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アヴェスターにはこう書いている?
本を読んでいて気になったことなどを徒然なるままにメモしておくブログ。書評というより「読書メモ」。
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吉川幸次郎、三好達治 『新唐詩選』

 ところで、このみじかい詩の底には、中国の詩に常に有力な、二つの感情が流れている。ひとつは、さっきのべた推移の感覚である。推移する万物のひとつとして、人間の生命も、刻刻に推移し、老いに近づいて行く。悲哀の詩はそこから生まれる。歓楽の詩もまたそこから生まれる。天地の推移は悠久であるのに反し、人間の生命は有限である。有限の時間の中を推移する生命は、その推移を重々しくせねばならぬ。推移を重々しくする道、それは推移の刻刻を、充実した重量のある時間とすることである。歓楽はその道である。富、栄誉もまた、その道である。
 もうひとつは、人間は不完全であるのに対し、自然は完全であるとする感情である。自然、ことに山川草木は、常に秩序と調和にみち、適当な行為を適当な時期に示し得る。春ともなれば、江は碧に、山は青く、花は然えつつ、そのエネルギーを十分に発散する。人間はそうはゆかない。おのれは政治家として、おのれのエネルギーを、人人に対する善意として、はたらきかけたいのに、そののぞみはいつまでも達せられない。人間も自然の一物である以上、自然のごとく秩序と調和にみちた世界を作り得るはずである。いな、人間は、自然のうちでも、最も能動的な、万物の霊長である以上、秩序と調和とを、自然の本来以上におしすすめ得るはずである。しかし実際は、そうはゆかない。能動的であるだけに、そうはゆかない。秩序と調和の源泉でありその典型である自然。その自然の選手たる地位を与えられながら、秩序と調和を失いがちな人間。両者はかくて阻隔する。この阻隔に対する悲しみ、それはひとり杜甫の詩のみならず、中国の詩のおおむねの奥を流れる普遍な感情の、また一つである。(p.7-8)


中国の詩を読む上で参考になる捉え方の枠組みである。



 杜甫が人間の心情の美しさを歌う詩人であり、李白が人間の行為の美しさを歌う詩人であるとすれば、王維は主として自然の美しさを歌う詩人である。(p.120)


それぞれの詩人に簡潔で的確なイメージを与えている。



 唐詩に限らないが、中国の詩には大きな空間長大な距離感の歌いこめられたものが多い。詩の表面にでなくともそれが背後にとり入れられて余情となっているものが甚だ多い。十中八九の詩が、そういう茫漠とした天地の寂寥感となにがしか繋がっている、密接に、親密に、殆んど修辞上の常識のような形になって繋がっているといってもいいであろうか。(p.206)


詩に限らず、山水画などもこうした感じのものが多いような気がする。



 これも唐詩に限らないが、中国の詩はいったいに、情を抒べるに当って最も景を叙するに力をつくす詩風である。(p.207)


この点は詩に限らず、中国の文化には、景というか形にこだわるところがあるように思う。

例えば、現在でも、景観のよさが売りであるような観光地に行くと、岩や鍾乳洞などの形を別の動物や龍などになぞらえて名前をつけていたりするのをよく目にする。このことも、詩に表れているような考え方と通じていると思う。
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