アヴェスターにはこう書いている?
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ダーウィン 『人類の起原』(その3)

ローマ数字では、人間の手の略画であると考えられるⅤの次にⅥへとつぎつぎに進むが、このときにもう一方の手が用いられたのは確かだ。さらに、「われわれが20(スコア)を三回と、そして10という場合は、二十進法で数えており、20(スコア)一つはこうして観念的につくられ、メキシコ人やカリブ人が考えるように、それは20、すなわち『人間一人』のことなのである」(p.205-206)


これが本当かどうかは別としても、なかなか面白い見方ではある。フランス語の数え方などがどうしてあのように不規則になるのかが分かった気がした。(フランス語では60を超えると、20を単位にして数えるようになる。例えば、90は「4つの20と10」のように言う。)

つまり、上の説によれば、20というのは5本指×4(両手両足)であり、すなわち人間一人が指を折って数えられるものが一単位になっているというわけだ。英語やフランス語でも20までの数え方と、20以降の数え方が違うのも、このような20が一単位であることを考えると、何となく納得してしまうものがある。

繰り返すと、この説が正しいかどうかは分からない。しかし、何となく納得してしまい、面白いのである。




第三部 人間の性淘汰と本書の結論 より。

だが、日本列島の北端の島々、サハリンと北海道に住んでいるアイヌは、世界じゅうでいちばん毛深い人種である。(p.495)


本当にアイヌが一番毛深いかどうかはさておき、ダーウィンがアイヌを知っていたというのはちょっとした驚きだった。他にも数箇所でアイヌに言及がある。



これまで書いてきた意見の多くは、非常に思弁的であって、そのなかのいくつかは、将来、まちがっていることがわかる時がきっとくるだろう。しかし、私はいかなる場合にも、なぜ他の考え方をとらないで、ある考えをとったかという理由をあげてきた。進化の法則が人間の自然史における比較的複雑な問題のいくつかに、どれほど光を投げかけるか、それをためしてみるのはやるだけの価値があることだと思ったのである。
 ゆがめられた事実というものは、後に長く尾をひくことが多いから、科学の進歩を著しく阻害するものである。しかし、まちがった考えでも、それを支持するなにかの証拠がある場合には、ほとんど害がない。なぜなら、その誤りとして証明することに健全な喜びをいだかない人はいないからである。そしてこういうことが証明されたあかつきには、誤りへ向かう一つの道が閉ざされると同時に、真理への道が開かれることが多いのである。(p.544-545)


科学に限らず、客観的な議論を行なおうとする者にとって非常に重要な原則が述べられていると思う。

ブログを書いていていつも思うのは、上記のような作業はブログという媒体にはあまり向かないということだ。基本的に短めのコメントを次々と気軽にアップするような作りになっている。これに対してダーウィンが言うようなことをやっていると、一つの事を書くのに物凄い時間がかかるし、文章も長くなる。自分でも分かるのだが、以前、ウェブサイト(ホームページ)に文章を書いていたときと、リアル世界で発表するためのレジュメをワードなどで書いていた頃と、ブログで書いていることとは、かなり質が違うということだ。ブログでは、根拠の提示や概念の説明などの基本的な手続きを犠牲にすることになっても、できるだけ短い文章にまとめることが求められる。

政治的に発言するには、こうした正確さは多少犠牲になってもいい場合がある。正確に書くと、逆に、正しく読めない人が多く出るからだ。むしろ、政治的な文書というのは、読み手をある方向に誘導することに成功するかどうかが重要だから、中身の正確さは二の次だと考えることができる。自分の中では2008年のブログは「PolitikからWissenschaftへ」という標語を決めて、Wissenschaftの方向へとジョジョに移行していこうと思っているのだが、ブログという媒体自体がそれを妨げているのを強く感じる今日この頃なのだ。そうしたこともあって、ブログという媒体ではなく、別の媒体でものを書くことも検討している。(もう少し正確に言うと、ブログは補助的なものとして位置づけることも検討している。)

ダーウィンとは関係ない話になったが、それは、この引用文を選んだこと自体が、こうした問題関心とリンクしたからだったからだ。

さて、ダーウィンに関していえば、彼が本書で書いたことを「思弁的」であると自覚していたことが、最終章の冒頭(この箇所)に書かれていたのを見て分かった。私も本書を読み進めながら、本書は実証的といえる性格はあまりなく(伝聞に基づく叙述も多い)、むしろ、経済学の市場のモデルを「思考実験で構築していく」作業と似ていると思っていたからだ。

もっとも、ダーウィンが扱っている生物界全体とも言えるほど広い範囲の情報について、逐一自称することなど、到底一人や数人の手でできることではないし、それら一つ一つを確かめるだけで論文1本かそれ以上の労力が必要だろうから、この時代に、本書のような壮大な思考実験を行なったことは、十分に立派な業績だと評価されて良い。(もちろん、先日指摘したような問題点は多いが。)

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