アヴェスターにはこう書いている?
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ダーウィン 『人類の起原』(その5)
本書から読み取った限りにおけるダーウィンの進化論について気づいたこと。

一点目。基本的に闘争的ないし競争的な世界観がベースにあること。

そこでは「強い者が勝つ」という発想が充満している。(しかし、実際は、生き残ったものが「これは強かった」と評価・解釈されているに過ぎない。その意味で、この推論は「後件肯定の虚偽」である。ただ、念のため付け加えると、アブダクションはすべてこの推論形式を採らざるを得ないので、この推論形式であることだけをもってダーウィンの説を否定することはできない、ということはいっておいた方が公平だろう。)思考実験によって自然淘汰が論理的に導かれる。ある種の真空状態(純粋状態、あるいは、化学などで習った用語で言えば「理想状態」)の中で「個体同士が一対一で競争する(マルチの競争――多数対多数――であっても、あまりそれは前面に出ない)」という形式が想定されがちである。このほか、いろいろな点で経済学における市場における競争のモデルに似ている。

二点目。機能主義であること。

すなわち、機能の優越性が自然淘汰において重視される。様々な機能は獲得された形質であることがあり、その獲得形質が遺伝することがあるとされ、それが蓄積されて機能の優越性が強化されると考えている。驚いたことに獲得された道徳的な資質までが遺伝すると考えられている(p.186など)。

機能主義は功利主義やプラグマティズムとも通じる点で、19世紀から20世紀初頭の英語圏(イギリス)的な発想だと言える。つまり、こうした意味空間をreferしている、ということ。

三点目。機能主義で説明できないことを説明するための副次的なパラダイムとして「性淘汰」を提示していること。

つまり、物理的には機能的ではない変異を美しさ(異性によって選ばれること)によって説明しようとする。ある意味では、弱肉強食的な機能主義の論理だけでは説明できないということに、ダーウィンは気づいていたともいえるのだが、しかし、その際にも、「優越的なものが選択されて生き残る」という点では、自然淘汰と同型の発想は堅持しているとも言える。

四点目。日の沈まぬ帝国としてのイギリスにいたことがダーウィンの思想が成立し、さらに支持される上で、重要な条件であったこと。

ビーグル号にしても、他の学者から得られる情報にしても、日の沈まぬ帝国であるイギリスの世界的な通商網・情報網があってこそのものがある。太平洋、アメリカ大陸、オーストラリア、日本、中国、インド、アフリカと世界中の情報(動物や人種について)が整理されているところにそれを見ることができるし、また、大英博物館の名が何度か出てくるが、そうした資料を参照する際にも、この帝国に在住していたことは有利だった。

さらに、付録によると、ダーウィンという人物とその学説に対する社会的な評価という点でも、フランスのラマルクよりイギリスにいたことが有利だったとされているのは興味深い。

五点目。進化論は当時の歴史主義の流れに位置づけられる。

ダーウィンはマルクスとも同時代人だが、19世紀の歴史主義の思想的雰囲気を部分的に受け継いでいると見ることができる。この時代の歴史主義は発展段階論的な見方とも親和的である。

この当時の歴史主義の典型的な思想類型としての発展段階論的な見方は、上述の大英帝国の帝国主義とも結びつく。それは、前のエントリーでも触れたが、次のような点である。すなわち、ダーウィニズムと社会ダーウィニズムは別物だと言われることが多いが、本書に見られるダーウィンの人種観や文化観などから言えるのは、ダーウィンの学説も社会ダーウィニズム的な偏見が強く見られるということ。

それは、明らかに、オリエンタリズムであり、ユーロセントリズムであり、白人を文明的ですぐれた人種であると考えるレイシズムである。そのヒエラルヒーでは、「白人=文明人>(教養がない)未開人>動物(サルなど)」という序列があからさまに語られる(p.113など)。このことと関連して、「優生学」的な発想が随所に見られることにも注目してよい。

六点目。確率論的な因果観

進化において有利な形質が遺伝していくプロセスについての考え方(優れた形質を持つ個体が生き残り「やすい」という発想)には、確率論的な考え方があるように思われる。19世紀の確率革命的な因果観、世界観があると見ることができる。(この点に関しては、例えば、イアン・ハッキングの『偶然を飼いならす 統計学と第二次科学革命』を参照。)もちろん、この発想がダーウィン自身によって、どこまで明確に意識されていたかは疑問だが、それでもこの時代に共通に見られる傾向を反映しているのは興味深い。

この確率論の発展に関しては「国民国家Nation-State」化が進展することに伴う、統計学statisticsの展開とも完全に並行関係・相互影響関係にあることが推測され、そうした発想と上記の「優生学」とが容易に結びつくことも想像に難くない。為政者がその「国民国家」をどのように運営すべきかという支配者的な観点からの見方だと言え、そのための道具として確率論が発展し、その道具立てを用いて歴史的発展が語られ、その中で自国の優位性が語られる。そして、自国の優位性を維持するための優生学が必要とされる、などなどすべてが絡み合っている。


このほか、余談になるが、ダーウィンは恐らく自らを「生物学者」とは考えていなかっただろう。そのような用語は本書の中では一度も使われていなかったと思う(たぶん)。彼は本書の中で様々な「博物学者」の名を上げて、彼らの学説を参照しており、ダーウィン自身も「博物学者」だと考えていたように思われる。これは科学史的に興味があるところである。つまり、ダーウィンは「生物学者」ではなく、「博物学者」だったのではないか、ということ。(ついでに、博物学はnatural historyの訳語である点も、歴史主義との関連を想像させて興味深い。)

私は、ダーウィンについても生物学についても全く素人だが、以上のようなことを本書を読んで気づいた。今後、私が科学史などについての知見を積み重ねていく際に参照できそうな内容なので、メモとして記録しておくことにする。

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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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