アヴェスターにはこう書いている?
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ダンカン・ワッツ 『スモールワールド・ネットワーク 世界を知るための新科学的思考法』

 アルファモデルからわかることは、世界は、孤立したドームのように、小さなたくさんのクラスターに断片化されることもあれば、誰もがつながり合っている一つの巨大な連結成分になることもある、ということだ。しかし、例えば世界が均等に二つかそこらの大きな連結成分に分かれることはありえない。この結果に驚くかもしれない。なぜなら、世界はしばしば地理的、イデオロギー的、または文化的なラインに沿って、いくつかの大きな相容れない部分――西洋と東洋、黒人と白人、金持ちと貧乏人、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒――に分けられるように思えるからだ。このような分割による亀裂がわれわれの認識を動かし、われわれの行動に影響を与えたとしても、ネットワークには適用されないことをアルファモデルは教えている。すべて結合しているか、まったく結合していないかのどちらかで、中間的な状態といったものは、実際には存在しないのだ。(p.93)


アルファモデルはワッツとストロガッツが考案した社会ネットワークの数学的モデルであって、世界そのものではないから、ここに書かれていることはそのまま現実世界を現わすものとして受け取るだけの根拠はないと思うが、それでも示唆的な内容を含んでいる。二分法で割り切れるネットワークというものは、まずないということ。

ただ、例として使われている事例はあまりよくないものが多い。黒人と白人という二分法には、黄色人種は?という疑問が生じるし、金持ちと貧乏人はスケールフリーモデルで説明すると分極化の傾向を指摘できて、平均的な所得水準の人はあまりいない(平均以下の人が多い)ということを示すことができる。(世界は少数の大金持ちと大多数の平均以下だがそこそこの暮らし向きの人々と貧困な人々とのグループに分ける事は不可能ではなかろう。)



 他者が示した考えに呼応して自分の考えを変えるのは、意志の弱さや情報不足ばかりが原因ではない。1960年代と1970年代にかけて、西ドイツでは画期的な研究がおこなわれた。その中で政治学者エリザベス・ノエル=ノイマンは、二度の国政選挙に先だって人々が交わした政治的会話で、自分を多数派だと思っている人が自分を少数派だと思っている人を抑えて、次第に声高に主張を強めていくという一貫したパターンが見られたことを示した。ここで注目すべきは、「自分を~と思っている」という表現である。ノエル=ノイマンによると、二つの政党に対する支持は、国民個人の表明によれば、概して違いはなかった。違ったのは、多数意見、すなわちどちらの政党が優勢かという彼らの予測であった。ノエル=ノイマンが「沈黙のらせん」と名付けたこの現象では、少数派はどんどん自分の意見を公にしなくなり、それによってますます少数派の立場が確実なものとなり、さらに意見を述べづらくなった。(p.261、本文の傍点部に下線を付した。以下同様。)


インターネットなどによって他人の意見やそれについての情報を知りやすくなったことは、この種の判断に大きな影響を及ぼすことになるだろう。その意味で、ネット上のニュースにコメントをつけられるようになっているサイトがあるが、そうした運営の仕方は、人々の意見を操作することに繋がるように思われる。そのサイトの影響力が大きい(そのサイトを通じてニュースをチェックする人が多い)場合。(特にYahoo!のニュースなどを念頭に置いている。)



 物事の結果は、他者の意思決定や行動にリアルタイムに反応している個々人間の相互作用という点からしか正しく理解できないという見方は、われわれがふだん慣れ親しんでいる因果関係の見方とは別の見方を提供する。元来、あるものやある人が成功した場合、その成功の度合いはそのものが持つ優秀さとか意義といった尺度ではかられると考えられている。成功した芸術家は創造における天才であり、成功したリーダーには先見の明があり、ヒット商品はちょうど顧客が探し求めていたものだったというわけだ。しかし、成功とは事後にのみ語られるものである。つまり、われわれが一般に持っている結果主義の世界観は、成功をそれがたまたま備えていた資質に帰そうとするものである。しかし、それが特別な資質だと事前に認識されていたわけでは必ずしもない。
・・・(中略)・・・。このように、現実には偉大さ(や霊感や名声)は常に事後になって語られるにもかかわらず、何か大きな変化が起こると、そのもとになった性質のものが前々からそこにあったかのようにわれわれは認識するのである。
 しかし、ある特定の事態がどんな結果を生み出すかが事前にわかることはまれである。それは、偉大さ(例えば、天才)を見抜くことが難しいとか見誤りやすいからだけでなく、偉大さはそもそも固有の性質などではまったくないからだ。偉大さは、むしろ、多数の個人によってもたらされたコンセンサスであり、個人が独自に判断したり互いの意見を考慮したりした結果なのである。人間は単純に他人が信じているからという理由で信じ、他人が噂しているから噂し、他人が結集しているから結集するのだ。このような偶発的意思決定が情報のカスケードの本質を形成しており、これが最初の原因と最終的な結果との関係をとことん不明瞭なものにするのである。(p.298-299)


インプットとアウトプットは比例関係でも固有関係でもないとワッツは中略した部分で書いているが、全くその通りである。なお、「成果主義」による人事評価がうまくいかないのも以上のことが要因となっている。

個人の力や資質というより、その個人が力を発揮した状況や「背景」が極めて大きく効いてくることがある。

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