アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
プロフィール

ツァラトゥストラ

Author:ツァラトゥストラ
「ツァラトゥストラはこう言っている?」の姉妹編。日々読んでいる本から気になった箇所をピックアップして自由にコメントするブログ。

FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

山本直治 『実は悲惨な公務員』(その1)

 もちろん、従来のバッシングに意味がなかったとはいいません。しかし、それが本当にお役所の改革につながったのかというと、私は疑問を禁じえません。
 一方で、お役所バッシングへの反論――つまりお役所を擁護する主張――も、さほど多くはないもののなされてきました。しかし、こうした論戦は、一部のジャーナリスト、評論家、あるいは官僚OBなどの手によって行われ、残念ながら一般市民の耳目を集めることの少ない“空中戦”となってきたのではないでしょうか。
 その結果として、世の中にはお役所の実像と虚像の区別がつかず、独り歩きしたイメージのみを信じて公務員にあこがれる人もいれば、批判している人もいるように、私には感じられるのです。(p.5)


このあたりは、ほぼ同意見である。

これを一言で言えば、お役所に対する「批判」が、一般には存在しないということである。批判が成り立つためには、何が正しいことで何が誤っているのかを切り分けることが前提となるのだが、そもそもそれすらなされていない議論がばかりが横行している。

それに対して、本書は適切な「批判」をしようというスタンスであり、共感できる。(もちろん、本書の内容や考え方には、私からもいろいろ批判はあるが。)


以下は余談だが、例えば、激しい増税忌避の願望の持ち主や税源移譲による所得税と住民税の税率の変更を「増税だ」と言い張るような連中、さらには批判になっておらず建設的でもない公務員バッシングの議論をする人々に共通して見られるものがある。

それは被害妄想である。「被害者意識」という、まだ正常の範囲内のものと取れるような形容では足りないくらいに「激しい被害者意識」であり、その「被害」を彼らに与えた主体(税金、公務員)に対する初歩的な事実認識(統計的な事実やその扱い方、さらに制度に関する諸々の知識)すら欠けているために、その被害者意識の向かう先が全く事実とは異なる方向に向けられているために「妄想」と呼ぶにふさわしい。



 これまでマスメディアや一般国民は、終わりの見えないお役所の不祥事に接するたびに、お役所のダメさ加減にはほとほとあきれつつ、北風のように厳しくバッシングする態度をとってきました。まさに“北風思考”です。
 しかし幾度のバッシングを経ても、不祥事はとどまる様子を見せません。
 なぜでしょうか。
 私は考えました。もしかするとこの態度は、公務員の士気を落とすばかりで、実は不祥事をなくしてよりよい行政活動を進めるうえで逆効果になっているのではないかと――。(p.6)


この「北風思考」というのは、「北風と太陽」の寓話をモチーフとするものである。なかなか「使える言葉」だと思う。

昨今の日本の社会に流布する言説は、この北風思考の発想に満ちている。言い換えれば厳罰主義と言ってもよい。「悪」だと認定したものに対しては、攻撃し、罰を与えることによって更生させようとする。これはイラク戦争に踏み切ったアメリカの発想とも同型だと言えよう。また、「拉致問題を解決/進展」させるために経済制裁を行なう、というのも同じである。ほとんど見込みがない。(そもそもこの問題は、「拉致問題の解決」とは何であるかが明確化されていない。このことは、そもそも日本政府には目標を達成する気などサラサラないことを示している。)

こうした発想に基づく対処法は、逆効果になることが多い。理由は簡単である。この方法により目的を達成できるのは、厳罰を与えられる側が与える側に脅威を感じ、厳罰を回避するために厳罰を与える側に対して抵抗することを諦めて、命令に従う場合に限られるからである。選挙で選ばれる政治家ならともかく、選挙によって選ばれるわけでもない行政に対して厳罰主義で臨んでも、それだけで成功する(行政をバッシングする者の意思に従ってコントロールできる)見込みなどないのである。



 よく、教育的配慮で人を叱るときには、言い方をどうするかとか、他の人が見ている前で叱らないようにするなど配慮すべきだといいます。お役所バッシングも同じで、生かすも殺すもやり方次第です。そしてその結果お役所がどのように変わるかは、まわりまわって国民に返ってくるものです。(p.18-19)


前半の比喩は必ずしも適切ではないと思うが、後半の「まわりまわって返ってくる」という発想は私も同じである。これは増税論にしても同じことで、増税すればその効果は「まわりまわって返ってくる」と言える。

(仮に国債の返済に充てられるだけだとしてもその効果はゼロではない。なぜならば、歳出削減は必ず福祉にダメージを与えるのが現在の日本の財政の構造だが、それをすることなく、基本的にプライマリーバランスの黒字が恒常化するならば、それは財政出動が必要になった場合に出動する余地が確保できるということだからであり、政策の選択の自由度が高まるという形でメリットを享受できるのである。もちろん、増税の分を他の政策に充てる場合はその政策の結果という形で返ってくる。なお、余談だが、増税すれば市中に流れる金が減るから景気が後退するというのは誤りである。もしそうなら、欧州は日本より常に景気が悪くなければいけないだろう。問題なのは、税の支払額の変化率とその変化率がどのように予想されるか、ということであろう。)
スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://zarathustra.blog55.fc2.com/tb.php/305-a6e87f3b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)