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アヴェスターにはこう書いている?
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天児慧 『中国・アジア・日本――大国化する「巨龍」は脅威か』

 そもそも近代における日中関係史において「日本=侵略=悪、中国=抵抗=正義」という図式があり、その枠組みから外れた独自の解釈に対してしばしば「反動」といったレッテルを貼る見方はおかしい。日本では少なくとも1910年の韓国併合以降、第二次世界大戦終結までのアジアへの関わりを、結果的には「侵略」として認識することが通説的になってきているが、明治維新以降の日本の近代史までも「侵略」的な面に重点をおいて解釈することには納得いかない。日本の近代史は他方で、アジアの近代化、アジアの革命運動を触発したことも事実である。挫折はしたが清朝末の康有為らの改革に対して伊藤博文ら明治維新新政府要人たちは懸命にそのノウハウを提供している。さらに「韓国併合」や「中国侵略」のお先棒を担いだとして厳しく非難されるようになった「アジア主義者」のなかには、宮崎滔天のような孫文革命に命をささげた人たちが少なくない。日中戦争が本格化するなかでも、石橋湛山(戦後の首相の一人)のようなリベラルな人が声高に「満州放棄論」を展開しているのである。(p.39-40)


中国や韓国が日本の教科書問題を批判するスタンスは、「日本=侵略=悪、中国=抵抗=正義」という図式に一面的に拘泥している。この批判は妥当である。

もちろん、そうだからといって、日本の教科書の「自慰史観」の妥当性が維持されるわけではないが。かなり高く評価しても、中韓の批判と同位対立でしかない。事実認識の問題としては中韓の批判には一理あるから、そもそも事実認識の問題としておかしい自慰史観よりは、中韓の立場の方が学問的に見ればマシだとさえ言える。

後半の天児氏の見解はそれなりに興味深い。ただ、若干弱い。康有為の改革に手を貸しても、それが成功したかどうかが問題であり、結果が残るのと残らないのとでは評価が大きく変わるからである。それは石橋湛山の「満州放棄論」も同様である。主張を展開することと、それを実現することとは異なり、かつての日本政府が石橋湛山の論を実行したなら、かなり大きく評価されるべきだが、そうした主張があったというだけではやや弱い。また、宮崎滔天が孫文の革命に参加したのは当時の日本政府の要請だったのか、という点も重要だ。政府の政治的な行為のレベルで革命を支援したのか、そうでなく単に国籍が日本である人が協力したのか、ということでは雲泥の差がある。(私はそれらがどうだったのか十分には知らない。)

つまり、「侵略」をしたとされる場合、その責任は日本政府に帰属され、政治的には日本国籍保有者が最終的に政府に責任を果たさせる政治的な義務を負う。それに対して、日本政府自体が、アジアの革命を支援してきたのか、そうでないのか、ということは、日本政府の功罪を勘案する際の判断材料となるだろう、ということだ。



 対中経済支援はODA以外のものを含めると、内訳は以下のように膨大なものになる。79年~2005年で円借款供与=約3兆円、79年~95年のエネルギー借款(三回)=1兆7000億円、79年~05年の無償資金供与=約1500億円、二回の「黒字還流借款」=2800億円、旧日本輸出入銀行の低利・長期返済の中国向け融資約3兆円で、総計約8兆1300億円、すなわち人民元高の現時点での単純元換算でも約5685億元にまで達する。(p.43)


かなりの協力であることは確かだが、日本政府の毎年の一般会計予算の10%の規模でしかない。そう考えると意外と少ない気もする。もちろん、古い時代と今では物価が違うから、もっと大きいわけだが。

しかし、多いか少ないかは別として、やはり中国政府には中国国内でこうした活動について、きちんと報告してほしいものだとは思う。

【追記 2008.2.17】

ODAなどに関しては、次のことを付け加えておきたい。

例えば、橋・空港などがODAなどによって作られたかどうか、ということは、日本国内を見ても知らない。実際、日本にも世界銀行からの融資を受けて作られたものがあるが、そのことを私たちは普通、知らないだろう。その意味では、しばしば、日本の反中右派は「中国政府は日本からのODAを宣伝しない」と騒ぐことがあるが、それは行きすぎていると言える。

ただ、外国に対するイメージというものは、かなりの程度、政府とメディアの報じ方によって影響されるものなので、ナショナリズムが暴発しにくくするためにも、中国政府は日本政府からの援助を、国内でもう少し強調した方が良い、というのが私の考えである。



 感情論からいえば、こうした傾向こそが自然であることがわかる。すなわち対日感情の基本的な枠組みは<感情悪化一辺倒>ではなく<感情の多様化>である。そしてステレオタイプ化されていた<対日イメージの流動化>である。この点では過去の日本(人)イメージと現在の日本(人)イメージの断絶の問題にぶつからざるをえない。つまり「日本の過去」の批判〔誤解もある〕をベースにして現在を非難するというネジレに気づき始めたともいえるのである。(p.66-67)


