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アヴェスターにはこう書いている?
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名取四郎 『地中海都市紀行 古代キリスト教美術を訪ねて』

ミラノ司教アンブロシウス登場の背景には、帝国の政治的問題とキリスト教会側の諸問題とが絡み合った複雑な様相を呈していた。たとえばローマではキリスト教擁護側にまわった皇帝および皇族と、元老院貴族をはじめとする伝統的異教勢力との対立の構図が改めて明白となっていた。それに加えて、337年のコンスタンティヌス大帝歿後の帝位継承権をめぐる世俗の権力抗争は、キリスト教会のニカエア信条をめぐる正統論争と深く絡み合って複雑に展開してゆく。一例をあげると、355年にミラノで開催された宗教会議で、異端アレイオス主義擁護にまわった皇帝に対して、イタリア半島およびフランス各地の正統ニカエア信条派司教団が反発し、その結果としてローマ司教(教皇)リベリウスやミラノ司教ディオニュシウスといった正統派司教が追放された。宗教会議場もミラノ司教座教会から皇帝側の宮殿に移された。ここにみる闘争は、明らかに、キリスト教会の正統派論争であったと同時に、皇帝を長とする世俗権力と、司教を頭とするキリスト教会勢力との闘いでもあった。(p.74)


イデオロギー闘争というのは常に何らかの「権力」の闘争に関連している。ローマ帝国によるキリスト教公認や国教化の背景にあったイデオロギー闘争もそうしたものであった。

現在は新自由主義やナショナリズムというイデオロギーが支配的になっているが、激しい闘争状態が表面化していなくとも、強力なイデオロギーの背景には強力な権力構造のようなものがあると見てよい。ただ、必ずしも権力の主体を想定する必要はない。多くの人が、ここで誤りを犯してしまいがちであるように思われる。本書の内容からは離れてしまう上、長い説明が必要になりそうなので、とりあえず次に進もう。

皇族墓廟の可能性の高いサンタクイリーノ礼拝堂の生気溢れるモザイクには、いまだ、古代ヘレニズム・ローマ絵画の本流ともいうべき古典主義の伝統が根強く生きていた。他方、サン・ヴィットーレ礼拝堂モザイクには、司教アンブロシウスの性格描写に代表されるように古代ローマ絵画のもうひとつの底流たる簡潔で直截な様式が認められる。二作例を通して認められる表現上の極端な相違から、当時西ローマ世界の都であったミラノには、とくに宮廷を後ろ盾としたモザイク職人工房と、それ以外の主にキリスト教会相手の工房という、異なる芸術環境が存在したとみることも可能ではなかろうか。(p.89、強調は引用者)


芸術の様式にも上記の権力闘争は影を落としているのである。

それ以上に奇異に感じられるのは偶像崇拝を厳しく戒めるユダヤ教の会堂に、堂々と、太陽神ヘリオスや四季の女性擬人像、黄道十二宮といった古代ヘレニズム・ローマ美術の図像が登場することであろう。しかし後期古代の地中海世界の美術を広く眺めわたすと、本来異教美術のレパートリーに属するこうした図像がユダヤ教美術のみならずキリスト教美術でも使用されていたという現実が浮かび上がる。
・・・(中略)・・・
これらの図像も後期古代地中海世界において、伝統的なローマ異教美術やキリスト教美術、ユダヤ教美術、そしてイスラーム美術がそれぞれの宗教特有のスタンスを保ちながらも、古代ヘレニズム・ローマ美術という共通のひとつの源泉から汲み出し、分かち合っていたものであったといえる。(p.215-219)


こうした見方は本書の主要な主張でもあり、私も共感するところが多い。

ただ、「地中海世界」を基本的に一体的な、ひとつの「世界」として見る私の目から見れば、別に「奇異に感じ」られるようなことではない。逆に言えば、「ユダヤ教美術」とか「キリスト教美術」という切り方、概念的区分をしているから「奇異に感じられる」のであろう。さらに言えば、本書では最終的に「古代ヘレニズム・ローマ」というカテゴリーによって「後期古代」のユダヤ、キリスト、イスラームの美術の共通要素を捉えるのだが、こうした捉え方も「ヘレニズム」や「ローマ帝国」を特権化してしまう点で違和感を覚える。

ヘレニズムに限らず「古代ギリシア」の美術も地中海世界の一地方の美術に過ぎず、それなりの独自性や価値はあるにしても、これだけを特権化する必要はないからである。このあたりに関しては『黒いアテナ』などが参考になるかと思う。(←このブログの記事でなく、この本を読むと参考になる、という意味。)『黒いアテナ』のパラダイムから言えば、「古代ヘレニズム・ローマ」として地中海世界を括ることは「アーリア・モデル」の見方を、不用意に強く引きずってしまう、という感じである。

(つづく)
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