アヴェスターにはこう書いている?
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東京ソーシャルワーク 編 『How to 生活保護 暮らしに困ったときの生活保護のすすめ』

現在、知覚の精神科クリニックに通院し、薬を飲みながら、精神障害者の通所授産施設(自宅から施設に通って、外部から発注された作業をし、工賃を受け取るシステム。収入は一般社会の基準にはるかに及ばないが、社会復帰のための作業療法という意味がある)に通所しています。
 2006年4月の「自立支援法」の導入に伴って、通院医療費の助成制度が変更になり、役所をとおして新たに手続きをしました。また、原則として施設の利用料が有料(原則一割負担)となりましたが、生活保護を利用しているため自己負担はありません。しかし、食事(実費)の負担が生じることになりました。施設利用の自己負担は世帯収入によるので、家族と同居しながら通所している人たちの中には、収入を上回る自己負担額となった人もいて、少額であっても収入を得られる仕事をしているという気持ちも持てなくなっています。「お金を払って働かせてもらうなんて納得できない」と悔しがっている利用者もいます。また、施設のスタッフからも、この「自立支援法」によって行政から受け取っていた補助金が少なくなり、今までどおりの活動が難しいという話が漏れ伝わってきました。Aさんは、食費の負担増はなんとかなるが、このままこの施設で仕事が続けられるか、不安を感じています。(p.102)


「障害者自立支援法」。名称とは全く反対の法律であることは疑いない。



 精神障害者福祉に限らず、グループホームを始めとする福祉関連施設は、まず、絶対量が不足しています。「民間にできることは民間に任せる」という理屈で、民間の自主的な設立を待っているとしたら、それは大きな誤解です。民間事業者は、「収支」という絶対的な基準をもって成り立っており、既に、介護保険制度で、福祉関連事業の財源「収支」の厳しさは体験済みです。また、「民間にできることは民間に任せる」という言い方は、なるほどという感想をいだかせますが、すべてが善意によって運営されているわけではありません。「収支」の採算ラインが厳しくなると、結局、そのしわ寄せが、利用者や現場のスタッフに押し付けられるのです。国は、グループホームを始めとする関連施設の設立・運営に、きちんと公的な責任(=財源の保障)を果たすべきだと思います。(p.105)


基本的に同感といってよい。

ただ、注意すべきは、「公的な責任」を果たすための財源を「無駄遣いをやめて福祉に回す」とか言い出すような輩がまだ結構いると思われることである。施設の建設については、道路やハコモノを作る代わりにグループホームなどのハコモノに付け替えればいいとは言える。しかし、施設の運営などについて、予算の中でつけかえるというのは、政治力学的に見てかなり困難ではないか。ここのあたりに注目しているかいないか、という点で私は「付け替え論者」とは意見が決定的に対立する所だと思われる。付け替え論者はそこまで考えずに素朴にマクロの数字だけを見ながら、事実認識が願望に引きずられているように思われる。

機会を見てこのあたりの議論を詰めて書いていみたいと思う。



 厚生省(当時)は1986年に施行された老齢基礎年金制度設立の際の説明で、老齢基礎年金の満額の受給金額は老後の最低生活費の一部にすぎず、おおよそ単身高齢者世帯の生活扶助基準をベースに算定しているとの解釈を示していました。・・・(中略)・・・。
 要するに、私たちの間にいつの間にか一人歩きしてしまっている「老齢基礎年金=老後の最低限度の生活費」というイメージが、そもそも誤った理解なのですから、「基礎年金と生活保護基準を比べたとき、後者が高すぎるか?」という議論そのものが、実は全く意味がないものであるということがわかると思います。
 むしろ、ここでのもっと本質的な問題は、生活保護が「生活扶助+住宅扶助+教育扶助……」という初めから決められた扶助の組み合わせの中で、常に「生活全体の丸抱え」の形でしか利用できない、非常に使い勝手の悪い制度になってしまっていることにあると言えます。
 つまり、上記のような高齢の利用者のためには、住宅扶助を生活保護法(生活扶助)から切り離して、独立した単独の制度(生活保護基準よりもずっと緩やかな利用要件で、より広い範囲の低所得をカバーする「住宅保証プログラム」)として再編していくことが求められているのです。そして、このようにすれば、生活保護基準(=生活扶助基準)が老齢基礎年金と比べて高すぎるということもなくなるでしょう。(p.149)


