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アヴェスターにはこう書いている?
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福井憲彦 編『新版 世界各国史12 フランス史』(その2)

 メロヴィング国家の統治の仕組みは、基本的には最末期ローマ帝国の支配組織をできるだけ利用するというものであった。国王宮廷は、裁判や軍事の統率を任務とする官職担当者や国王の家政機関を擁し、中央機構を体現している。宮廷の財源となったのは、セーヌ川の北では深刻な綻びをみせてはいたものの、ロワール川の南でいぜんとして維持されていた租税であった。
 ・・・(中略)・・・地方ではむしろ主邑都市に拠点をおく司教が、より大きな権力をもって統治していた。・・・(中略)・・・七世紀まで特定の司教座を特定のセナトール貴族門閥が連続して掌握する例が珍しくない。メロヴィング国家の地方支配において、教会の支配機能は都市伯のそれにもまして重要な役割をはたしたのである。(p.74-75)


ここでも南北の相違が見られる。南部ではローマの租税が維持されていたのに、北部では維持されていなかった。これは南北の属州化された期間の長さや、属州化された後の統治の仕方が異なっていたことに起因する面もあるかもしれない。北部の「長髪のガリア」はローマ帝国が征服する以前の統治機構を活かす形で統治がなされていたから。

南部はローマと同じ地中海世界に属していたので容易に同化できたが、北部はそうはいかなかった、と見ることもできる。あくまでもマクロな観察言語で言えば、の話だが、それでもp.44の引用文にもあったように、ナルボネンシス(南部)の貴族は品位があるが、北部の貴族は粗野だとローマの人からは見えた、ということとは完全に整合している。

私としては、メロヴィング王朝は「ローマ帝国の遺産」を十分継承できずに、キリスト教会の行政組織に求めたと見ている。その際、本書の記述で興味深かったのは、フランク人はキリスト教に改宗するに際してゲルマン部族の中で唯一、はじめからカトリック(ネストリウス派)に改宗したことを指摘し、それによりガリア教会との協調関係を利用できたとする説である。

それなりに説得力がある考え方である。かなり後の時代まで、かつて西ローマ帝国であった地域では、政治権力は教会に行政組織の面で頼っていたと考えることができるから。

(つづく)
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