アヴェスターにはこう書いている?
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大山典宏 『生活保護vsワーキングプア 若者に広がる貧困』(その2)

 福祉事務所に相談に行くと、これら四点について、利用希望者ができる努力をしているかどうかの聞き取りがされます。充分な努力がなされていないとみなされた場合には、申請手続きに進まず、ケースワーカーは「これこれの努力をしてください」という助言を繰り返すことになります。この対応を「制度をよく説明し、理解をしてもらったうえで、申請を行ってもらうために必要なプロセス」とするか、「本来は申請する権利を持つ利用者を不当に排除する水際作戦」とするかによって、面接相談の評価の内容はまったく変わってきます。この認識の違いが、ギャップを引き起こすのです。(p.94)


四点とは、稼働能力の活用、資産の活用、他法他施策の活用、扶養義務の履行である。

以上の説明は、「水際作戦」として批判されている、申請前の面接相談をどのように位置づけるかということについての(福祉事務所と人権団体の)認識の違いを的確に説明していると思われる。福祉事務所の言い分の裏には――歳出を増やしたくないというのもあるだろうが、それだけではなく――補足性の原理から見て最低限の篩にかけてから受理しなければ、事務作業を徒に増やすだけで非効率的であるという判断があると思われる。僅かな聞き取りで要否判定が容易にできるようなものを受理して、それを正式にすべて事務処理するのではなく、明らかに通らないものは入口の前で返してしまう方が効率的だし、申請者側に対しても負担軽減になる側面があるからだ。

ただ、申請権の侵害を懸念する側の言い分はもっともでもある。問題は、面接相談の際に法的に間違った説明がしばしばなされているらしい、というところにあると思われる。

思うに、面接相談を福祉事務所が行うから、申請をなるべく受けないようにするというインセンティブが働くのだから、福祉事務所とは別の第三者機関が事前の相談を行い、その後、福祉事務所に申請するような仕組みができれば、問題はかなり減るのではないだろうか?とはいえ、第三者機関が中立的であるためには、そこに財政から支出が行われていてはいけないというところが問題である。財政から財源が来るならば、財政支出は削減した方がいいという判断につながり、それは申請をさせない方向に作用すると考えるのが自然だからである。

ただ、その第三者機関は、財政の支援を得ないにも拘らず、かなりの専門性が求められるということになる。主体は民間企業やNPOが思い浮かぶが、これらの主体の特性――民間企業は儲けが出ないといけないがどこから儲けが出るのか?NPOは組織の持続性に疑問があり、さらに専門性を維持できる保証がない。その上、いずれも全国どこでも普遍的な判断が行われるべきなのだが、その保障がまったくというほどない、等々――を考えると、これらの主体が行うには適したものとも思えない。

やはりこう考えてくると、受理することが非効率であるのは、日本の公的扶助は申請後の資産調査が厳しいことが影響しているというところに行き着くように思われる。資産調査が厳しいから申請を受理することが福祉事務所にとって重荷になる。資産調査が厳しいことの背景には制度が包括的であることが要因としてあり、それにさらに財政の懐事情が厳しい中で歳出を削減するという命題が福祉事務所側に突きつけられているという事情がその傾向に拍車をかけていると思われる。これも生活保護制度が生活のあらゆる側面をカバーするものであるがゆえに、一度受給が決定してしまえば、それらの部門のすべてに「受給権が生じてしまう」ためになおさら水際作戦のインセンティブを強めているのではないか?

やはり結論としては、現行の生活保護制度における8つの扶助をそれぞれ別の制度に分割し(細かいことを言えば、葬祭扶助は生活扶助に含ませてもいいだろう)、必要な制度だけに申請し、受給するような形に制度改正することが望ましいと思われる。



 水際作戦のきっかけになったのは、厚生省(当時)が出した「生活保護の適正実施の推進について」がきっかけだと言われています。その発行番号から、通称「123号通知」と呼ばれています。この通知が出されたのが1981年であり、以降の生活保護行政において幅広く水際作戦が展開され、利用者が減少したとされています。
 しかし、高齢者に限ると、その事実が誤り
であることは統計が証明しています。左図は世帯別の受給者数の推移を示したものですが、六十代以上の利用者の数は、1981年以降、ほとんど横ばいであり、1990年代半ばから、ゆるやかに上昇し続けています。このことから、高齢者が窓口段階で排除されることは少なかったことが理解できるでしょう。
 一方で、働ける世代である二十代から五十代までの利用者は1985年頃から大きくその数を減らしています。原因のひとつとして、高度経済成長による雇用環境の改善があげられるでしょう。しかし、窓口での相談段階で、働くことができる、あるいは親族の援助が期待できる若者を厳しく選別していったことも否定できません。
 ・・・(中略)・・・。バブル絶頂期だった1985年から1990年代初頭にかけては、非稼動世帯も大きく減少しています。高齢者が減少していないことを考えれば、それまでは働くことができなかった傷病・障害世帯も含めて、幅広く生活保護からの自立が進んだということができます。裏を返せば、若者が入りにくい生活保護制度に、運用が組み替えられていった時代ともいえるでしょう。
 このように、水際作戦はもっぱら働く能力がある若い人たちをメインターゲットとして展開されました。・・・(中略)・・・。好景気を背景に、生活保護から若者の排除を行った――これが世にいう水際作戦の正体なのです。(p.119-122)


「補足性の原理」に基づいて「水際作戦」を行う以上、高齢者を排除しようと思っても難しく、結果として「稼動年齢層」が排除されたということであろう。



 しかし、多くの人たちは「壊れる」という形で生活保護のネットに救われることになります。厳しい労働条件の仕事でボロボロになるまで傷つき、家族関係の葛藤に悩まされ、心の病――うつ病――になって初めて生活保護の対象になるのです。改めて、世帯類型の割合を見てみると、傷病・障害世帯が29%から35%に増えていることにお気づきになるでしょう。(p.124)


「水際作戦」で生活保護から排除された人々は、その厳しい環境の中で努力を強いられ、心の病になって「稼働能力の活用」が明らかにできなくなってはじめて生活保護を受給できるし、受給せざるを得なくなる。

上で述べたように制度を分割することで利用しやすさが向上するならば、それも一案だろうし、それでも十分でないとすれば、生活保護レベルより一段上に薄く広く、もう一段階のセーフティネットを設けて社会生活に適応不能になる前に、個人にかかる負荷を軽減することが望ましいのだろう。ただ、実態をよく分析しなければ、どのようなものが必要なのかは言えないが。

ただ、世論がこれだけ「増税=悪」という単一の――しかも正しくない――価値観を刷り込まれてしまっている中では、セーフティネットを充実させることは困難を極めるであろう。しかし、歳入の問題よりも先に福祉制度や労働法制についてのビジョンが今の日本には必要であると思われる。そのビジョンに基づいて必要な財源を議論していかなければならない。
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