アヴェスターにはこう書いている?
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奥村哲 『中国の現代史 戦争と社会主義』(その3)

 こうして「新民主主義」は放棄され、社会主義化に急旋回していったが、注意すべきは、これによって社会主義という言葉がもつ意味内容自体が、実は決定的に変化したということである。さきに示したように、遠い将来のこととされていた社会主義は、基本的にはまだユートピアであった。それは理念を実現するものと考えられており、だからそのための十分な経済的文化的条件を前提とし、合意にもとづく国公有化を志向し、民主主義の形式をとろうとしていたのである。
 しかし、アメリカと厳しく対立したからといって、急に社会主義化のための「さまざまな条件が備わ」ったわけではない。ただ指導者の認識が転換しただけであり、その結果強行される社会主義化は、以後もいやおうなしに現実認識に追随して変化していかざるをえない。そして、現実認識の根底にあるのが戦争への危機感であり、圧倒的な敵の侵略に対応しようとするものである以上、その社会主義化はもはや戦争、それも総力戦のための手段でしかなくなる。つまり、ユートピアとしての社会主義を目指す形をとりながら、実際には総力戦の態勢が構築されていったのである。実態が理念と食い違うのは当然であった。ただし、ユートピアは掲げ続けられ、それが正体を見えにくくしたのである。(p.132-133)


同意見である。むしろ、こうしたことがどうしてもっと多くの人に主張されないのか不思議なくらいである。

未だに中国というと社会主義・共産主義という体制だと考えている人が多い(日本の一般人で75%以上)ということがアンケート(工藤泰志 編 『言論ブログ・ブックレット 私ならこう考える――有識者の主張011 三年連続で実施した日中共同世論調査から明らかになった 中国人の日本人観 日本人の中国人観』)にも出ているが、それらの人々の考える社会主義や共産主義とは一体何なのか、もう少し掘り下げる必要があるのではないだろうか。(日本の知識人では45%程度まで下がるのは妥当なところだろう。なお、知識人では、これに代わって、大国主義、全体主義、覇権主義という見方が多くなる。)



 要するに、これまでみてきた改革開放政策とは、戦時態勢の論理(それが社会主義体制の実質であった)から、経済発展の論理への転換であり、社会主義体制の解体であった。(p.179)

 共産党の一党独裁は続いているが、それはもはや、国家資本主義の色彩を多少帯びた開発独裁の一つでしかなく、冷戦の一端を担った社会主義の体制は、すでに崩壊しているのである。(p.188-189)


これらは普通に社会科学的に分析すれば当然出てくる結論だと思われる。



 朝鮮戦争やベトナム戦争では、日本は発進基地あるいは後方として、アメリカ軍を支えた。そして、朝鮮特需は日本を経済復興へ導き、ベトナム特需も高度経済成長の一部を支え、経済大国化に道を拓いた。他方、中国は朝鮮戦争後、「帝国主義の侵略」に備えた総力戦態勢を構築していく。これが社会主義化にほかならないことは、すでに何度も述べてきたことである。その「帝国主義」の中心はもちろんアメリカであるが、中国民衆にとって、「帝国主義の侵略」という言葉の具体的なイメージは、なによりも日本が与えたものであった。この意味では、日本の全面的な侵略を受けた体験こそが、民衆レベルで社会主義体制を支えていたともいえよう。しかも日本は、アメリカ「帝国主義」と安全保障条約を締結し、軍事同盟関係に入って軍隊(自衛隊)を復活させた。これが、「日本軍国主義」・「日本帝国主義」の復活を示すものとして受けとめられたのである。今日の北朝鮮を考える場合にも、こうした点は軽視できないと思われる。
 このようにみてくれば、日本がアメリカに追随し、中国に対する独自の外交を展開しなかったことの結果は、明らかであろう。一言でいえば、帝国主義の残像を維持・温存させ、それが社会主義体制を支えさせたのである。(p.207)


(中国政府の方針も影響している部分もあると思うので)日本側の一方的な責任とはいえないにしても、日本から発信される情報(外交におけるスタンス、政治家の発言等)が中国の民衆に「帝国主義の残像」を維持させることに寄与したことは間違いないだろう。この残像を消し去っていくためには、政治家の右翼的な発言を封じていくことや首相の靖国参拝のような行為をなくしていくことによって、刺激を減らし、ある種の風化現象を起こさせていく必要があるのではないだろうか。

また、中国の「社会主義体制」がこうした日本帝国主義の残像によって構成され、具体的な脅威としてのアメリカによる侵略に備えたものだったとすれば、昨今のようにアメリカ側から中国との関係は最も重要な国際関係の一つとまで言われるような状態が続けば、これまでの中国政府がとってきた行動パターンも大きく変わっていく可能性があるのではないか。

例えば、「大国主義」や「覇権主義」のような、追い詰められているがゆえに採らざるを得なかった威嚇的な行動も幾らかは減っていく可能性はある。国力が相対的に強まり、一党独裁の態勢が変わらないために過激な行動がしやすくなるため、こうした動きは減らない可能性があり、むしろ増える可能性も否定できない。しかし、それでもかつてのような孤立に近い状況とは昨今の中国は違っているから、国内的には独裁であっても国際関係による制限はある程度受けるようになってきている。

いずれにせよ、日本から見る中国のイメージにも今後変更が必要になってくるかもしれない現在の中国にある日本のイメージが戦前の時代遅れのものであるのと同じように、将来、気がついたら、日本の側から見た中国のイメージがその時点での中国の実態とは大きくかけ離れた「過去の残像」になってしまっている可能性は否定できない。



しかし残念ながら、日本は国際的孤立という中国の弱みにつけこんで、謝罪を値切り国家賠償を放棄させたのである。これでどうして真摯な反省をしたといえるのだろうか?
 これ以後も、自民党政府は謝罪表現を値切り続けていった。日本の首相が初めて「侵略」という表現を使って謝罪したのは、国交回復からさらに20年以上たち、自民党が野に下って成立した細川護煕内閣のときである。この間、教科書検定によって、次代を担う人々に侵略という歴史的事実を伝えないようにし続けた。こうした歴史に対する歴代自民党政府の不誠実な態度や、繰り返される閣僚の「問題発言」が、「日本帝国主義」あるいは「日本軍国主義復活」のイメージを、放棄しがたくしたのである。これは中国だけの問題ではない。周辺国すべての疑念をあおり、不信感を抱かせ続けることが、決して日本の国益にはならないことだけは、確かであろう。(p.209)


「日本は国際的孤立という中国の弱みにつけこんで、謝罪を値切り国家賠償を放棄させた」というのは、なかな興味深い見解である。政治は道徳ではないという観点から見て、やや道徳的過ぎる見解だというのが、この見解に対する私の評価である。

しかし、後段の自民党政府の不誠実な態度が「日本帝国主義」「軍国主義」のイメージを維持させてしまったのであり、こうした態度は改めるべきであるというのは国際政治的な観点からも同意できる。すなわち、自国の敵を減らすという意味での安全保障の意味でも、もっと大きく、世界レベルでの平和構築という観点から見ても支持できるものである。

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