アヴェスターにはこう書いている?
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神野直彦 『財政のしくみがわかる本』(その4)

私たちは財政でどんな支出をしようとし、どういう税を負担しようとするのか、何を基準にして決めているのでしょうか。いえ、決めるべきかを考えてみましょう。
 財政で支出するということは、国民がそのサービスをただで受けとることを意味します。たしかに国民は税という負担をして、支出をまかなっているのですが、企業や家計が経済を決めるときの原理である市場とちがって、サービスが提供されるとお金が動くということはありません。サービスは一方的にもらいます。
 そのかわり、税も一方的に払うというしくみをつくっているわけです。それはなぜかというと、サービスをただで配るためです。どうしてサービスをただで配らなければならないのかといえば、前にも説明しましたが、そのサービスを国民に必要に応じて配らなければならないからです。赤ちゃんは働くことがなくても、ただでサービスが提供されなければなりません。どんな高齢者も、あるいはどんな障害者も、ただでサービスをもらわなければなりません。そのために、財政で支出をするのです。
 もちろん、国民がその負担をしなければならないので、サービス全体にかかる費用を国民全体で負担しあっています。しかし、受けた人が費用を直接負担しない、というしくみにしています。
 そのことは、市場で財とサービスを配分すると、どんなことになるかを考えればよくわかります。市場で財とサービスを提供すれば、お金持ちには多くのサービスが行くことになり、貧乏な人にはまったく行かないことになってしまうからです。・・・(中略)・・・。
 ところが、働きたくても働けない人がたくさんいます。・・・(中略)・・・。
つまり、社会を維持していくには市場原理だけではうまくいきません。
 そこで私たちは家族や共同体をつくって生活しているのだということは、前にもお話したとおりです。・・・(中略)・・・。
 社会のなかに市場原理で動かない、家族のようなしくみがあるから生きていけるのです。・・・(中略)・・・。
 政府はみんなでお金を出しあって支えることによって、必要に応じて財とサービスを配るためにつくったのが財政というしくみなのです。つまり、購買力に応じて配られる市場と必要に応じて配られる財政というように、経済は二つに分かれているのです。

ニーズとウォンツ

 私たちは、どういうものを歳出、つまり財政の支出によって配ればいいのでしょうか。それはその社会で必要に応じて配られなければならないサービスかどうか、ということを基準に決めることになります。つまり、高齢者でも赤ちゃんでも病人でも、必要な人に配っていくサービスなのかどうかということです。
 こういうサービスで満たされる欲求のことを、私たちは「ニーズ」(基本的欲求)と呼んでいます。これは、それが欠けると人間が生存するのが困難になってしまう欲求をさしています。つまり、欠けると生きていけないので、そこが埋められなければならない欲求なのです。
 人間はもう一つの欲求をもっています。必要不可欠なニーズが埋めあわされたとしても、なお膨大にふくれあがっていく「ウォンツ」(欲望)がそれです。
 私たちの社会では、ニーズは財政にまかせ、ウォンツは市場にまかせるということが原則になります。なぜならウォンツ、生存に必要不可欠なものを超えるような欲望は、購買力に応じて配ってかまわないからです。(p.113-117)


この基本的な考え方が徹底的には理解されていないという現状は問題だろう。今の日本では財政の分野に市場原理の発想を持ち込むことがあまりに多すぎるのだ。

ニーズとウォンツに関しては、私としては多少、考え方に違いがあるが、まぁ、その批判は今はやめておく。

ただ、例えば、医療費の負担に関して「すべて公費負担にするべきだ(つまり、個人の支払いはゼロでいい)」と誰かが言い出せば、市場原理主義的な立場からは「モラルハザードがおきる」という類の反論が返ってくることがある。

しかし、医療費がただになったからといって、具合が悪くもないのに病院に行く馬鹿がいるだろうか?レントゲン撮ってほしがったり、いくらでも沢山注射してもらったりする馬鹿がいるか?微妙に「調子が変かも?」と思ったときにすぐに病院に行って検査してもらう人は増えるかもしれないが、それで予防できればそっちの方が安上がりだろう。

モラルハザード論の多くは、上記の図式で言えばすべての欲求をウォンツであると仮定しないと成り立たないものが多いと私は思っている。しかし、病院に行きたいかどうかはニーズという側面の方が遥かに強いだろうということは上の例を見てもらえばわかるだろう。そういう意味で、次々と自己負担が増えていく医療費というのも、かなり大きな問題を孕んでいると言わざるを得ない。

ここでは医療費を取り上げたが、似たようなことはいくらでもある。ここでは、神野氏的な区分も認識を明晰にするための理念型として役立ちうる、ということをちょっと言ってみたかっただけである。



 スウェーデンの中学校の教科書では、子どもたちに、財政の選択について、つぎのような見解を紹介しています。『あなた自身の社会――スウェーデンの中学教科書』(アーネ・リンドクウィスト、ヤン・ウェステル著、川上邦夫訳、新評社)によっています。
 一つめの見解は、「減税をしよう。そうすれば人々の選択の自由を拡大することになるからだ」というものです。
 二つめは、「減税はぜったいにだめだ。私たちが減税に反対するのは、より多くの保育園、よりよい給食、障害者にも使いやすい街づくりをすることを意味しているのだ」という意見です。
 三つめは、「私たちは、減税はしないけれども、料金の引き上げをしよう。そうすれば、電気や水道を浪費している人よりも、電気や水を節約している人のほうが少なく支払うことになるので、公正だからだ。バス、保育園などは料金にしたほうがいい」という意見です。
 四つめは、「そんなことをしたら、ぜったいにだめだ。子どもたちや高齢者はどうするのだ。料金を引き上げるくらいなら増税しよう。それが高齢者や子どものいる家族にとってベストだ」という意見です。
 そして、「税か料金か、あなたはこの四つの意見のうちどれに賛成しますか」と問いかけ、子どもたちに議論させるようになっています。
 この教科書は、子どもたちに、
 ①財政でまかなうのをやめよう。
 ②これまでどおり、財政でまかなおう。
 ③財政でまかなうけれど、料金引き上げでまかなおう。
 ④財政でまかない、増税でまかなおう。
のどの方針でやろうかと聞いているのです。(p.117-119)


日本の政治家にも読んでもらいたいものだ。
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