アヴェスターにはこう書いている?
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竹森俊平 『1997年――世界を変えた金融危機』(その4)

IMFに対する「左」の立場からの批判者は、最終的には「国際資本取引の規制」に解決を求める。これに対して「経済自由主義」を信奉する「右」の立場の者は、「国際資本取引の規制」ではなくて「自生的な秩序」による解決法を模索する。

 現代と遜色がないほど「国際資本取引」が発展していた19世紀後半から第1次大戦にかけての時代に、国際資本取引の安全性はほとんど民間のイニシアティブだけで維持されていた。政府が今後、介入を強化するとしても、それは「民」による「自生的な秩序」を置換するのではなくて、それを支援する性格を持った介入であるべきだ。つまり、「自生的な秩序」の法的な援護を目指すのである。これが「右」の提示した方針であった。
 ・・・(中略)・・・

 IMFのような第三者からの救援資金の投入を「ベイル・アウト」というのに対して、「再交渉」の方式は、当事者(つまり貸し手)の救援(返済の猶予はそのような性格を持つ)によって問題の解決を図るので、「ベイル・イン」と呼ばれる。IMF改革もしくはIMFに代わる国際金融システムの安全装置を模索するならば、この韓国における「ベイル・イン」の成功を教訓とするべきだ。「ベイル・イン」の方式を、多くの債権者が関わる一般的な国際貸借にも適用できるようにするのである。これが、「右」の立場からの発想であった。
 この発想はまもなく具体化する。主権国家が借り入れ主体である債務(ソブリン・デット)について、「ベイル・イン」を一般化するための提案が出されたのである。しかも、提案は二つ出された。
 一つはIMFのアン・クルーガー筆頭副事務理事が2001年11月26日に発表したIMFの改革案である。IMFはこれを、「ソブリン・デット・リストラクチュアリング・メカニズム(SDRM)」という長い名前で呼ぶ。これは「国際破産法廷を創設すると同時に、債務国の問題がいつ国際破産法廷の裁定にかけられるかとか、債務国と債権者が債務の名目をどれだけ削減するかといった問題に対し、IMFに強力な仲裁機能を付与する提案」(テーラー)であった。しかし、アメリカ財務省はSDRMに反対する。・・・(中略)・・・。

 そこでテーラーは、著名な国際金融学者バリー・アイケングリーンなどの研究をもとに、「ベイル・イン」を一般化するための別個の提案をした。すなわち、「集団交渉条項(Collective Actions Clause――CAC)」である。CACとは、主要な債権者と債務国との間の再交渉により新条件が決まれば、その新条件を再交渉に参加しなかった他の債権者にも自動的に適用することを、あらかじめ債務契約が結ばれる段階で契約の定款に明記する方式である。もちろん、この狙いは「フリーライド問題」の防止だ。(p.188-193)


右と左と言っているが、これらの立場は矛盾するものではないだろう。国際資本取引を規制しながらも「右」のような「自生的秩序」の法的援護は可能だから。少なくとも、右の立場からは国際資本取引の規制は受け入れにくいかもしれないが、左の立場から右の提案を受け入れるのはそれほど困難では内容に思われる。

また、「現代と遜色がないほど「国際資本取引」が発展していた19世紀後半から第1次大戦にかけての時代に、国際資本取引の安全性はほとんど民間のイニシアティブだけで維持されていた」という指摘は興味深い。これはそうなのかもしれない。しかし、逆に言えば、100年も持たなかったのである。ブレトンウッズ体制という左のやり方も30年ほどしか続かなかったが、世界経済の規模は新しい時代の方が大きいだろうから単純に期間だけで優劣の比較はできない。

ブレトンウッズ体制ほど強力な資本取引の規制は今後は難しいとすれば、それよりは弱い規制と「自生的な秩序」の法的な援護の良い組み合わせを模索するというのが妥当なところなのではないだろうか。

ただ、CACという解決法を著者などは高く評価しているように見えるが、大口の債務者が小口の債務者よりも有利になる仕組みだから、それによるバイアスや不利益が生じる可能性などは過去の事例に照らすとどうなのだろう?という疑問が私としては残るところだ。



しかし日本の場合の「不確実性」は、足の速い国際資本の破壊力によるものではなく、純粋に国内要因としてわれわれの前に姿を現した。外部からの統制、監督を十分に受けない行政、官僚組織の欠陥など、高度成長の恩恵でこれまでは闇に隠れていたものが、ひとたびバブルが崩壊し平均成長率が1パーセント台にまで下がると、次から次へと明るみに出る。どこまで問題が発展するのか、暗闇はどこまで広がっていくのか、自民党の政治家はおろか、首相にさえそれは掴めない。国内政治の「不確実性のブラック・ホール」が、われわれの前にぽっかりと開いたのがこの時代である。(p.204)


