アヴェスターにはこう書いている?
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ニクラス・ルーマン 『システム理論のパラダイム転換――N.ルーマン日本講演集――』

 自己準拠的システムの理論は、システムに関する分化をただ自己準拠Selbstreferenzfをとおしてのみ現わすことが可能であるということを主張している。基本的な意味で自己準拠とは、システムが成り立っている要素がシステム自身によって生産され、また再生産されるということをのべているのである。ひとつのシステムの要素の基礎的領野にかんするこの自己準拠の本性は「自動創作」Auto poiesisとよばれる。その際要素とは、システムの他の要素と他の要素を越えて自己自身の実在条件に関係するものにほかならない。だからシステムとはシステムの要素の構成のこのような領野での回帰的に閉じた体系なのである。「生命」はそれ自身閉じた再生産の諸連関の保持として定義されるし、またすべて開かれた周界領域というものはこのことを前提としている。(p.10)


ルーマンの「システム」についての捉え方が、極めて簡潔に表現されている箇所と思われたのでメモしておく。

このシステムが閉じたものでありながら開いている、ということがミソになってくるものと私は見ている。

ただ、ルーマンの理論(残念ながら、私はあまり詳しくない)でよくわからないのは、彼がなぜ「分化」に拘るか、ということである。「分化」なんていう概念を導入する必要は全くないと思うのだが。まぁ、これは将来、ルーマンをもっとしっかり読むときのための課題として残しておこうと思う。



 私は、「社会」を有意味なコミュニケーションの、そのつどもっとも包括的なシステムと理解している。すなわち社会は人間から成り立っているのではなく、もっぱらコミュニケーションによって成りたっている。人間は肉体的様態と精神的様態で社会システムの周界Umweltの一部を形成する。勿論、だからといってこの周界なくしては、コミュニケーションがまったく不可能であることは疑う余地がない。
 同様に重要なのが第二点である。すなわち社会は一つの自足的なgeschlossenコミュニケーションシステムであり、このコミュニケーションシステムは、コミュニケーションがコミュニケーションを引き出すという仕方で自己を再生産する。このシステムはあらゆるコミュニケーションを包含するとともに、コミュニケーションだけを包含する。またこのコミュニケーションシステムはシステムを構成している諸要素そのものを作り出す。その意味でこのシステムは最近よくいわれる自己準拠的システム、あるいは自動製作的autopoietischシステムである。
 自足性Geschlossenheitは、ここでは開放性の反対語[すなわち閉鎖性]としてではなく、まったく逆に開放性の前提条件として理解されるべきである。(p.95-96、本文で傍点の箇所は引用文では下線を付した。)


こちらの方が上の箇所よりさらに分かりやすく、表現も適切かもしれない。

思うに、ここで述べられている「コミュニケーション」という言葉を静止したイメージで(観察者的に)捉えてしまうと、ルーマンの社会システムは理解出来ないだろう。ある周界の地点から他の周界の地点につながっていく、つながりの動作ないし作動そのものとして、そして、その連鎖が継続している限りにおいて、社会が持続している捉え方である。

ルーマンの考えをそのまま使うかどうかは別としても、こうした作動の局面に着目しなければうまく説明できない現象はある。その一つのパラダイムを与えたという意味では、ルーマンの理論にも歴史的(学説史的)な意味はあったと言えるかも知れない。
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