アヴェスターにはこう書いている?
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石川真澄 『戦後政治史』(その1)

 この内閣の大仕事は、新憲法をはじめ皇室典範などの諸法律の改正を議会で成立させることであった。憲法の審議過程で、憲法担当国務相・金森徳次郎は、象徴天皇の意味を「いわば憧れの中心」と説明した。また、戦争放棄について吉田首相は六月二五日、「近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われた」ことを指摘し、第九条は「自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したものであります」と答弁した。(p.36)


第一次吉田内閣についてである。現在の政府の憲法解釈とは違うが、上記のような九条解釈が当初のものであったということは、原点として押さえておくべきだろう。

また、戦争の理由についての言明も、戦後ならではの直截さで述べられていると言える。



不敬罪は47年11月15日施行された改正刑法で、姦通罪(妻の不倫だけを罪としていた)とともに廃止された。(p.37)


不敬罪なんていう罪があったということ自体、言論の自由などの見地から見て、あってはならないことであろう。

ただ、最近のチベットの騒動で、中国政府(チベット自治区のシャンパプンツォク主席)は「公の場で国家分裂や独立を主張すること自体、中国では違法だ」と述べたそうだが、現在の中国は当時の日本と同じような政治的言論環境だとは言えるかもしれない。

そして、国旗や国家を掲揚することを強制し、それに従わない教師などを処罰するという馬鹿げた行為(政府や東京都など)も、この不敬罪の発想と同列のものであることは認識すべきだろう。このようなことを容認する者は、ある意味で中国政府と同レベルだってことである。



 この回から選挙区制は、46年選挙時の「大選挙区・制限連記制」から「中選挙区・単記制」に復帰した。中選挙区制は1928年の第一回普通選挙から42年の翼賛選挙まで続いていた。区制を変える衆院選挙法の改正は、47年3月31日に議員立法の形で自由、進歩両党の賛成により成立した。しかし、旧制度への復帰は政府の強い決意でもあった。植原悦治郎内相は2月1日、内閣改造による就任後初の記者会見で選挙区制に言及し、「二大政党主義による政党政治の安定確立という建前より、小選挙区単記制がもっとも理想的だと思う。小党分立は民主主義の発展を阻害する。しかしこのような一足とびの体勢は直ちに〔は〕困難だから、まずは中選挙区単記制をとりたい」(2月2日付『朝日新聞』)と語っていた。改正の本音は、保守派が連記制によって共産党と女性が多く進出すると考え、それを快く思わなかったことにあったが、すでにこのころから保守勢力と内務省(のちの自治省)が小選挙区制を理想としていたことは、注目に値する。(p.39-40)


これが50年近く後に実現することになる。その結果、政治の保守化は保守派の思惑通り、さらに進んだのは周知の通りであろう。



経済安定九原則

 この内閣(※引用者注;第三次吉田内閣)はまず、48年暮れの衆院解散直前12月18日に、GHQが米国政府から直接要求があったとして発表した「日本経済の安定と復興を目的とする九原則」(経済安定九原則)を実施しなければならなかった。
 九原則は超均衡予算や輸出体制の整備などを強く求めたもので、米デトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジが、トルーマン大統領からの依頼を受けた占領軍総司令官顧問として来日し、その実現の采配を振るった。とくに補助金と米国の援助物資とは日本経済の「竹馬の脚」であるとして、その両脚を切って窮乏生活に耐え、インフレを克服し、経済を自立させることを日本国民に要求したので、「ドッジ・ライン」「竹馬経済」は流行語になった。
 日本は、減税なし、補助金全廃、公共料金値上げ、国鉄など公務員23万人の首切りなどを内容とする均衡予算と引き替えに、1ドル360円の単一為替レートを与えられ、国際経済に復帰する。

民主化から復興へ

 今日、米国の外交文書などによって、九原則こそは米国の冷戦政策の一環であったことが明らかとなっている。米国側には、日本を経済危機から立ち直らせることで共産主義につけいる隙を与えない、つまり「全体主義に対する防壁」にしたい、という動機があった。48年の後半には、中国の国共内戦は共産側の勝利に帰するだろうと多くの人がみていたという情勢も、動機に切迫感を与えていただろう。(p.53-54)


この政策は見事に功を奏し、日本の経済は輸出主導型の形で復興していく。この為替レートが日本経済を有利にする際に有効だったのである。

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