近年の中国における、日本に対するアンビヴァレントな感情をうまく整理している。

過去の悪いイメージと現在の良いイメージをどのように結びつけたらよいのか、中国側の多くの人びとの間には戸惑いのようなものがあるように思う。

中国ではナショナル・アイデンティティが妙に強く植えつけられているから、「中華民族」とか「中国人」という想像上の共同体と個体としての自己とが混同ないし一体化した理解がなされる傾向があると感じるのだが、それが上記のディレンマを助長していると思う。



 最近の目立った動向としては、海空軍力の強化が指摘できる。米国情報によるならば、たとえばキロ級新式潜水艦八艘をロシアから購入、国内でも新型「元」級を含む十四艘を建設中、さらに移動式弾道ミサイル唐風31号が他と潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)「巨波(JL)」二型を装備中といわれ、潜水艦攻撃能力は大幅にアップしている。(p.73)


台湾、南沙諸島、尖閣諸島といった海に中国の対外的な問題が多いことが、このような空海軍を強化する要因だろう。内陸のチベットや新疆はあまり武力的には大きくないだろうしハイテクでもないし。



 要するところ、「国連安保理常任理事国入り」それ自体は、国連加盟国のあいだのきわめてシビアな政治の問題であって、拠出金が多いとか、国際貢献がどの程度だといった問題とはまったく別種のものであり、米国さえもリアルに政治的にこの問題を考えていたことを日本はしっかりと認識しておくべきであった。言い換えるならば、もっとシビアでリアルな政治駆け引きをしない限り、この問題は突破できないということなのである。(p.170-171)


日本の外交には戦略がないことに最大の問題があるが、戦術的にも全くダメだ。ここ数年の常任理事国化の動きは、ネットなどで知りうる限りの情報では、明らかにうまくいかないということが素人でもわかる状態だった。

外務省がもっとしっかりすべきなんだがなぁ。政治家は確かに選挙された代表としてある程度のビジョンを持ち、それを示すべきだが、所詮は個人である。組織の力の方が本来は大きいはずであり、恒常性を持ちうる。組織としては、地域別にセクションを分けるよりも、課題や問題ごとに適切に分担するような、柔軟性が必要なのかもしれない。



ASEANは日本がもっと大きな役割を果たすことを、中国のプレゼンスが大きくなっている今こそ望んでいるのである。「東アジア共同体論議」についても、ASEANは中国のプレゼンスの増大に対してある種の不安を抱いている。このような局面において、日本が明確にイニシアティブをとることを望む声はASEANのなかに少なくない。
 しかし日中首脳の対談がなされないなかで、中国とASEANとの関係が深まり、また中国と韓国との関係が深まる。そこに日本のプレゼンスが示されない。対照的に、六カ国協議を見てもわかるとおり、中国のプレゼンスはますます大きくなっている。こうした状況が続けば、いずれASEAN諸国の日本への失望が表出するだろう。(p.173)


ASEANとの関係というのは、日本国内ではほとんど議論されることがない。そうしたことが議論されないことが本当はおかしいのではないか。そして、議論されないから、そうした諸国が何を望んでいるのかが見えない。上記の引用文ではASEAN諸国が日本のプレゼンスを求めているとされているが、日本の中にいるとそうしたことはまず見えない。そういう盲目の状態を続けるのは非常にまずい事だといわなければならない。



 アジアにおいて日本が重要なプレゼンスを継続するということは、実は米国の対日重視を継続させる鍵でもある。そういう捉え方が必要である。アジアに対して日本が重要な影響力を持っていれば、米国は日本に対して、いろいろな形で頼りにし、アジアで米国の意思をある程度日本を通して実現できる、そういった対日重視というものの維持が可能となるだろう。
 しかし、日中の対話がなされず、日本のアジアにおけるプレゼンスが低下していけば、もうこれは日本を頼っても仕方がないと考える。すると当然、アジアでもっとも影響力が強い中国と直接交渉するしかないという議論になっていく。(p.173-174)


同意見であり、日記編のブログに概ね同じ趣旨のことを書いたことがあると思う。複雑ネットワーク研究の知見から言っても、この分析は妥当である。アメリカから直接アクセスできないノードに対して日本を通してアクセスできるならば、アメリカにとって日本は重要なパートナーということになるが、そうしたものがないならば重要性は低くなる。

実際、既に日本は見限られる方向にあり、中国がアメリカの最大のパートナーとなる方向に次第に動きつつあると私は見ている。アメリカにとって中国と日本の「重み」に決定的な差がついたとき、日本の本格的な転落が始まり、中国は東アジアでの覇権をアメリカから部分的に受け継ぐだろう。かつてイギリスからアメリカに覇権が移ったように。(もっとも、次に来る秩序は一極的な覇権は成立せず、幾つかの「地域大国」が並立する多極的な秩序になるだろうから、イギリスからアメリカへの移行とは同じではないけれども。)

それを防ぐためには、アメリカに追従するのではなく、アメリカ以外の国々との関係を構築することが鍵になるのである。
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