アヴェスターにはこう書いている?
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神野直彦 『財政のしくみがわかる本』(その2)

 租税は、三つの要素が成り立っていないと、租税とはいいません。
 一つは強制性です。強制的に貨幣が調達されるという意味です。・・・(中略)・・・。
 二つめは無償性です。つまり、租税では何の対価もなく、反対給付は何もありません。市場社会ではお金が流れれば、かならず反対にものが流れたり、少なくとも利子をつけてお金が流れたりするのですが、返ってくるものがないというのが二番めの条件になります。
 三つめは収入性です。国家の活動を営むためにお金を調達するということです。つまり、何かをするための収入となるということです。強制的に、しかも何の対価もなくお金をとられるけれども、収入を目的にしていない場合には、租税とはいいません。交通違反で罰金をとられたという場合には、罰金は収入を目的にしていないので、租税ではありません。
 反対給付の請求権をもつものも、租税ではありません。このお金を払ったのだから何かものをくださいというのが反対給付の請求権です。私たちが市役所へ行って、「住民票をください」と言えば、手数料をとられます。こうした手数料を支払えば、かならず住民票が返ってくるので、これは租税ではありません。(p.55-56)


この箇所は結構ツボだった。確かに財政学の教科書などには、無味乾燥にこの三つの原則は書いてあるのは、よく目にしていたが、最近の税に関する議論を聞いていると、「払っているのに何もしてくれない」と言わんばかりの主張が今の日本では主流になっているからである。租税とはもともと、それを払ったからと言って、それに対する反対給付を求めることはできないものなのである。だから、上述のような議論は、そもそも「租税とは何ぞや」の基本を押さえていないワケだ。

もちろん、トータルで見れば、払った分は某かの形で、誰かに返ってくる。しかし、払った人が受けられるというものではない。だから、自分が税金を払ったのに自分には何の反対給付もないといって腹を立てたり、自分は給付がないのにあいつらだけ私腹を肥やしているのはずるい、と言わんばかりの議論は、そもそも根本からして間違っているわけだ。

右派による生活保護に対する非難などは、まさにこうした発想の極端な発露だが、左派やリベラルも、同じ発想に流れているという点は押さえておくべきだろう。私から見て、恐ろしいのは、多くの人々が、そうした発想は、いわゆる「市場原理主義」のヴァリアントである――同時に、租税についての認識としておかしい――ことを自覚していないらしいことである。

「払っているのに何もしてくれない」だとか「こんなに無駄遣いしている」という類の言説では、租税の支払いとそれに基づく政府の活動は市場原理とは異なる原理で動くべきものであるということは事実上否定されており、政府の活動も市場原理と同様の動きをしなければならない、と(無意識的に)前提している。つまり、「あらゆる領域で市場原理を活用すべき」という前提に立っているという点で市場原理主義の一種と言うことができるのだ。



法人税は、法人が価格に転嫁しているという考え方もあり、じっさいに転嫁している、それどころか過剰に転嫁しているということも実証されています。さらに間接税も、デフレつまり価格が下がっているときには消費者に転嫁できるとはかぎりません。(p.63)


一応、事実として押さえておこう。



所得税を経済的な力に応じた公平な税金にするための条件が、三つあります。
 一つは累進性です。豊かな人はより高い税率を、貧しい人は低い税率を、という原則です。
 累進税率については、単純累進と超過累進の二とおりがあって、単純累進にすると、税を引いた手取りの所得に逆転現象がおきます。・・・(中略)・・・。
 1887(明治20)年に日本が最初に所得税を入れたときには、単純累進でした。税率は1~3%の五段階で、非常に低い税率だったので単純累進でやりました。
 しかし、通常の場合には、逆転現象がおきないために超過累進でやっています。・・・(中略)・・・。
 二つめは差別性です。額に汗して働いた所得には軽く、財産をもっていることによって得た所得には重く課税する、という原則です。
 ・・・(中略)・・・。
 差別性の方法には二つあります。
 一つは現在、日本でやっているような、給与所得に対しては、特別な控除、つまり給与所得控除を設ける方法です。現在では給与所得控除は「減価償却部分だ」とか「必要経費部分だ」と説明されています。基本的な税の考え方からは、給与所得には軽く、資産所得には重くという原則をつらぬくために、「同じ所得でも税金を負担する力はちがう」ということから設けられた制度だということを、忘れないようにすることです。
 もう一つの方法は、ネット・ウェルス・タックス(net wealth tax・純資産税)です。同じ税率をかけますが、財産所得に特別な税金をかける財産課税とセットで考えて、財産所得に重く課税するという方法です。しかし、現在の日本では、ネット・ウェルス・タックスは設けられていません。
 三つめは、最低生活費免除の原則です。人が最低限度生きていくための生活費だけは、免税にしましょうという原則です。このために日本では基礎控除を入れています。課税最低限では、基礎控除のほかに配偶者控除、もう一部廃止しましたが配偶者特別控除、子どもたちに扶養家族控除を設けています。
 日本の考え方では、標準世帯では子ども二人を前提にしているので、基礎控除38万円、配偶者控除38万円、それに38万円の扶養家族控除の子ども二人分、これを課税最低限といっています。いまは出生率1.29で、子ども二人はいませんが、依然として二人を課税最低限にしています。
 所得税の考え方からいえば、そういう控除をしたうえで、すべての所得を合算して累進課税をかけて、お金持ちには高い税負担をしてもらっています。
 ところが、じっさいには日本の所得税は累進的にはなっておらず、ほとんど比例的になっています。それはなぜかというと、お金持ちの所得は給与所得ではなくて、利子所得や配当所得、不動産所得などの資産所得が多いのですが、日本の所得税ではこうした資産所得の多くについて、分離課税といって累進税率の適用除外にしているからです。・・・(中略)・・・。
 日本の所得税に関する問題点は、すべての所得を集めて累進税率をかけないで、あまりにも多くの所得を分離課税していることです。多くのヨーロッパ諸国では金融所得も累進課税をしています。日本の場合は分離しているために、応能的に課税できる唯一といえるほど重要な所得税が、お金持ちに多くの負担を強いていないという問題点があるのです。(p.64-69)


