アヴェスターにはこう書いている?
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岩田正美 『現代の貧困――ワーキングプア/ホームレス/生活保護』(その1)

今日、「貧困が増えた」と騒ぎ出して、どのくらい増えたか証明しようとしても、以前はどうだったのかを示すデータがないのは、こうした事情による。
 だが、冒頭の例でも分かるように、70年代も80年代も、その気になれば日本でも貧困を「発見」することは可能であったと私は思う。「豊かな社会」や福祉国家を実現させてきた国々のなかには、日本が貧困をきれいさっぱり忘れてしまったのとは対照的に、貧困という言葉の意味を再定義しながら、しつこいほど繰り返し「再発見」してきたところもある。それは「豊かさ」が実現した社会にも「あってはならない」状態が存在し、それを個人の問題として封じ込めるのではなく、社会の問題として「再発見」していくことが重要だとする判断があったからであろう。
 その意味で、格差社会論の延長線上に貧困を見つめる眼差しが生まれてきたことは、日本において長く封印されてきた貧困という問題を、本格的に「再発見」していく契機として歓迎すべきことである。だが、長い空白期間があったせいか、現在の貧困をめぐる議論には、いくつか気になることもある。
 第一は、格差と貧困を区別しない議論が少なからずあることだ。貧困と格差には強い関連があるが、両者は意味の異なる言葉である。格差は、基本的にはそこに「ある」ことを示すだけでも済む。場合によっては「格差があって何が悪い」と開き直ることも可能である。だが、貧困はそうはいかない。貧困は人々のある生活状態を「あってはならない」と社会が価値判断することで「発見」されるものであり、その解決を社会に迫っていくものである。(p.8-9)


「貧困」は「あってはならない」という価値判断をすることで「発見」されるものであり、「発見」された「貧困」はそれを解決するという問題を社会に迫るものであるという論点は、本書を一貫して流れている考え方であり、学ぶべき考え方である。



 むろん、貧困が問題視されなかったのは、「豊かな」時代になったからだ、と多くの人は言うだろう。まさに貧困の時代から高度消費の豊かな時代に移り変わったのである。これは、もっともらしい説明である。だが、「豊かさ」や中流化の実現、社会保障制度の整備は、他の先進諸国でも同様であった。そして、他の「豊かな社会」、他の福祉国家では、しつこいほどの貧困の「再発見」が行われている。
 だから、貧困の「再発見」をしつこくやったか、きれいさっぱり忘れたかは、社会全体の「豊かさ」とは、実は関係がないのである。
しつこくやったか、忘れたかの違いは、「豊かさ」の中に潜む貧困を「再発見」しようとする「目」や「声」が社会にあったかどうかにかかっているのではないか。
 もちろん、どこの国でも政府や経営者団体は、貧困問題を取り上げたがらない。貧困は政治の失敗、市場の失敗を表しているからである。他の先進国で貧困の「再発見」がなされるのは、現政府の失敗をあげつらって政権交代に持ち込もうとする勢力が強いからだともいえる。
 日本では同じ政党の長期政権が続き、おそらくはそれとの関係で、対抗勢力としての野党や労働組合、マスメディア、さまざまな市民団体も、貧困に無関心であった。(p.26-27)


日本で「貧困」が忘れ去られたのは、政治的な要因が大きい。この説明には説得力がある。

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