アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

三矢陽子 『生活保護ケースワーカー奮闘記 豊かな日本の見えない貧困』

 私の見知ったご老人たちのなかで、若いころの話しをにこやかに長々とおしゃべりなさる方というのは、比較的裕福な生活歴の方が多いように思う。こういう方は一方では交際も豊かで、余暇の過ごし方もたけている方が多い。逆に口数の少ない方には、苦労なさった方が多いようだ。こういった方は交際も限られていて、余暇の過ごし方も手慣れておられないご様子である。(p.45)


裕福な生活歴と交際の豊かさと社交的な性格というのは相互に関連している。これは私の観察ともかなり一致する。



そのなかで気づくのだが、クライエントのなかには「いったん生活保護を受給すれば、将来にわたって保護により最低生活は保障される」と誤解(錯誤)なさっている方が意外と多いことに驚かされる。これは、すでに保護を受給なさっている方のなかにも多いのではないか?
 生活保護は、やむをえぬ事情・状況下で最低生活を営むことができない期間に適用は限られる。(p.98)


生活保護を受給している世帯は、高齢世帯や障害者・傷病により稼動できなくなった世帯が多いから、こうした世帯は事実上、持続的に受給することになることになるだろう。

それ以外の世帯(母子家庭や失業中の若者など)が、こうした錯覚に陥っているとすれば、それは問題だろう。モラルハザード論について、私はマクロレベルの認識としては支持しないが、ミクロレベルではゼロではないとも考える。

私見ではこうした人々と上記のような人々は制度を分けて運用すべきだということである。前者はある程度持続的に給付することを前提とする代わりに受給の要件を限定的にし、後者は「受給しやすく自立しやすい」制度設計にするべきであろう。



 今ひとつの現象は、経済的困窮が増せば増すほど自立阻害要因が増すという事実である。それは世帯員が多ければ多いほど、そして困窮度が増せば増すほど自立阻害要因(つまり世帯の問題や悩みのタネ)が複数・複合化していくという事実である。(p.100)


この観点からも公的扶助を二層化(困窮の程度について軽度用と重度用に制度を分割)することは支持されると私は考えている。



要するに一億総中流という言葉が使われ始めた1965(昭和40)年ごろから「豊かさのなかの貧困」と呼ばれる「相対的貧困」へと時代は移り変わっていったのである。貧困が明確には目にみえなくなってきたのだった。

●資産の保有問題

 日本経済が低成長期に移行し、保護基準が一般世帯の消費水準の60パーセントに達し、低所得者層(保護に該当しない準要保護世帯層イコール、ボーダーライン層)と生活保護者層の性格格差が縮まり始めると生活保護行政に向ける社会の目は一層厳しさを増していった。(p.111)


生活保護制度ができてしばらくの間の給付水準は、一般世帯の消費水準の40~50%程度であったが、それが70年前後に60%に達し、以後、この水準を維持しているが、このように水準が相対的に向上することによって批判も強まったという。なかなか興味深い見方である。

しかし、私見としては、70年代に特段の増税なしで福祉の充実があったために、80年代には財政再建が必要になり、そのときにも主として政治家の都合から「増税なき財政再建」をしようとしたために、生活保護の給付水準の「高さ」が槍玉に上がったという方が妥当だと考える。現在の生活保護制度の給付水準を見ても、財政的な要因がなければ批判されるほどの水準だとは思えないからである。

(ただ、医療費や介護費を丸抱えで給付しているのは、むしろ受給者たちが制度から自立することを阻害する要因になっていると私には思われる。医療や介護は生活扶助とは別立ての制度にする――医療保険や介護保険の制度の中の最低保障の枠組みを導入し、生活保護とは別立てにする――ことが望ましい。

生活保護受給者への批判という点よりも興味深いのは、絶対的貧困を救済してきた生活保護制度が、社会的な背景が変わったことによって相対的貧困者をも救済する制度であらざるをえなくなったことによって、資産調査や収入調査の重要度が増してきたということが、ここに続いて述べられるのだが、これには興味深いものがある。

これが現場に次のような葛藤をもたらしている、いや、もともとあった葛藤を強めていると指摘されている。

 生活保護法では、国民に対する「最低生活の保障」と「自立の助長」という二つの目的があげられていることは周知のとおりである。これはいいかえると、「国家扶助――最低保障――経済保障」と「社会福祉――自立助長――ケースワーク」という本質の異なる二つの制度を内包していることを指す。・・・(中略)・・・。
 もとよりケースワーカーは相反するこの二目的の上でバランスを保ちながら業務を進めているわけで、それこそ諸刃の刃の上でアクロバット的に作業をしているのに等しい精神状態下に置かれていることを認識すべきである。(p.121-122)


不正受給がないか審査することと困っている人を助けることという種類の異なった業務を同一人物が担っている中で、不正受給の審査に政策的には力点が置かれてきているのが現状であるが、この方向を徹底すればするほどケースワーカーと受給者の信頼関係は崩れていき、自立助長とはかけ離れていく。そして、受給者の大部分は大した不正などしていないというのが現状だとすれば、そこで生じる葛藤や無駄は相当大きいということになるだろう。

公的扶助の二層化(軽度と重度に制度を分ける)は、ここでも有効な方向性を示しているように思われる。

例えば、重度の困窮者は就労や収入を得る可能性が限りなく低いから、不正受給の調査をそれほどする必要なく、社会生活自立や日常生活自立のためのケースワークに集中することができるはずである。軽度の困窮者は基本的に就労が可能な人を対象とするから、無届稼動などの不正受給の調査や自動車の保有などの資産調査をより徹底して行うべきであり、現行の生活保護受給者の中でこれらの人々の占める割合はそれほど多くないことから、これらの人々だけを専門に扱う制度の方が調査するにも効率的だと言えるだろう。

また、軽度の困窮者については、「自立」に向けてのケースワークも経済的自立すなわち就労に関するものが多いだろうから、現在の制度よりも専門性も高まるので良いのではないかとも思う。

(現行の制度では、ケースワーカーは医療や介護、高齢者福祉についての制度や施設についての知識のほかに、就労に関しても知識が必要となり、カバーすべき知識の範囲があまりに広すぎるために、専門性が十分に発揮されないだけでなく、現場で多くの間違った発言がなされていることが、利用者側の立場に立つ書籍などから読み取れる。)

スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/356-d2bc0bf5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)