アヴェスターにはこう書いている?
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神野直彦 『財政のしくみがわかる本』(その6)

 政府が大幅な財政赤字を出して、財政赤字の解消あるいは財政再建が問題になっている、ということを、新聞などで目にするでしょう。この財政赤字の問題を考える場合に重要な点は、これまでもお話してきましたが、政府は企業でも家計でもなく、いずれの経済主体でもないということです。そのことを認識して考えなければなりません。
 企業が借金をしている意味と家計が借金をしている意味とがちがうように、政府が借金している意味も、企業が借金をしている意味と家計が借金をしている意味とは、まったくちがっています。政府はいま大きな借金をかかえているといっていますが、政府は誰から借金をしているのでしょうか。政府は国民から借金をしているのです。
 4章で述べたように、いま日本の一般会計歳出予算では、四分の一を国債費(つまり政府がした借金返し)に支出しています。この借金返しは、誰に返しているのかといえば、国民に返しているのです。なぜなら、政府は国民から借金をしているからです。政府は国民から借金をして、また国民に借金を返しているのです。つまり、国民は借金をしているけれど、誰に借金をしているのかといえば、国民に借金をしているのです。家計にたとえれば、家族のなかで借金をしているようなものです。お父さんがお母さんから借金をしていたり、子どもがお父さんから借金をしている状態と考えればいいと思います。
 そうだとすると、日本は国家破産をするとよくいわれますが、この国家破産とはどういう状況かといえば、一家が借金をして首つり自殺をするような状態ではないことがわかるはずです。
 ただし、政府が借金をするときに、国民から借金をするのではない場合があります。それを「外国債」といいますが、外国から借金をする場合です。外国から借金をするとどうなるかというと、日本の国は借金をしたときには外国からお金が入ってきます。外国から国民所得が入ってきて、日本の国民所得は増えます。しかし、借金を返すときにはどうなるかというと、外国へお金が出ていくので、国民所得はそれだけ減ることになります。家計が銀行から借金をしているようなもので、外からお金を借りるけれど、返すときには外にお金が出ていくことになります。
 しかし、幸いなことに日本は外国債を発行していません。借金はすべて「内国債」です。・・・(中略)・・・。
 しかし、内国債を発行しすぎて国家破産したという例は、人間の歴史のなかでは一つもありません。第二次大戦中、日本はいまよりもっと多くの借金をかかえていました。しかし、それで破産はしませんでした。どういうふうに返したのかといえば、戦後インフレーションがおこったため、借金は事実上意味がなくなったのです。もう一つは、一回かぎりの財産税という巨額の税金をかけて、償還してしまいました。
 ・・・(中略)・・・。
 国家の借金は、家計の借金や企業の借金とちがって、返そうと思えばいつでも返すことができるのです。たとえば、日本政府が明日、借金を返そうと思えば、明日返すことができます。なぜなら、税率100%の国債保有税という税金をかければいいわけです。つまり、いま国債をもっている人に、国債をもっている額だけの税金を納めるという法律を成立させれば、一日で償還できてしまうのです。
 このことを恐れているのが、国債をもっている人たちです。国債をもっていない人々は心配する必要はありませんが、インフレーションになれば生活が混乱してしまいます。
 これまでの歴史からいえば、政府はお札を発行することができますから、インフレをつくってしまえば、いつでも解消できます。したがって、私たちが財政赤字について心配すべきことは、国家破産がおきることではありません。重要な点は、国債を多く発行することによって、金利が上がったり、インフレーションがおきたりという経済的な混乱をうまくコントロールすることです。

借金をしていることで何が問題なのか

 国家破産をする必要がないからといって、政府が借金をすることは問題がないのでしょうか。いえ、問題はあります。それは何かといえば、現在日本では予算の四分の一にものぼる巨額な金額を借金返しに使っているということです。
 くりかえすようですが、国民の生活を支えたり、国民の経済を支えたりする公共サービスを出していくことが財政の使命なのです。ところが、借金返しにお金が使われてしまうと、国民の生活を支える公共サービスや、企業が生産活動をおこなうための前提条件をつくりだす、という財政本来のやるべき仕事ができなくなってしまうのです。
 ・・・(中略)・・・。
 だから、私たちが考えなければいけないのは、財政そのもの収支を合わせるということではありません。財政の収支を合わなくする背後には、かならず経済的な危機か社会的な危機があるのです。そういう経済的な危機や社会的な危機を、財政を使って解消することが必要なのです。ところが、財政が借金返しに追われて、危機を解消するという本来の使命を果たせなくなるということが大きな問題なのです。
 もう一つ、大きな問題があります。それは4章でもお話しした、財政の大きな任務である所得再配分に反することです。・・・(中略)・・・。
 ところが、財政の借金が大きくなると、財政がこの所得再分配の機能を果たせないどころか、逆再分配の機能をもってしまうということです。なぜなら、国債をもっているのはお金持ちの階層です。したがって、国民からとりたてた税金を、国債の借金返しに使えば、一般の国民から税金をとって豊かな人々にお金を配分してしまうという現象になるのです。
 現在日本でおこなわれようとしている、財政再建のために消費税を増税しようという政策は、この典型です。なぜなら、消費税は負担が逆進的で、貧しい人に負担が大きく、豊かな人に負担が小さいからです。税金で貧しい人々に負担を求め、国債をもっている豊かな人々にお金を配分するということになるわけです。(p.131-137)



