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竹森俊平 『1997年――世界を変えた金融危機』(その3)

重要なのは、世界全体として「貯蓄」が「投資」を上回る傾向があれば不況圧力を生む原因になるという点だ。しかるに、97年から98年にかけての極東での金融危機は、まさにそのような傾向を発生させた。なぜかといえば、日本や東アジアの多くの国々の投資行動が、この事件をきっかけに慎重になったからだ。つまり、これらの国は、「不確実性のもとでは人々は最悪のシナリオを考えて行動する」というエルスバークの原理通りに行動した。投資を減らして同時に貯蓄を増やしたのである。(p.146)


97年の金融危機を境にして、東南アジア諸国などで投資が減り貯蓄が増えた。本書の説明では主としてそれはこうした心理的な問題として語られている。私としては、不確実性の認識のために心理(投資性向や貯蓄性向)に変化が生じた面もあるにせよ、個々の経済主体の資産状態の変化などももう少し考慮して説明してもらいたいという感じがする。単に不確実性を認識するようになったから心理に変化が生じたという説明は、現実の投資家や企業の行動を説明するにはあまりに単純すぎるからだ。現実にはもっと様々な要因を判断に組み入れているはず。



 以上の点を総合すれば、バブルに対して中央銀行が取るべき行動指針ははっきりする。
「もしバブル崩壊の反動による景気後退が訪れたときには、その影響を打ち消し、望むらくは次の経済拡大期までの円滑な推移を図る」
 これである。(p.155-156)


本文のこと直後に引用されているグリーンスパン氏の「バブルそれ自体ではなく、バブルの結果に対応する」という言葉は、この方針を端的に言い表している。

この方針については、本書を読んで、なるほどと思わされる点が多かった。しかし、本書は、主として金融市場の安定的な運営のために必要なことに視野が限定されており、それ以外の点でどのようなデメリットがありうるかという点についての言及はほとんどないのは気になるところだ。



 日本の場合、景気回復は輸出主導の性格がとりわけ強かった。小峰隆夫(2006)は、GDP成長率の要因別寄与度を測るという、経済白書などで行なわれる通常の計算の代わりに、日本の「総需要成長率」が「内需寄与度」と「輸出寄与度」の二つにどう分解されるかという興味深い計算を行なっている。「いざなぎ景気」を超えたとされる日本の景気拡大の始まったのは02年だが、それ以降についてこの分解を行なうと、いかに日本の景気回復が輸出に牽引されたものであったかが明らかになる。つまり、こうである。

(2002年)総需要成長率1.4%、内需寄与度0.3%、輸出寄与度1.1%
(2003年)総需要成長率2.4%、内需寄与度1.3%、輸出寄与度1.0%
(2004年)総需要成長率2.3%、内需寄与度1.3%、輸出寄与度1.0%
(2005年)総需要成長率3.5%、内需寄与度2.4%、輸出寄与度1.1%

 景気拡大の始まった2002年の総需要成長のうち、なんと80パーセントは輸出で、他の年も04年までは輸出の寄与度は5割前後に上り、05年になってようやく内需が総需要成長の中心となっている。「失われた10年」からの脱却の局面がこれだけ輸出に依存したものであったことを考えれば、なぜ政府が日銀の協力のもとに03年度に円高阻止のための33兆円にも及ぶ歴史上類例のない為替介入をしたかが理解できる。(p.169-170)


興味深いデータ。総需要成長率という概念についての詳しい説明はないが、参照文献についての指示があるのでそちらにあたってみようと思う。



 ともかく21世紀初めの世界経済を考えると、中国を含む多くの東アジア新興工業国がドルに対する固定為替制度を取っており、それに加えて日本までがドルに対する為替レートの安定化を図り、積極的な為替介入を行なったので、時ならず巨大な「ドル圏」が誕生することになった。それを英フィナンシャル・タイムズのコメンテーター、マーティン・ウォルフは、「連銀が世界の約半分の中央銀行になった」という言葉で表現している。
 時ならぬ巨大な「ドル圏」の誕生は、連銀の金融緩和の効果を増幅し、全世界に広めることに役立った。実際、今回のように、一中央銀行による金融緩和が全世界的な景気拡大につながったという例もめずらしい。歴史を振り返って、そのような例を他に求めるならば、それはすべて世界的な規模で固定相場制が成立していてた時代のものだが、2003年の世界の半分での「ドル圏」の形成も一種の固定相場制と考えられる。かくして東アジア通貨危機を経験した5カ国、同時期に国内の金融危機を経験した日本、通貨危機をまったく経験しなかった中国は、いずれもアメリカの消費の盛り上がりの恩恵を受ける。
 しかし、その後の各国の成長経路には違いがある。つまり、日本や東アジア5カ国は、病み上がりで、しかも「ナイトの不確実性」のもとでの悲観主義というトラウマを引きずった状態であったために、その好況にもいまひとつ力強さが欠けていたのに対して、トラウマを一切持たずにアメリカの消費盛り上がりの恩恵を受けた中国の好況はまさに爆発的だった。もしかしたら97年の東アジア通貨危機の持つ最大の経済的意味は、東アジアにおける中国の地位を強化したことかもしれない。2007年5月14日のフィナンシャル・タイムズの社説も、「通貨危機は、アジアの新興国の経済モデルの変化、すなわち先進国への『最終製品』の輸出という過去のパターンから、『部品』や観光を含めた『サービス』の中国への輸出という現在のパターンへの変化を意味した」と評価する。(p.171-172)


妥当な認識だと思われる。日本と中国とアメリカの相互依存的な経済構造もこの「ドル圏」なしにはあれほどうまくいかなかっただろう。そして、それは中国に最も有利に作用した。

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