私は所得税には結構うるさい。平均的な水準と比べると、かなり詳しい方だと思っている。そんなこともあって、本書のこの部分は本当にうなづきながら読んだものだ。強いて言えば、ピンク色にした明治時代の話は知らなかった(笑)。本筋と関係ないけどな。

政府の税調の報告書が毎年11月頃に出るのだが、それらの政府や政治の場における議論の中で、不思議なほど触れられないことがある。それが上記の差別性の考え方である。下線を付したように、給与所得控除は、必要経費として説明されることが多い。私もそう思っていたところがある。

ただ、神野氏がここで差別性のために給与所得控除が設けられているということを力説しているには訳があると思う。それは所得税の増税の際に給与所得控除を小さくすることで増税しようと言う思惑を、一部の人々が抱いているからではないかと思う。

その人々が所得税を増税しようとする際の「屁理屈」こそが、「給与所得控除は必要経費」という説なのだ。あまり気にしていない人も多いだろうが、給与所得控除の金額と言うのは結構でかい。(サラリーマンは自分の源泉徴収票を見てみるといい。)実は「必要経費」として説明しようとすると不合理なほど控除額が大きいのだ。どう考えても、サラリーマンやっていて1年間でこんなに必要経費がかかるわけがない。だから、この論理で押し通されると、給与所得控除は維持できないだろうと私は思っている。

しかし、神野氏の言うように、給与所得控除は実は差別性の原理に基づいて、資産課税より軽課するための措置であるという理解に立てば、この控除を維持することは妥当だと言える根拠になる。むしろ、今はかつては考えられないほどの大金持ちが登場している時代なのだから、増税する場合には、資産課税を重課することを優先すべきなのだから。

だからこそ、私はこのことをブログ上にメモしている。数年後、必ずこの議論は出てくるだろうと見ている。消費税の増税に隠れて一緒に法案が提出されるのではないか。そうなったときに誰かが必ずこのエントリーを「給与所得控除」で検索をかけて見つけてくれるに違いないと考えて、「未来への手紙」としてここに残したつもりだ。

そして、日本の現状は神野氏も指摘するとおり、資産課税を比例税率かそれに近いやり方にして軽課しているという現状がある。そうした中で資産課税は保護しながら、給与所得控除を削るのは、明らかに金持ち優遇を強めることになる。金持ちがずるいと言っているのではない。財政の所得再配分機能を果たすためには累進性が高いことが必要なのだが、そのための税金は主として法人税と所得税なのである。どちらも税率がフラット化され続けてきた経緯があり、累進的な税としての機能を喪失しかけている。それに追い討ちをかければ、所得再分配機能は破綻する。つまり、長期的に、社会の統合が崩れてくる、そういう問題なのだ。金持ちはずるいとかそういう感情的なレベルの議論ではない。


さて、課税最低限のところも、表現は婉曲だがその議論のインプリケーションとしては、なかなか面白いものがある。出生率1.29なのに標準世帯を子ども2人にしているという指摘は何を意味するか?扶養控除を引き上げるべきだという議論に繋がる、というのが私の見方だ。確かに、標準世帯を4人家族にしているのは今や不自然かもしれない。一考の価値があると思う。

しかし、私としては扶養控除はむしろ一部撤廃してよいという考えだ。一見逆行するように聞こえるかもしれないがそうではない。子どもの扶養に関しては扶養控除をやめて、その分、児童手当の拡充という形で給付するほうがいいからだ。特定扶養控除も廃止して同様の措置をとればいい。つまり、それ以上の年齢(22歳より上)の扶養家族についてのみ、扶養控除を適用すればいい。

なぜか?

簡単なことだ。扶養控除という形で子どもの扶養の費用を非課税にするというやり方では、もともと扶養控除がなくても非課税であるほとの低所得世帯には何の恩恵もないからだ。逆に、年収数千万円ある家庭では扶養控除による恩恵は累進税率に応じて高まる。つまり、税率5%の人と税率40%の人では同じ控除額でも、税額に現れる金額は8倍の相違(単純計算で19,000円と152,000円)がある。これも逆進的な構造になっているのだ。児童手当を年齢と金額の両面で拡充するようなものであれば、こうしたおかしなことは解消される。

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