アヴェスターにはこう書いている?
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小林多喜二 『蟹工船、一九二八・三・一五』
『蟹工船』より。

 北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本一本労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。――北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」といっている。蛸は自分が生きて行くためには、自分の手足をも食ってしまう。これこそ、全くそっくりではないか!そこでは誰をも憚らない「原始的」な搾取が出来た。「儲け」がゴゾリ、ゴゾリ掘りかえってきた。しかも、そして、その事を巧みに国家的富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。抜け目がなかった。「国家」のために、労働者は「腹が減り」「タタき殺されて」行った。(p.65-66、原文の傍点には下線を付した。以下同様。)


鉄道の枕木が労働者の死骸だったという表現は強烈である。

この少し後のところに次のように書かれている。

 ――内地では、何時までも、黙って「殺されていない」労働者が一かたまりに固って、資本家へ反抗している。しかし「植民地」の労働者は、そういう事情から完全に「遮断」されていた。(p.69)



「そこでは誰をも憚らない「原始的」な搾取が出来た」というのは、北海道という「植民地」は、本国の法が十分に適用されない半ば無法地帯であるから、むき出しの権力が暴力的に搾取することが出来たということであろう。そして、その結果、「枕木」が労働者の「死骸」であるような状況が現出するのである。

このあたりは、本国と植民地という地理的な捉え方から切り離し、実質的な意味を問うてみると「規制緩和」の多くは、とりわけ労働に関する規制緩和(派遣労働を認めたことなど)は、本国である地域を、上記のような「半無法地帯」という意味での「植民地」に変えることを意味する。その帰結は、枕木が死骸であるような状況である。その際の理屈は、「日本全体の活力」というようなことが言われていたが、それは上記の引用文の「国家的」富源の開発とほとんど違いはない。

こうした現代に通じることが多く書かれているのがこの小説が今見直されている所以であろう。このように現代に当てはまる事態が多い理由は、ブレトン・ウッズ体制が崩れたことによって経済面で資本移動の自由化が進み、それに加えて冷戦構造が崩壊したことによって資本移動を妨げていた東西の政治体制間の壁が低くなったために、ブレトン・ウッズ体制崩壊後から進んでいた資本移動の自由化が劇的に加速したことにある(このことが「グローバル化」と呼ばれてきた)。その結果、冷戦崩壊後の世界は第二次大戦以前の状況と極めて近い状態になったのである。

そこでは資本移動の自由化によって資本家(投資家)の選択の自由は増大し、それに対して経営者の立場は相対的に弱くなり、労働者の立場はさらに弱くなる。そこでは社会と経済が不安定化するために、イデオロギー面でそれを糊塗する形でナショナリズムが高揚する。そこには社会不安が反映している。

(19世紀後半にロマンティシズムやナショナリズムの高まりがあり、その後、社会不安を背景にするような著作が――ヨーロッパ諸国や世界システム論でいう中核に近い地域では――多く受け入れられたと私は見ている。ナショナリズムをもってしても結局は資本の力による社会システムの破壊という現実を合理化しきれなくなるために、社会不安が高まらざるをえなかったからである。具体的には、キルケゴールやニーチェ、ハイデガーなどがそうであり、また、デュルケームの『自殺論』やウェーバーの『プロ倫』などにもその要素があり、また、この時代のロシアの文学なども恐らくそうした要素があるのではないだろうか。)

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