アヴェスターにはこう書いている?
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湯浅誠 『あなたにもできる!本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』

 81年、当時の厚生省が生活保護に関する通達を出した。知る人ぞ知る「123号通達」である。
 事の発端は和歌山県だった。暴力団員による生活保護の不正受給が問題になり、厚生省が通達を出した。それには資産調査のための「同意書」を取ることなどが指示されていたが、それ以降実際に行われたのは、生活保護の受給者一般に対する申請の抑制策、いわゆる「水際作戦」だった。(p.37)


 この123号通達はまさに知る人ぞ知るものであるらしい。生活保護関連の本を読むと結構出てくる。暴力団員などによる不正受給を防ぐために受給のためのチェックが厳しくなったことが、それ以外の人にも及ぶと「水際作戦」になるのはある意味では仕方ないのではないかという気もする。申請自体が抑制されるというのは、恐らく運用の問題なのだろうが、不正受給を防ぐ趣旨の通達があることで、そうした運用に根拠を与えてしまうという面は否めないだろう。

暴力団関係者だということが事前にわかるならまだしも、そうでない以上、不正受給を防ごうとするならば申請や審査の時点でチェックが厳しくなることは当然ではないだろうか。生活に困っている人が申請するのが普通だから、そこにジレンマが生じる場なのだろうと推測する。つまり、不正受給と「おにぎり食べたい」の間のギリギリの所で運用することが必要なものだから、現場で問題が生じるのは仕方ないのではないかというのが、この手の本を幾つか読んでみての感想だ。そこには絶対的な解決策はない。常に手探りしていくしかない。

その際に問題を大きくしていると思われるのが、前回のエントリーで取り上げた『プロケースワーカー100の心得』で指摘されていた現場のケースワーカーや面接係員が専門職ではないという事実だ。生活保護の現場でケースワーカーらが嘘をつくとよく言われているが、恐らく、嘘をつこうとしてついているだけではなく、正確な知識がないまま現場に立たされている人間が言ったことが結果的に嘘になっているという事例が多いのではないかと推測できるからだ。これらの職種を専門職として養成していれば、そうしたミスは防ぐことができる。日本では全般的に福祉制度が充実していないことがその根本にあると言ってよい。

ただ、生活保護のような最後のセーフティネットに至る前に、年金や医療保険などの制度が充実していれば、生活保護は本当に最後のセーフティネットとして限定的な申請者のみを相手にする制度として運用できる。特に年金が少ないために生活保護を受けなければならない高齢者などがいなくなれば(つまり、誰でもよほどの障害や重病でない限り生活できるだけの年金が支給される制度になっていれば)、生活保護の運用も特殊な事例だけに限定して行えるようになるから、不正受給自体がしにくくなり、結果として適正に運用できるようになるのではないだろうか。



 たとえ借金があったとしても、生活保護は受けられる。借金は生活保護が始まってから、「整理」すればいい。生活保護のお金から一度に全額返せなどと言っているわけではない。法律家の協力を得て、自己破産なり任意整理などをやってしまえばいいのだ。
 「そんな金はない」と思うだろう。たしかに弁護士・司法書士などの法律家にかかる費用はべらぼうに高い。しかし、救済措置も用意されている。(財)法律扶助協会の「法律扶助制度」を利用すればいい。これだと法律家費用を、月々3000円とか5000円で分割返済することが可能となる。(p.54)


この本はこうした具体的な対策が結構載っているので、他の類似の本よりお勧めである。他の類書は、かなり偏った視野の狭い主張と法律の丸写しのような内容と、方法論として乏しいものが多いので、あまり薦められる本には出あえなかった。本書は類書の中ではかなり良質なものだと思う。



 日本の野宿者は、03年の厚生労働省調査で2万5296人。路上でこれだけの人たちが夜を過ごす国というのは、いわゆる「先進国」の中では日本くらいで、他の国には、いろいろ問題があるにしろ、本人が望めば泊まることのできるシェルター(避難所)というものがある。日本の「ホームレス」は諸外国に比べれば少ないほうだと言われるが、とんでもない。日本は路上で夜を明かさざるを得ない人たちがとりわけ多い野宿者大国なのだ。「ホームレス」が少ないように言われるのは、単に他国と「ホームレス」の定義が違うからにすぎない。他国並みの広い意味に「ホームレス」を解釈すれば、日本だって少なくとも数十万人単位で「ホームレス」、つまり「適切な住環境に置かれていない人たち」は存在する。この一事を見ても、日本のセーフティネット、社会保障がどの程度のものか、想像できるというものだ。(p.114、本文ゴシック体の部分に下線を付した。以下同様。)


ホームレスの問題はあまり私は関心を払ってこなかったが、他の分野の福祉の水準から推して容易に想像できるものがある。



 大きな力に押さえつけられ、その末端で相談者と相談員がにらみ合う。一方は、生活保護を奪い取らなければどうにもならないほど追い詰められた側。もう一方は、仕事に終われて余裕なく、相談者の立場になって考えることすらできなくなっている側。
 これは悲惨な図式だ。「なんで、この人とやり合わなきゃならんのだ?」と思うこともしばしばだ。
 もっと大きな相手を動かす必要がある。国やらお先棒をかつぐマスコミやら御用学者やら。それには時間もかかるし力もいる。キレイごとを言わせるだけではダメだ。実際に予算を取らせて、現場の福祉事務所職員が余裕を持って働けるように、相談する人に丁寧に接するように、必要な人には周りを気にすることなく生活保護を適用できるように、制度の運用全体を変えていかなければならない。
 奇妙に聞こえるかもしれないが、そのとき、相談員やワーカーたちは「ともに戦う同志」にならなければならない。彼らの職場状況が改善されなければ、結局生活に困った人たちにしわ寄せがいくからだ。(p.196-197)


同意見である。

そして、これは生活保護に限った話ではない。そこまで話を拡大すれば、私が増税の必要を説くことの意味がわかるだろう。予算を取らなければならないのが多くの分野にわたるのならば、パイを大きくしなければならなくなると考えるのが自然というものだろう。配分するパイを大きくするとは増税が必要であることとほとんど同義である。そこで累進課税を使えといっているのである。極めてまっとうで当たり前の主張だと思うのだが、世論はそうなっていない。

世論を変えるためには、マスコミを動かすことが必要だが、政治的な動きだけでなく、新自由主義のイデオロギーの理論的支柱となっている新古典派経済学的な発想を学問の世界で打ち破る人々が出る必要があるとも考えている。私は複雑ネットワーク研究を応用した経済学が登場すれば、容易にその19世紀的な世界観(新古典派経済学の世界観)を打破することができると考えているが、まだ道は遠いようだ。



しかし私が感じるのは、とにかくこの国で自分が生活に困っていることを認めるのは、とてもエネルギーがいる、ということだ。(p.201)


本書の中でしばしば繰り返される指摘であり、非常に重要な指摘である。

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