氏の解説からの引用である。

「マスコミが猛威をふるった時代」という表現は面白いが、マスコミが力を持っていたのは戦後に限らないから、戦後に限定している点は不当だと思う。しかし、マスコミが大きな力を持ってきたことは確かだろう。

「「公」の責任のみを云々する「告発」は楽で安全な方法」というのはまさにその通りであり、マスメディアだけでなく、左右の「政治ブログ」でもよく見かける、というか、大抵はこの範囲内の言説しか流れていない。右派は権力を擁護しようとするから、左派・リベラルの側の言説はまさに上記の指摘の通りだろう。彼ら(ブログ左翼やマスメディア)がその水準で終わっていることの原因は、彼ら自身が独自の政策を自分で考えたことがないからである。

単に頭で考えるだけではなく、(できれば実地でも)調査し、数字を積み上げ、現行制度の問題点とそれが社会に及ぼす影響について因果関係を客観的に考察した上で、新しい制度とその運用について提言する。ここまでやって初めて上記の水準を超えられる。その意味で、一般人にはそこまで到達することはきわめて困難であろう。社会科学の学者ないし政策科学を学んだ者、あるいは政策形成に実際に多少なりとも参与している行政官でもない限り、そこまで求めるのは酷だと思っている。だから、そこまでしろと誰彼構わず言うつもりはないが、各自には自分の言説がどの程度までこうしたことができているかということについては自覚を求めたいとは思うことが多い。もっとも、私も最近はここまでのことはやっていないので、次に時間が取れるような時期が来たら、こうした活動をやって行きたいと思っている。最近、貧困や生活保護について多少調べているのはその下準備と位置付けているところである。

上記引用文について一言付け加えると、関川氏は「革新的であることを標榜する大メディアほど易きについた」と左派のメディアを非難しているが、保守系のメディアは政府や自民党がすることを単に擁護するだけなので、左派・革新よりも遥かに「易きについた」言動であるという批判を抜きに語ってはなるまい。これは昨今の保守系のメディアやブログにも当てはまる。

大まかに言えば、
  上記の条件を満たす政策提言者 ≫ 批判的革新(左派・リベラル) ≧ 無批判的保守(右派)  
というのが私の評価である。

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