アヴェスターにはこう書いている?
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興梠 一郎 『中国激流 13億のゆくえ』(その1)

 中国の農村問題を考えるとき、農業では十分な収入を得られないために都市部に大挙して流れ込んでくる農民の境遇を無視することはできない。彼らは「民工(ミンゴン)」と呼ばれる。「改革開放政策」は当初、集団化されていた農地を農民に請け負わせることから始まった。ところが最近では都市化が進むなか、土地を手放して農業戸籍から非農業戸籍(いわゆる都市戸籍)に変わるケースが増えているのである。農業部(部は省庁に相当)の調査によれば、現在9800万人の農民が出稼ぎに出ている。出稼ぎ労働者は、産業労働者の三割を占めるまでになっており、農民一人当たりの年収に占める出稼ぎ収入の割合も四割に達している。これは、農村経済の工業への依存度が高まっており、経済成長が止まれば、農村にまで大きな影響をもたらすというリスクもはらんでいるということである。(p.25-26)


都市の景気が悪化した際に、真っ先に打撃を受けるのがこうした出稼ぎ労働者であろう。それは彼らの仕送りを生活の足しにしている農村の家計に波及する。その上、中国では農村は社会的セーフティネットの整備が特に遅れている。こうした意味での脆弱性は確かにあると言うことができる。

しかし、私は差し当たり、中国の経済発展に関してはやや楽観的な見方をしている。確かに、現在はアメリカ発の不況が世界を覆う可能性があるなど、様々なリスクの要因はあるのだが、仮に世界不況になったとしても中国は(中国政府が望むような「民族資本」の台頭ができるかどうかではなく)地域としては、そうした経済の収縮局面でも相対的に優位に立てる可能性があると考える。

(そもそも世界的な不況、経済の収縮局面にあっても、世界の一部の地域では経済成長を維持するという事例はあり、むしろそれが普通ではないかと考える。17世紀のオランダがそうであったし、また、なにより1970年代の日本がそうだった。)

楽観するに当たって、具体的な根拠が十分あるわけではないが――そもそも、どういう形で世界経済が展開するかということすらわからないのだから、具体的な根拠で答えられるわけがない――一言で言えば、世界における中国が製造業の拠点としての位置を占めているのではないか、と思うからである。金融のトラブルがあっても、生活必需品は需要がなくなるわけではなく、それを安く大量に作ることができる地域にとっては、金融のトラブルというのは相対的には有利な状況でさえあり「うる」。



 また、中央政府が中規模以上の建設会社12社に対して行なった調査では、2001年末の時点で支払われていない工事代金は97.91億元あり、うち地方政府が未払いのものは50%にも達していた。2002~2003年は地方の指導者が交代したので、さらに政府プロジェクトが行なわれたはずである。未払いがもっと増えている可能性がある。
 これを受けて中央政府は2003年12月、通達を発し、「地方政府主導の工事が未払いの主な原因だ」と指摘した。ここでいう「工事」とは、地方政府の最高権力者が任期中に進める「形象工程」(業績作りのためのイメージアップ工事)のことである。彼らの目的は、業績をあげて出世することにある。高層ビルや高速道路などは、中央から指導者が視察に来たとき、繁栄していると「一目で」わかるので、イメージアップに最適だ。GDP(国内総生産)の数値が上がれば、中央への大抜擢も夢ではない。結局、そうした行為を助長する政治体制のあり方が、資金の流れを歪めているのである。(p.30-31)


「形象工程」というのは分かるような気がする。中国のどこの都市に行っても、どこか(他の都市)でみたようなデザインのビルが立ち並んでいるのを目にするのだが、このことなども関係があるのではないだろうか。



 日本から中国経済を見るとき、忘れてはならない二つのポイントがある。ひとつは、外から見る中国像には、フィルターがかかっているという点。もうひとつは、中国経済は今でも政治支配の経済であるという点である。
 海外の中国論は、総じて中国における中国論より楽観的で、中国がすぐにでも先進国を追い抜くかのように報じている。これは、中国を有望なマーケットと期待しているからである。特に日本では、近年の「中国特需」もそうした期待を増幅してきた。(p.126)


中国を有望なマーケットと見ている人びとが、中国の経済を楽観的に見るというのは、確かにそうだろう。しかし、それが単なる願望にすぎないか、それとも現実を反映している面がどの程度あるか、と考えれば、既に中国にはかなりの購買力がある所得階層の人びとがいる。日本の人びととそれほど遜色ない金額の月収を得ている人も結構いる。そんな人びとが5000万人いるとすれば、それだけで既にヨーロッパの大国並みの消費市場があるという計算になる。その上、消費拡大の潜在的な余地も大きいとは言える。

私としては、中国の経済を決める大きな要因は、本書が注目する農村もさることながら、アメリカであると思う。

さて、上記の引用文では「中国経済は今でも政治支配の経済」であるとされている。確かにそうした側面はあるだろう。こうした認識は本書を通じて何度も語られるのだが、これが問題だとされる際、対比されているのは、「純粋な市場経済のモデル」である。それを考えに入れると、この議論は、理想的に機能するように作られたモデルを一方で思い描き、その状態を目指すべき理想であるとしているところがある。

しかし、政治の介入がなくなることはありえない。政治の経済支配をやめて純粋な市場経済に移行すべきというメッセージを本書は発していると思うが、むしろ、政治による経済支配のやり方を変えるという選択肢もあるのであり、その線で考える方がリアリティもあるし、うまくいくと思うのだが。
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テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

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