大まかに言って、本書の著者の立場は金融業界にとって都合の良いことを是とする立場である。したがって、「国際資本の破壊力」が日本の「不確実性」であっては都合が悪いのである。そういう中で「官僚組織」が悪者として選ばれている典型的なパターンの議論である。これは特に90年代以降になってから繰り返し財界寄りの立場から発せられてきたものだ。

あまりにステレオタイプ化されているのだが、既に多くの人には常識として刷り込まれているから、こうした言説を目にしても違和感を感じるどころか是認する人も多いことだろう。

しかし、70年代以降の金融や経済の変化に対応できなかったことの原因としてこの要因を取り上げるのはあまり妥当とはいえない。というか、日本の行政組織の問題はあるのだが、それは「官僚組織の欠陥」のような普遍的な現象とは違うところに要因がある。すなわち、70年代にブレトンウッズ体制が崩壊した際に、オイルショックなども重なって、世界中でスタグフレーションの嵐が吹き荒れた。その際、日本だけが奇跡的にその被害を免れた。したがって、欧米諸国はその時代に政治や行政の構造や行動原理(行動を決定する基準)を変えなければならなかった。金融に対しても考え方がどんどん変わっていった。経済学の学説が劇的に変化したのを見てもそれは分かるだろう。それに対して、日本は70年代と80年代にむしろ黄金期を迎えていたために、欧米の動きとは違った動きになっていた。だから、90年代になって急に欧米と同じ土俵の上での政策判断を迫られてもそれのための準備がなかった、大まかに言えばそういうことである。政治家についてもそれは言えるだろう。シュムペーターはかつて「資本主義はその成功のゆえに終焉を迎える」としたが、それと同じように、ある時期に成功していることによって、かえってその後の時期に急に情勢が変化した場合には遅れを取るということがあるのである。

組織論というか、ある「組織の性質」として捉えると、正しい見方から逸脱することが往々にしてある。それは日本の経済発展を日本の国内要因だけで説明しようとしてきた19世紀から1970年代までの日本の経済史が間違いだらけなのと同じである。組織の失敗は組織の内部要因だけでなく、組織がどのような状況に置かれているのかという観点からも考えなければならない。

一度この見方を身につけてしまえば、世間一般に言われている官僚悪者論の多くが、いかに瑣末な議論であるかが分かるようになるだろう。そして、そうした瑣末な議論に拘っているうちに、本来解決すべき問題を解決する時機を失うのである。だから、私に言わせると、官僚の悪さよりも、下手をすると官僚に世の中(生活)が良くならない責任を押し付けようとしている世論やそのように誘導している連中こそが戦犯だということになるのである。

しかし、その際、私は前者に対しては、次の言葉を付け加えるのを忘れないようにしたいとは思っている。

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23:34)と。



「同時に量的緩和をするなら」という条件をアメリカ政府が為替介入について出したので、日銀も量的緩和に踏み切ったというわけである。(p.216)


この前後2ページくらいの箇所は大変興味深いところである。03年度に行なわれた33兆円という史上空前の為替介入や、その後の輸出主導型の経済回復もまた、アメリカ政府の許しを得て行なわれたということが当事者の証言つきで書かれている。



 第三に、「減税」を前面に押し出すことにより大統領選挙が有利に戦える。そもそも「減税」を経済プログラムの目玉とした初めての大統領はレーガンであり、それまでの共和党の経済プログラムの中心は「均衡財政」であった。しかるに、中心となるプログラムを「均衡財政」から「減税」に変更したことによる政治効果は目覚しかった。1933年のルーズヴェルト大統領から1980年のカーター大統領までの期間では、共和党の大統領はアイゼンハワー、ニクソン(フォード)と実質的には2人しか選出されなかったのに、レーガン大統領以降はクリントン大統領を除いて、すべて共和党の大統領が選挙で勝っているからである。(p.225)


共和党の大統領がかつては2人しかいなかったがレーガン以降は続出しているというのは、興味深い事実だが、恐らく「減税」だけの問題ではないだろう。それ以前はブレトンウッズ的な世界であり、福祉国家的でケインズ主義的な考え方がある程度通用していたが、その後70年代以降、スタグフレーションへの対応ができない中でケインズ主義への疑いが深まったということに象徴されるような状況の変化もある。

実際、現在進行中の大統領選挙でも争点は、イラク戦争であり、経済政策であり、医療保険であるとされている。争点は税金ではないし、むしろ、どの争点も歳出増大と関連がある。イラク戦争をするが福祉には金を使わない共和党か、イラク戦争からは撤退するが福祉などに金を使う民主党かという話だろう。大雑把に言えば。

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