生活保護に関する問題を調べてみると随所でこれと同じ主張に出くわすが、私も同感である。

「老齢基礎年金=老後の最低限度の生活費」という「誤った理解」が広がるのは、世の中に老齢基礎年金しか収入がない高齢者がそれなりにいることと、国民皆年金であるためにその年金だけで生活できない制度設計はおかしいのではないかという感覚から出てくるのだろう。その意味で、この「誤った理解」自体は、それなりに妥当な内容も含んでいる。

基礎年金と生活保護基準を比べるのだとすれば、基礎年金がもっと高くなければならないという結論になるならば、この比較には意味があるだろう。最低生活はほぼ保障されるのだから、生活保護を受給しなければならない人は現在の半分にも満たなくなるだろう。しかし、これを実現するには相当な額の年金保険料と税金が必要になる。そこで大幅な増税を是としないならば、老齢基礎年金が概ね生活扶助のレベルであることから本書のような結論に至ることになる。つまり生活保護制度から住宅扶助を分離して使い勝手をよくすることによって、老齢基礎年金だけしか収入がないような世帯の最低生活をかなりの程度保障できるだろう。

同様に医療扶助と介護扶助も医療保険と介護保険のシステムの中に組み込むか、別立ての制度にすべきであろう。



 法77条とは、生活に困窮する者に扶養義務者がいて、その扶養義務が履行されない間に生活保護の利用が行われた場合には、事後に保護に要した費用を福祉事務所が扶養義務から徴収するという制度です。保護利用者が保有する資産を保護利用後に売却した場合に、事後に保護に要した費用を返還するという法63条の規定を、扶養義務の場面に置き換えたのが、法77条であると考えればわかりやすいかもしれません。(p.155)


生活保護法の主だった条文には目を通したつもりだったが、これには気づかなかった。実務上は恐らく、これを実施するのは難しいのではないか。そもそも扶養義務者が扶養義務を履行することができるか否かという判定自体、客観的に行うことが難しく、さらに履行できるとしてもどのくらいの金額を払うべきかという点については、さらに客観的な判定をすることは難しいだろうからである。

このようなことを思ったのだが、本書では次のように提案している。一考に値する。

 しかし、今回リバースモーゲージ制度の導入という新たな局面を迎えて、私たちはこれまで抱いてきた親族扶養に関する誤った認識を、根本的に改めるべきときにきているのではないでしょうか。つまり、「扶養できるだけの経済力」がある親族は、やはり家庭裁判所の判断に従って民法の原則どおりの援助をすべきなのであって、もしそれに応じてもらえないのなら、福祉事務所は法77条による費用徴収を法文どおり実施すべきなのです。ちなみに、スウェーデン、ドイツなど先進諸国の公的扶助制度をみても、やはり日本の生活保護法77条に相当する扶養義務者からの費用徴収の仕組みをもっており、しかもその本来の趣旨のとおりに運用されています。(p.156-157)





 福祉事務所の仕事に携わっていて意外に気づかないことは、制度を利用申請する人や制度を利用する人は保護費を必要としているのであり、決して「ケースワーク」を受けるために生活保護を利用するのではないということです。(p.162)


とはいえ、ケースワークは保護費を出すために必要な手段として位置づけられるであろう。



 このように、保護費の支給決定に関する仕事と、「社会福祉の援助」を行う仕事、加えて、「不正受給」を防止する仕事までもが渾然一体化しているために、利用者の戸惑うような事態が引き起こされていると考えると、これらの異なる側面の仕事をきちんと分けて実施する制度の仕組みを考えるべきだと思います。(p.163)


制度を適用する側から見なければ、このことはなかなか見えてこない。少し前のところでも述べたが、やはり制度自体を分割すべきなのだ。

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