アヴェスターにはこう書いている?
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ショーペンハウアー 『意志と表象としての世界』(その3)

すなわち行動は、人も言うように、感情に即しておこなわれる。これこそまさしく概念に即したものではなく、つまり倫理の内容に即したものではないということだ。教義(ドグマ)に没頭するのは閑暇のある理性のやることである。行動は結局のところ教義に左右されず、わが道を行く。大抵は抽象的な格率に従うことなく、まだ言葉になっていない格率に従う。・・・(中略)・・・。しかしそれだからといって、有徳の行いを実行するにあたって理性の適用が必要であることを否定すべきではない。ただ理性が有徳の行ないの泉ではないというだけのことである。むしろ理性の機能は一段下位にあたるもので、この機能はいったんきめた決心を守らせ、格率を突きつけ、一時の弱みに反抗させ、首尾一貫した行動をとらせることにある。(p.191、本文で傍点の部分に下線を付した。)


同感である。感情というのは、一つ前のエントリーで引用したように「抽象的な理性認識に入らないものなら何であろうと、情という概念に入ってくる」と言われている通りである。この感情という概念の何が行為の源泉になるのかについては、この叙述では明確ではないが、行為と反省、行為者と観察者との関係を適切に捉えている。



 徳義という点においてさえ、正しくあるいは気高く行動しようとする計画がいつでも抽象的な格率に従って実行されるとはかぎっていない。多くの場合に事情は無限に細かなニュアンスをもって異なっているので、正しいことの選択は直かに(選択を行なう人の)性格にもとづいていることが必要となってくる。単に抽象的な格率を適用していたのでは、格率は半ばしか該当しないものであるから、かえって誤った結果を生ずることがあるし、そもそも抽象的な格率なんてものは実行不可能だといっていい。(p.195)


完璧に実行しようとする限りにおいて、抽象的な格率は実行不可能というのは正しい。法律が完全に100%守られ続けることはないというのと同じである。もちろん、一つ前の引用文と同じで、だからといって抽象的な格率が無意味なわけではない。行為、システムの作動にはそれとは別の源泉があるという認識が重要な点である。



 ことに政治的な案件において、空論家とか理論家とか学者とかいえば、それはペダンテリーの徒という意味であって、物事をたぶん抽象的には知っているが、具体的には知らない人たちのことである。抽象というのは細かな諸規定を取り除いて考えることにおいて成り立つ。ところが実際問題ではこの細かな諸規定こそきわめて大切なものである。(p.195)


細かな規定が重要だというのはその通りであろう。ただ、政治を含めた社会についての認識においては、そうした細部を大局の中に位置づける力も非常に重要だと私は考える。ショーペンハウアーはその点を軽く見ているようだ。そうした大局観を得るには抽象的な概念の力が必要になる。だから、これらは相補的でなければならないのである。

しかし、ある大局的な認識を前提にした上で、どのように物事を改善していくかということを考え、実行する段になれば、ショーペンハウアーの言うことは妥当する。この局面では細かな規定こそ大切である。

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