アヴェスターにはこう書いている?
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ダーウィン 『人類の起原』(その2)

社会的な動物では、自然淘汰は、共同体にとって有益な変異を保存することによって、ときには個体に作用する。資質に恵まれた固体が非常に多い共同体では、たとえそのメンバーの個々が他のメンバーよりさほどすぐれていなくても、人口を増し、あまり資質に恵まれていない個体からなる共同体にうち勝つのである。(p.122)

最も高等な人種のなかの、最も高等な人々と最も下等な未開人との間には、非常にわずかずつ異なるさまざまな段階が存在するのである。だから、彼らが互いに変化し発達するということが可能なのである。(p.125)


前者の引用文は「優秀なものが生き残る」という発想を共同体にまで及ぼして考えているという事例。

後者などは、人間に高等なものと下等なものとがあるとしている。極右の民族主義者などにはこうした類の見方が未だにあるにせよ、現代の感覚からすると異様な見解ではある。

しかし、こうした記述は本書の中には山ほどある。しばしば、ダーウィンの擁護者達は、ダーウィニズムと社会ダーウィニズムは違うと切り離そうとした上で、社会ダーウィニズムのような文化や文明などの程度が高い人間とそうでないものがあるというような差別的な見方からダーウィンを救おうとするのを読んだことがあるが、本書を読む限り、そういう区別でダーウィンを救うことはできそうにない。

極めて差別的な偏見を助長する傾向が強く――例えば、不遇な状況にある者は優越性が低いからだとする見方が導かれる――、優れたものこそ生き残る(べき)という優生学の思想まで散見される。(後で引用したいと思う。)



道徳的な性向が遺伝するという原則によらないかぎり、さまざまな人種の間に存在すると信じられているこの性向の違いを理解することはできない。
 ・・・(中略)・・・。
 将来について考えれば、社会的な本能が弱まりはしないだろうかと危惧しなければならないような根拠はない。かえって、道徳的な風習がもっと強くなり、おそらくは遺伝によって固定されるようになるであろうことを期待することができる。そのあかつきには、高等な衝動と下等な衝動との間の葛藤は、それほどきびしいものではなくなり、道徳が勝利を得ることであろう。(p.186-187)


普通、ラマルクに帰される「獲得形質の遺伝」というのは、実はダーウィンももっている。この箇所はその一番「?」な部分の一つである。というのは、ダーウィンは道徳的な性向は遺伝すると考えているからである。ある人が道徳的な振舞い方を見につけたら、その子にその道徳的な性向が遺伝するというのである。

今なら、こうした親子に道徳的な類似性が見られるとしたら、それは主に教育に帰されるところだろうが、ダーウィンは遺伝を重視していた。これは軽く驚きを覚えるところなのでメモしておきたい。



 現在、気候が致命的な障害になっている地域を除いたあらゆる所で、文明国民が未開な国民を押しやりつつある。そして、彼らが成功しているのはそれだけというわけではないけれども、主としてその知性の産物であるところの技術によっている。だから、人間の知能が主として自然淘汰によって徐々に完成されたということは、大いにありうることであり、そして、この結論はわれわれの目的を満たすものである。(p.189-190)


19世紀における帝国主義的な侵略を正当化する言説であり、あろうことか、それを進化と結び付けている。社会ダーウィニズムと何が違うのか?と問いたくなるところである。ダーウィン自身がこうしたイデオロギーの持ち主であったことは銘記されてよいだろう。ダーウィンも時代の子なのである。



 いま、ある部族の一人の人間がほかの者よりも賢く、新しい罠や武器、あるいは攻撃や防御のための別の方法を発見したとするならば、ほかの者たちはさほど多くの推理力の助けを借りることなしに、ごく単純な利己的な動機によって、この男を模倣するであろう。こうして、みんなが利益を得るようになるであろう。一つ一つの新しい技術を絶えず練習するということも、やはり少しは知性をみがくことになるにちがいない。
 もし、その新しい発明が重要なものであるならば、その部族は人口を増し、領地をひろげ、他の部族を圧迫するであろう。このようにして人口がふえた部族では、別なすぐれた人材や発明家を生む機会がより多いであろう。もしそのような人間が子供をのこして、そのすぐれた心理的能力をその子供に伝えるならば、もっとすばらしい発明の才能のある者が生まれる機会が多少とも多くなるであろうし、非常に小さな部族の場合には、それはまちがいなく多くなるであろう。たとえ彼らが子供をのこさなくても、その部族にはまだ彼らと血のつながりのある者がいる。(p.190)


上記と同様に帝国主義的な侵略を正当化するものであると同時に、優生学にも通じる発想であることは明らかである。ここからは「知性の優れた者」は優れた子供を残すべきであり、それとは逆の者はできるだけ子を残さないほうがいいという帰結を論理的に導くことができるからである。(なお、優生学的な発言についてはもっとはっきり言っている箇所もある。)

それにしても、本書にはこの手の記述が非常に多い。もちろん、動物などの観察に基づく記録も多いのだが、それ以外にも観察の報告に基づく記述やこの箇所のような思考実験による推論も非常に多い。こうしたダーウィンの思考実験はかなりの程度、経済学のモデルと近い要素を持っているように思われる。

以下の箇所などはそのことがよく出ている。

同じ地方に住んでいる原始人の二つの部族に争いが起こったとき、もし(ほかの環境条件は等しいのに)一方の部族には、勇敢で、同情的で、誠実な者が大勢いて、常に互いに危険を警告しあい、助けあい、守りあうことができるならば、この部族のほうがより成功し、もう一方の部族にうち勝つであろう。(p.191)



同じことは繰り返し言われる。

愛国心、信義、服従、勇気、同情の精神を高度にもつことによって、常に互いに助けあい、そして公共の利益のために自分を犠牲にすることのできる人が大勢いる部族は、他のほとんどの部族に勝つであろう。(p.194)



ここではますます民族主義的な右翼(現在の日本に限らず、恐らくは19世紀頃から世界史上に存在してきた類型)の言説に近づいていることが分かる。

市場原理主義もナショナリズムも帝国主義もダーウィンの進化論も、基本は「力の論理」であり、闘争・競争的な世界の中で強い者こそが生き延びるという思想である点では軌を一にしており、そのような論理の同一性が、これらの発想を相互に引き寄せあっていると見るべきだろう。

しかし、現実の世界はこのようにはなっていない。こうした力の論理は現実を構成する要素の一面でしかないのである。
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