◆「国家破産とはどういう状況かといえば、一家が借金をして首つり自殺をするような状態ではない」というのは、同様にして、政府の財政破綻は、企業の倒産ともまったく違う。しかし、こうしたことの意味をはっきり認識している人は少ないのではないだろうか。ただ、何となく危機感を煽られている人が多いように見える。だから解決への処方箋も誤るのだろう。(私の友人にも国家公務員や地方公務員がいるが、彼ら自身でさえ、それを理解していないようだから苦笑するほかない。)

◆「国家の借金は、家計の借金や企業の借金とちがって、返そうと思えばいつでも返すことができるのです」というのも、以前から神野氏は言っていたことだが、たしかに理論的にはそのとおりなのだが、政治的には抵抗が大きいから、そんなに簡単にできるわけじゃないということは押さえておく必要がある。

むしろ、インフレが意図的というよりは半ば成り行きでできてしまうことで返済されるという可能性の方が高いだろう。しかし、インフレになれば弱者ほど厳しい状況に追い込まれる。とりわけ困るのは年金生活者だろう。

◆財政が果たすべき役割とは何かということをはっきり自覚していれば、「増税」という言葉が今ほど悪いイメージで捉えられることはなくなるだろう。逆に言えば、「増税」という言葉がほとんどそのまま「悪」の同義語のように捉えられるような(←やや強調した)、そういう考えが世論に蔓延しているような状態では、財政がまともに機能する素地はない。

「増税反対で歳出を削減しろ」というのが今の基調だろう。リベラルな人は福祉や教育を重視する傾向があるが、それだと「増税反対だが福祉は手厚くしろ」ということになるのだが、それは突き詰めれば「増税はせず、『無駄な』歳出を削減して福祉に回せ」という論になるだろう。しかし、『無駄な』歳出を削減するという場合の「無駄」の基準は明示されず、何でもご都合主義で適用されていくことは明白である。そして、ある分野を削減したら数年後に社会的な問題が起きて、ニュースになり、それが騒がれる。しかし、その騒動の原因が歳出削減にあるなんてことは、ほとんどの人には気づかれない、ということの繰りかえし。。。これこそ、神野氏が言う「社会的危機」であり、それを解消するのが財政の役割なのだが、こうした主張では社会的危機は解消どころか拡大してしまうことになる。新自由主義のイデオロギーが人々の常識の中に根強く根付いてしまっている現状があるから、それはもっと悪い方向に進んでいくことになるのだが、そうした悪夢のようなシナリオについて語るのはやめよう。

むしろ、増税とは、財政の機能を高める行為であると積極的に理解出来れば、増税によって「社会的危機」を解消する道が開けるのである。ただ、税制だけに特化して論じると、何が解決すべき問題なのかが曖昧になるから、それを明示した方が良いということは、今後、議論をしていく際には注意することにしようと思う。

ただ、この際にももう一つ障壁が入念に準備されている。これも90年代以降、ネオリベのイデオロギーを一般に普及させる際に使われた常套手段だが、「官僚への不信」である。一般企業だろうが行政だろうが、根掘り葉掘り徹底的に調べ上げれば、不正の一つや二つは簡単に出てくるだろう。それでよいと言うわけではないが、本当に解決すべき問題が何なのかということを放置し、それをむしろ意識に登らないようにさせた上で、こうした一つ一つは取るに足りない問題ばかりを糾弾するような風潮が蔓延していること自体が問題である。その意味で、やはり「少数派」である増税派の私としては、このポイントをはっきりと意識させるような議論を展開していく必要があるらしい、ということが、このエントリーを書いていてはっきりしてきた。

(問題は、こうした問題はあまりに多く、ワンフレーズで言い当てることができるものではないということだ。そうした本質的な要素は幾つかあるが、それを指摘しても、一般にはピンとこないらしい、という経験がある。そのジレンマをどう解決するか。)
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