アヴェスターにはこう書いている?
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窪徳忠 『道教の神々』

中国本土の道教信仰の現状は、戦前と少しも変わりがなくなっているといっても差し支えない。
 とくに私の注意を惹いたのは、台湾との関係であった。東海岸地区とくに福建省では、台湾の人びとの寄附によって建てられた廟や道観が多い。湄州島頂上の約14メートルの高さの媽祖の石像は、台湾の人びとの寄附によって造られた。台湾から、土地公、清水祖師、媽祖、観音などの像を捧持して、それぞれの本廟に参詣し、霊力をつけてもらって帰る人たちがかなり多い。私は香港に行くたびに必ずそんな人たちに会う。信者の往来ばかりでなく、道士たちも互いに交流している。政治経済の面では緊張が伝えられるけれども、道教など宗教の面では、事情がかなり違うようで、大へん興味ふかく感ぜられる。(p.42)


本書の最初の版は1986年1月に出版されている。基本的にこうした民間レベルの交流は持続していたらしいことがわかり興味深い。それとも主に改革開放以後のことなのだろうか。



 媽祖と通称されている天上聖母(図54)は、福建省莆田県の林愿の六女で、生まれても口をきかないので黙と名づけられたが、道士がきて道を授けられ、それから神異をあらわした。ある日、機を織っていて急に気を失ったので、母が驚いてゆり起こしたら、難船した父や兄たち全部を助けようとしたのに、そんなことをするから長兄だけは救えなかったといったなどというのは、すべて後世のつくり話だというのが、李献璋の説である。
 かれによると、十世紀の後半ごろ、莆田県に吉凶禍福を予知できるすぐれたひとりの女巫がいた。かの女は、その霊力によって、すでに生前からかなり附近の人びとの人気を集めていたが、死後かの女を信じていた人びとの手によって廟に祀られた。これが、媽祖信仰の発生である。その後、かの女への信仰がしだいに附近に拡まるにつれて、その霊験力も附け加えられ、十一世紀の前半ごろにはかなり人びとの注意をひくようになった。
 それと同時に、林氏の娘などのつくり話がほしいままに附け加えられて、信仰が拡まりだした。莆田県地区には、船員や航海業者が多かったが、かれらはかれらなりの航海守護神をもっていた。ところが、かれらのなかに媽祖信仰者がふえるとともに、その守護神と媽祖とが合体して、ついに媽祖が航海守護神とされるようになった。それからは、ますます媽祖についての伝記や伝説の内容が豊富になり、十三世紀の後半ごろまでには中国の広い範囲に信仰が及ぶようになり、各地に媽祖廟が建てられた。
 福建の人びとが海外に発展するにつれて、媽祖信仰もアジア各地に伝播していったが、ことに前にのべた鄭和の上奏以後ますます信仰がさかんになった。媽祖の侍者として、こんにち必ずその左右に祀ってある千里眼や順風耳が考えだされたのも、鄭和以後のことである。現在、日本や台湾などの媽祖信仰はそのころ伝えられた名残りである。(p.231-234)


媽祖信仰の広がりは、まさに13世紀世界システムが形成される前後の時期であり、グローバルな規模でリージョナルな交易圏が連結していった後、それが崩れていくまでの時期に相当する。

この時期に福建省あたりの人びとが華僑として東南アジア各地に広がったようだが、その共同体と媽祖信仰の共同体は、ある程度重なるものと思われる。
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