アヴェスターにはこう書いている?
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新藤宗幸 『新版 行政ってなんだろう』(その2)

 小泉政権による政府規制の緩和は、じつに多方面におよびました。経済をいかに回復するかが背景にあったのですが、政府は成長部門と衰退部門を区別し、成長部門にお金が流れることを重視しました。いまや銀行と証券業の垣根はないのに等しくなりました。銀行の窓口で投資信託が販売されるようになりましたが、それは銀行預金や郵便貯金への貯蓄を防ぎ、成長企業へ家計のお金が流れるようにするためです。実際、銀行預金の利子は日銀のゼロ金利政策によってないのに等しい状況がつづいてきましたから、これは「一定」の成果をおさめたともいえます。しかし、多面で産業分野間や地域間の「格差」の拡大をもたらしたばかりか、市場のモラルを荒廃させたともいえます。それは21世紀になって続発したマネーファンド事件にみることができます。(p.139-140)


貯蓄から投資への流れは、企業に金を流すものだということは誰にでもすぐにわかることだが、それをより正確に言えば「成長部門の企業」に金を流すものだという本書のように理解する方が妥当だろう。



 政府規制をどのように考えるかは、エピローグでもう一度述べることにしますが、少なくともここでいえることは、社会的規制を重視して政府規制を組み立てなおすことだといえます。一般的にいって、政府規制には二つのカテゴリーがあります。一つは経済的規制といわれるものであって、各種の産業に対する規制です。もう一つは、社会的規制といわれるものです。たとえば、一つの企業が特定の市場を支配し価格を自ら決定してしまうような状況を排除したり、企業が商品の価格や内容を協定するカルテル行為を規制し、市場の公正な取引を実現することです。また、同一労働・同一賃金の原則のもとに労働条件に公正な基準を設定し、その実現に向けて監督することです。商品やサービスの安全性に基準を設けそれを実現すること、大気や水質の汚染を監視し自然環境の保全をはかること、土地利用に一定のルールを設けることなども、重要な社会的規制です。
 ところが、日本の政府規制では、この二つがきちんと腑分けされないばかりか、経済的規制のなかに社会的規制が取り込まれてきました。業への規制緩和とともに社会的規制をも葬ってしまうのではなく、社会的規制こそが政府規制の中心におかれるべきでしょう。(p.143-144)


社会的規制というのは、市場経済における市場以外部分、それも市場が機能するための土台のような部分の基礎固めのようなものである。そこを切り崩してしまっては元も子もないのだが、現実には沿うした方向の「カイカク」が進められてきたわけだ。

そうした点が見えやすくなるという意味では、社会的規制と経済的規制という概念区分は意味がある。しかし、現実に、具体的なある規制を社会的規制と経済的規制に厳密に区別することは困難を極めるだろう。その意味で、現実的な解決能力をそれほど高めるものではないようにも思う。

こうした限界はあるが、この概念区分は一般的な世論には現時点では浸透していないから、まだ使う余地はかなりあるだろう。



 日本の公共事業予算のなかでつねに問題視されてきたのは、道路整備費が抜きんでたシェアを維持してきたことです。実際、2000年には9兆4307億円のうち2兆7766億円と約30パーセントのシェアを誇っていました。ところが、2006年度には1兆6105億円と1兆円以上の削減となっています。この一方で、増加が目立っているのは、住宅都市環境整備です。これは小泉政権が進めた都市再生プロジェクトによるものです。このプロジェクトは、密集市街地の再開発事業や老朽住宅耐震改修などを中心としているのですが、三大都市圏内の道路の整備もふくまれています。こうして、たしかに道路整備費としてはシェアをさげ、予算も削減されているのですが、都市再生プロジェクトという別枠で道路整備がおこなわれているのです。(p.154-155)


表面上の数字だけを見ていては実態はわからない。ニュースなどでは道路整備費はこんなに要らないという論調で一色だったが、そのときの攻撃材料も似たような「表面上の数字」による印象操作がかなり多いということは一応釘を刺しておく。

その上でもう一つの論点は、ここで見られるような道路事業の「付け替え」は、大都市圏への公共投資の増加と大都市圏以外への公共投資の減少という形をとっていることである。これは本書のp139-140の部分の引用で示したところの「成長部門」と「衰退部門」を政府が区別し、「成長部門」だけに金が流れるようにしたということの典型である。

むやみやたらに道路事業を減らせ、特定財源を減らせという主張をしてきた人びとにこうした内容についての見識がどれほどあったのか?本当の問題は道路ではないのだが、そのことに気づいていた人がどれだけいたのか?金の流れに偏在が生じるということは、金が流れない地域では自給自足経済にでもならない限り生活できなくなることを意味する。財政を用いた公共サービスもなくなっていくことを意味する。それは一つ前の引用文で言う社会的規制をなくしていくことと同じようなものである。市場によって調達できない公共的要素を供給することがその本分なのだから。

政策批判をする場合、こうした大きな流れと同時に細部にも目を配って行わなければならない。専門書でも読まない限り、そうした言論とはなかなか出会えない昨今の言論の現状には危惧を覚える。



市場化テストについて。

 政府やこの導入を推進する学者たちは、あたかも日本独自のアイディアであるかのように語ってきましたが、これは第Ⅰ章の1で述べたイギリスのサッチャー=メージャー保守党政権による「強制競争入札制度」をモデルとするものです。
 日本の場合、2007年度に対象とされたのは、ハローワーク(職業安定所)関連業務、国民年金保険料徴収業務、統計調査業務でしたが、2008年度には、国立病院の未収金や公営住宅の滞納家賃の徴収、上下水道の管理業務など22業務がくわえられ、全体で40業務となります。
 政府はこれによって公的支出を削減できるばかりか、新たな市場の開発ができるとしています。しかし、先行したイギリスでは、民間落札業者によるサービスの低下や従業員の労働条件の悪さなどが問題視され、ブレア労働党政権のもとで大幅に修正されました。たしかに、公共機関の現業部門の担い手がかならずしも公務員である必要はないかもしれません。とはいえ、右のような業務は、個人のプライバシーに密接に関係する分野が少なくありません。守秘義務をどのように順守させるのか、入札の仕様書に質の保証をいかに書き込み、サービス水準の維持をはかるのか、労働条件をいかに適正に守らせるのか、課題は山積しているのです。野放図な「市場化テスト」による公共サービスの「市場化」は、あってはならないことです。(p.198-199)


全く同意見である。

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