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アヴェスターにはこう書いている?
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神野直彦 『財政のしくみがわかる本』(その3)

 「日本の直間比率は高すぎる」とか「もっと直間比率を是正すべきだ」という議論をよく耳にすることがあると思います。こうした議論の前提には、直接税が経済的な力に応じた課税であるということがあります。つまり、直間比率が高いということは、経済的な努力に応じて課税される応能原則にもとづく税金のウェイトの高い租税制度だと考えています。
 そうだとすれば、直間比率が高い租税制度は、お金持ちの負担が大きくなる租税制度だといえます。そこで「経済活性化にいかがなものか」とか「直間比率を是正しろ」という議論がおこってきます。
 ただ先ほども述べたように、日本の直間比率が高いのは個人の所得税が高いためではありません。法人税のウェイトが高く、法人税は転嫁するかしないかわからないのです。さらに、所得税は抜け穴が多く、経済的な力に応じて累進的に課税しているとはいいがたいので、直間比率が高いからといって、是正する必要があるのかどうかは、慎重に議論する必要があるのです。(p.87-88)


もし直間比率が形式的には高いとしても、実質的に応能的ではないのであれば、そうした形式を理由にして「直間比率を是正しろ」とは言えない、ということ。そのとおりである。

法人税については、前に引用したとおり、負担が転嫁するという実証研究があるというのことが、この主張の正当性を強化するものである。

また、応能的な課税をしたからといって、「経済活性化にとって悪影響がある」とか、「勤労意欲が下がる」というわけではない。

応能的な課税で所得格差を是正したほうが国内市場の消費性向が高まり、国内需要が伸びるので、需要不足(供給過剰)の経済状態においては所得は平等性が高いほうが経済的に効率的である。(日本は自動車業界の業績を見てもわかるとおり、供給の方が国内需要よりも上回っていて、国内市場が冷え込んでいるため、輸出に頼っている。)その上、輸出に頼るよりも国内市場の安定を保つ方が、経済の安定的な運営にとっても好ましいことは言うまでもない。もちろん、その他の側面も考慮すべきことはあるが、経済が活性化しないとア・プリオリに決められるものではない。

むしろ、上記のような主張は新古典派経済学の市場原理のモデルでは需要と供給は一致すると前提しており、それが現実と乖離していることを考慮していないから出てくる主張である――むしろ、それを知りながら自分の業界にとって都合の良いことを主張している――と考えるべきだろう。



 使途別分類についても、戦前と戦後をくらべる円グラフを描いてみましょう(図4・4)。これを見ると、第二次大戦後の日本政府は、ほとんど人件費と物件費に使っていないことがわかります。現在の一般会計の予算は80兆円ですが、人件費と物件費に使っているお金は全体の9%程度しかなく、政府がほとんど人件費を使っていないことがよくわかります。
 ところが、第二次大戦前の日本、あるいは他の国を見ると、そんなことはなくて、政府がいろいろなサービスをつくっています。戦前は、だいたい40%を人件費や物件費で使っています。ただし、人件費と物件費の大部分は防衛費でした。兵隊の給料と戦車などの武器・弾薬でした。
 このことは戦後も変わりありません。戦後の人件費は5%程度ですが、そのうちの約三分の一以上が自衛隊員の給料です。日本はほとんど公務員がいない社会だということがわかるでしょう。物件費の多くも自衛隊の対潜哨戒機や潜水艦を買うためのお金です。実質的な経費では、防衛費が大きなウェイトをしめています。(p.101-102)


武器を買うのには妙に金をつぎ込みながら、それを無視して福祉や教育などの分野には金を使わないというのが、日本の財政の特徴である。福祉や教育を強化するには人手がいるということにはあまり気づかない人が多いらしい。福祉のサービスも形式上は「民間」にやらせているし、介護なども「保険」でやっている。それを行政がやったら何か悪いのか?福祉の人手不足が一挙に解決されると思うのだが。それだけ公務員(としての福祉従事者)を増やせばね。

消防士や警察官のような福祉の専門職を増やすべきなのだ。その人件費を確保する分の増税をすべきであり、それこそが「小さすぎる政府」を抜本的に変えることの一部なのだ。ところがリベラルでさえ日本を「大きな政府」だと言って、増税を忌避した上で「無駄を削れ」という。無駄な公共事業などを削れという声は、単に公共事業で終わるものではない。新自由主義やネオコンの勢力にとっては、それは大変利用価値がある言説であり、悪いことに彼らは普通の人よりも遥かに権力をもっている。だから、いろいろなルートを通って――とりわけ地方交付税の削減という、一般受けしそうなルートが重要だろう――「しっかりと」教育や福祉を追い詰めている。だから生活保護を受けないようにする自治体も現れ、「おにぎり食べたい」といって死ぬ人が出るのだ。

「増税が嫌だから」という理由が根底にある中で、その負担を押し付ける先として――本来ならば、その機能を拡充することによって問題を解決することができるはずのものである――公務員(官僚)や行政を選んで叩いている――その上で、格差に対応すべきだとか福祉や教育が足りねぇ、と言う、もっともではあるが無理な注文をする人もいる――という世論が主流であるという時点で、既に「この国は終わっている」というのが私の大雑把な認識だ。

(私に言わせれば、私が未だ選挙権があるかどうかという頃(90年代)に、増税なしどころか減税しながら国債を増発して――目には見えていないだろうが――実際には利益を得てきた、私よりも年上の世代には官僚批判や行政批判をする資格などないと考えている。国債増発で利益を受けてきたのは主に現在40代以上の世代、特に団塊の世代以上の世代だろう。彼らに急いで課税して、90年代に彼らが受けた恩恵の分を負担してもらわなければならない。あまり世代論を持ち込むべきではないとも思うが、事実上、90年代の恩恵は今の10代や20代前半の若者にはあまり関係のない負担なのだから――公共事業だから資本的投資なので一応関係あるのだが――あえて言ってみた。)

そして、私も、もともと激しく公務員(行政)批判をしていたが、それをどんなに巧みにやってみたところで現実の社会の動きの中ではネオリベに加担することにしかならないことに気づいた時点で、私はそれを封印することにした。極力、内在的かつ客観的に状況を理解した上で批判を行ない、そのうち具体的に実行可能な提案だけを選んで実際に行政に伝えればいい、そういう考えだ。ウェブ上では、右も左もネオリベに加担している議論を論駁するのが先だと考えている。したがって、私本人は官僚に対して必ずしも同情的なわけではない。「ウェブ上では」否定的な批判を控えているだけである。
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