アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

岩田正美 『現代の貧困――ワーキングプア/ホームレス/生活保護』(その2)

 保護基準が全国民の貧困ラインとしての役割を果たしているということは、案外理解されていない。保護基準の引き下げがなされた場合でも、多くの人は生活保護を利用している世帯だけにその影響が現れると思っている。が、実は全国民の貧困ラインが引き下げられた、と理解すべきなのである。(p.49)


このようなことは私の感覚からすれば当たり前すぎることなのだが、実際に理解していない人は結構多いようだ。

このように理解すべきである理由について、著者は次のように述べる。

保護基準が下げられると、ワーキングプアや年金生活者を含めた国民全体の「あってはならない」生活状態の境界値が下がり、ワーキングプアや年金生活者の生活の苦しさも隠されていくことになる。(p.49)



ちなみに、「公務員の人件費・給与」を引き下げろという議論も、生活保護基準の引き下げと同様のものである。これは大企業も含めてほとんどの企業に賃上げをしないで済む方向に作用する。上の言い方になぞらえれば、「低すぎる」給与水準の境界値が下がり、労働者の給与の少なさが隠されていく、というわけだ。

そろそろこういう繋がりに気づく人がもう少し増えて欲しいものだと思う。



 生活保護については、暴力団などの不正受給ばかりが取り上げられる。しかしこうした問題は、生活保護の対象となるべき人々がその対象になっていないという問題と合わせて考える必要がある。(p.50)



後者の問題を適切な仕方で取り上げるマスメディアが出てくることを期待したい。



 ワーキングプアやホームレスが社会問題になると、マスメディアは「誰でもワーキングプアになる危険がある」などと騒ぎ立てるが、もちろん事実はそうではない。
 すでに本書で見てきたように、現代日本で貧困に陥る可能性が高いのは「特定の人々」である。(p.139)


この認識ももっと広く共有されるべきものだ。貧困問題解決の道はそこからスタートしなければならない。



 こうした、地域による貧困の違いを地図にしたパンフレットをイギリスの地方都市で見つけたことがある。・・・(中略)・・・。
 このパンフレットを編集したのは地理学協会という公共団体で、なんと同じ地図が市のホームページにも堂々と掲載されていたので、ここまでやるかと唸ったものである。日本にも暮らしやすい県のランキングなどはあるが、最悪地域を明確に地図で示すなどということは、逆立ちしてもできないだろう。
 英国でこのようなあからさまなランキングが行えるのは、それが最悪地域への重点政策や優遇策のベースとなるからで、行政側にとってもそこで暮らす人々にとっても実利があるからである。わが市こそ貧困地域だと手を挙げたがる自治体もあると聞く。
 そもそもイギリスでは、こうした地域ランクによって市の徴収する税金額が異なってくる。貧困地域に住むと税金は安くなる。このランクでいうと高い方にある地域の大学までタクシーで行った時、その運転手は「貧困」と「剥奪」という言葉を使いながら、自分の住んでいるところと大学のある地域の環境がいかに異なるかを、緑地面積やら保育所の数やらを挙げて、私に説いて聞かせた。「貧困」や「剥奪」といった言葉が、学会の専門用語としてではなく、実際にそこで暮らす地域の問題を語るための言葉として日常的に使われていることに驚いた。さすがに貧困の「再発見」先進国ならではのことである。(p.161-162)


大変参考になる事例である。

日本でやろうとしていることはこれの逆である。日本では貧困な地域は「頑張っていない」ので「自己責任」をとれと言い、うまくいっている地域は「頑張っている」ので「ご褒美」をあげるという考え方になっている。例えば、「頑張る地方応援プログラム」という名称からして完全に上記のイギリスの考え方とは逆であることが分かるだろう。

行政のあり方としては引用文に示されたようなイギリスのあり方の方が遥かに利に適っている。



 しかも、近年の就労支援は、民間企業に就職するよう促す傾向ばかりが強い。これは日本政府が、失業対策事業といった公的な就労促進策を基本的に否定していることにもかかわっている。(p.198)


同意見である。



現在の生活保護における八つの扶助を少し解きほぐして、その一部を低所得層まで広げていくということである。(p.202)


今後の日本の公的扶助のあり方の方向性について、今のところ私もこのように考えている。



 実際、保護基準が妥当か否かは、低所得層との比較で検証されているから、高齢者世帯のうち少ない年金で暮らす人々や、すでに貧困な母子世帯の消費水準と比べる中で、保護基準は下げられつつある。
 保護基準がさらに低められていけば、保護基準で測った貧困の規模は、本書で述べたものより、もっと小さくなるだろう。しかも課税最低限の変更によって、福祉サービスなどに適用される低所得の基準も引き下げられつつある。
 だが、このように貧困ラインが引き下げられたからと言って、低い水準にある基礎年金やワーキングプアの生活が改善するようなことは決してない。むしろ、年金受給額の少ない高齢者やワーキングプアの生活水準は、引き下げられた保護基準から見れば相対的に高くなるから、こうした人々の貧困状況はますます隠蔽され、それを改善する糸口を失ってしまう。
 こうして貧困ラインの引き下げは、低所得者層の年金や賃金水準に大きな影響を与える。素朴な公平論や生活保護バッシングは、貧困ラインが担う社会的な機能と、それが与える社会的な影響力を見落としている。その結果として、自分たち自身も暮らしにくくなるかもしれないということに気づいていない。
 逆に、生活保護基準が持つ貧困ラインとしての機能を最大限利用して、低い年金や賃金が問題だという方向に持っていくことができれば、積極的優遇策の限界が克服されるだけでなく、社会保障や一般的な福祉サービスの「抜本策」に対する現実的な基盤を提供する道が見えてくる。このところ急速に広がってきた、保護基準よりも低い最低賃金の引き上げ論は、その一例である。(p.204-205)


同意見である。生活保護を巡る「素朴な公平論」や「バッシング」は、それが税金でまかなわれているということだけを見て、自分が税金を払いたくないという利害を前提にして発せられる一面的な議論でしかない。

「自分の利益」を念頭に置きながらそれを前面には出さないように隠して行われる発話であるため、その射程の範囲外のこと、すなわち、社会全体への影響力などには目が届かないのである。

上でも述べたが、公務員バッシングも生活保護バッシングと全く同じ構造である。私はいずれにも反対する。



 一般に社会保障や生活保護などの制度は、人権という側面から見られてばかりで、社会統合や連帯という側面が取り上げられることはあまりない。だから貧困対策を強化すると、貧困者だけが「得する」とか、彼らの人権ばかりに光が当たるといった文句が出る。(p.207)



なるほどと思わされる鋭い指摘であり、同意見である。私自身、ここ半年ほど、社会統合という観点からの議論を多く書いているから、尚更そう思ったりする。

スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/327-7fec3d1b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)