アヴェスターにはこう書いている?
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吉川幸次郎、桑原武夫 『新唐詩選続篇』
白居易 新楽府 についての解説より。

  老人言
  君聴取
  君不聞開元宰相宋開府
  不賞邊功防黷武

  老人の言を
  君よ聴き取(ね)かし
  君聞かずや開元の宰相なる宋開府は
  邊功を賞せずして武の黷(けが)れを防ぎしを

 君聞かずや、有名なことだから、あなたも聞き知っているだろう、開元時代、すなわち玄宗の治世の前半、年号を開元といったころの宰相で、宋開府と呼ばれた宋は、天子の意思に反して、邊功、国境地帯の戦功に、賞を与えなかった。それは武の穢れ、つまり無用の戦争を防止するためであった。
 それと反対なのは、おなじ玄宗の治世でも、その後半、年号が天宝と改まってからの宰相、楊国忠、すなわち楊貴妃の従兄であること、長恨歌のくだりで説いたごとくであるが、このぐうたらな宰相はどうであったか。

  又不聞天寶宰相楊國忠
  欲求恩幸立邊功

  又聞かずや天寶の宰相なりし楊國忠は
  恩幸を求めんと欲して邊功を立つ

 恩功とは、天子の寵愛。それを求めるために、天子に迎合して、邊功、すなわち国境地帯での功績を、うち立てようとした。しかしその結果は、

  邊功未立生人怨
  請問新豐折臂翁

  邊功は未まだ立たずして生人(たみぐさ)は怨みぬ
  請う問え 新豐の臂を折りし翁に

 無用の戦争こそは、人民の苦しみ。その証拠は、ほかならぬこの新豊県の老翁。事のしだいを彼におたずねなさい。
 戦争をにくむ心、それは中国の詩の伝統的な良心である。白居易もそれを歌うことにやぶさかでなかった。(p.97-98、旧字体の一部や訳文の配置を変更した箇所がある。)



まず、「新豊県の老翁」について一言補足する。この老人は、片腕が折れて自由が利かない人で、彼は昔、戦争に召集された際に、それを免れるために自ら腕を折ったのである。

それにしても、邊功(辺境での軍功)、より一般化して言えば、武力行使に賞を与えないことで、無用の戦争を防止するという発想と政策は学ぶに値する。しばしば、日本の右派が自衛隊員が誇りを持って活動できるように云々とか、防衛庁を防衛省に昇格させるときに、防衛庁の長官は大臣ではあるけれども、省の大臣ではないから大臣達が集まっているときに引け目を感じてどこか元気がない、というような馬鹿げたことが言われる現在の日本の状況と比較すると雲泥の差である。

また、もっと実質的なことを言えば、アメリカのように軍事の民営化が進んで、軍隊を使うことがビジネスになれば、当然、軍隊を運営する会社は戦争を作り出そうとする。軍隊が公共的な機関の統制下にあるのではなく、私企業として活動すれば、当然、そこに利益が生じる方向に動こうとする。

暴力に対して正の報酬を与えることは厳に慎まなければならない。恒常的な暴力抑止のメカニズムとして精神的および物質的な利益を活用する、つまり、そうした暴力抑止的な方向に誘導する利害関係を織り込んだ社会システムないし政治システムを確立することが望まれる。



 私はよく若い人にいうのだが、一篇の評論を書くことはいわば一つの戦いである。長期にわたる蓄積と準備をへて正々堂々と戦うのを本道とすべきことはいうまでもないが、不意に状況が変わり戦闘をよぎなくされるような場合にも、一おうの戦いができないようでは武人とはいえぬ、と。(p.188)


こちらは桑原による一文で、上の反戦的な吉川の文とはやや論調が違うのだが、まぁ、テクストと取り組むということは簡単なことではないし、常日頃の研鑽が大事なのだ、という程度の意味のことを言っているわけで、表現の仕方を抜きにすれば、首肯できる内容である。

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